現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

鳥羽伏見の敗戦 慶喜公の逃亡 その時わが先祖は?

2021-09-19 19:54:28 | わが家のこと

NHK大河ドラマ『青天を衝け』

鳥羽伏見も会津戦争もぶっとばされてしまったが、鳥羽伏見で我が先祖は・・・

 

慶応4年1月3日火ぶたを切った鳥羽伏見で敗れ、徳川慶喜、松平容保、松平定敬が大坂城を脱出した後を追って、皆ほうほうの体で江戸を目指す。

八日 早朝より舟を求むるに一艘もなし。力を尽し小舟十艘計りを得、手負を載せ中嶋会所へ送り、残りの部隊は漸く人足を得て同所へ送る。此時砲兵隊長林権助(戦死)の巨海源八郎、牧原源蔵、梁瀬武四郎、元白井隊より三浦重郎、両角千代治、杉浦八太郎 介抱方の命を蒙る。巨海、牧原等小野内膳より金策し、漸く五六艘を得て天保山に至り蒸気船に移る。

一統は東本願寺に会す。此時土藩の使者来て引取ることを止め、且実情を云て其応対甚だ慇懃なりし。既に四つ半頃 出起き、堺に至りて宿す。

 

という。さて、蒸気船に乗ってどこまで行ったのか、東本願寺とはどこの寺か? 江戸へ直行したのではなく堺に着いて一泊したと?

徳川慶喜(「大坂城・炎上」)ー新大阪物語(959) | 今日の景色

 


先祖探しの旅1 大津園城寺

2021-09-19 19:47:18 | 虚無僧日記

遠祖 新羅三郎義光 私の虚無僧の旅は先祖探しの旅です。
これまで回ってきた先祖ゆかりの地と、その土地の名物を紹介していきます。


当(牧原)家の遠祖は新羅三郎義光
義光

清和源氏の祖源頼義の三人の子
長男が八幡太郎義家
次男が賀茂次郎義綱
三男が新羅三郎義光
それぞれ義家は岩清水八幡宮で、次男義綱は賀茂神社で、三男義光は大津の園城寺(三井寺)で元服したことに因んでの神号名



新羅三郎義光は弓馬の道にたけ、また笙の名人としても知られ、文武両道の達人だった。
大東流合気術も新羅三郎義光を開祖としている。

墓義光