「尺八の名称は、その長さが1尺8寸であることから」と、どの解説にも書いてある。中学の音楽の教科書にもそう書いてある。ネットで「尺八」を検索すると、すべてにそのように書いてある。判で押したように。そう、みなコピペしているからだ。
ちょっと詳しいのになると、
『旧唐書』列伝の「呂才伝」に「7世紀はじめ、唐の楽人である呂才が、筒音を十二律にあわせた縦笛を作った際、中国の標準音の黄鐘(D)が1尺8寸だったから “尺八”と名付けた」と。
ところがこれでは、法隆寺や正倉院に伝来した古代の尺八が、みな1尺3寸前後で不揃いであることの説明ができない。
そこで、唐代の「小尺」は8掛けで、現代の「1尺4寸」が「1尺8寸」だったと苦し紛れの詭弁を弄す。すると、
それでは「D=1尺8寸」を基準とするという説明と食い違ってしまう。
誰も「原典」を確認していないのが問題。ネットで探して見つけた。
『舊(旧)唐書』とは、200巻からなる膨大な書物で、その中の「列伝」150巻には何百人もの人物が載っており、第29の中に「呂才」についての記述がありました。
『舊(旧)唐書』「列伝第二九 呂才傳」には
「能為尺八十二枚,尺八長短不同,各應律管,無不諧韻」とだけ書かれていました。
つまり、呂才は「長さの違う尺八を12本、それぞれ12律に合わせて作った」というのです。
呂才
どこにも、「1尺8寸を基準にして『尺八』と名付けた」とか「呂才が『尺八』を始めて作った」とは書かれていません。
尺八は、以前からあったのを、長さ不ぞろいで、音程がメチャクチャだったので、「呂才が12の音律に合わせて12種類の尺八を作った」というのです。