NHK大河ドラマ「いだてん」で学徒出陣がカラーで再現された。
昭和18年10月21日、明治神宮外苑競技場に2万5千人の学生が集められ、降りしきる雨の中、学生服に銃を担いで行進する、あの映像を観るたびに私は涙が出る。今、このブログを書いているだけで涙が止まらない。
それまで学生は徴兵が猶予されていたが、東条英機は劣勢な戦況下に 国民の士気を高めるために、この一大イベントを行った。名古屋軍の名投手「石丸進一」君もこの「壮行会」に参加し、戦場に散った一人。
学徒動員で何人の学生が出征し、戦死したのか、正確な数は判っていないという。
私の父は、昭和16年3月 慶応を卒業して、故郷、会津若松第65連隊に入隊。その年12月に中国に出征した。
義父(妻の父)は、昭和17年卒業だったが、半年繰り上げられて、昭和16年の9月に慶応を卒業し、海軍にはいった。
私の妹の夫の父は、昭和18年卒業予定だったが、繰り上げで17年3月卒業。
というわけで「学徒出陣壮行会」時、三人とも大学を卒業していた。
私の母は、日本女子大に在学中だったが、この壮行会には行っていない。一期下の橋田寿賀子が、壮行会で男子学生たちを見送っている。
慶応では 1998年になって三田キャンパスに「還らざる学友の碑」を建て、学徒出陣の資料収集を始めた。
「送り出した大学として、どういう立場に立つべきなのか」難しい問題だという。
◆学徒出陣を見送った一女性の声。
「昭和39年、東京オリンピック開会式で、カラフルなユニホームを着たアメリカ、イギリスの選手たちがわれわれにニコニコと手を振っている。 あの雨の
学徒出陣壮行会と同じ競技場で。これには大きな衝撃を受けました」と。
当時慶応高校3年だった私もまったく同感だった。
死地に赴く学生たちが踏みしめていった聖なるグランドである。戦争も国策なら、オリンピックも国策。国家のこの豹変振りに、不快感を感じたのは 私だけか。