釈迦の十大弟子の一人「チューラパンダカ」とは
彼は愚鈍で、三年かかっても一偈すら理解できなかったので、人々からあざけり、笑われていました。知的障害者だったようです。
そこで、お釈迦様は、彼に一本の箒(ほうき)を与え、「チリを払い、垢を除かん」と言いながら掃除をするよう命じました。「チリを払い」を覚えても「垢を除かん」が出てこない。ようやく「垢を除かん」を覚えると「チリを払い」を忘れる。
そんな「チューラン」でしたが、毎日無心に掃除することによって、やがて「目に見えるゴミだけでなく、目に見えない心の穢れも掃き取るのだ」と悟るのです。お釈迦様は「よくぞ悟った。自分は賢いと思って、自分の愚かさに気づかぬ者が本当の愚か者よ」と諭します。
赤塚不二夫の「天才バカボン」。「レレレのおじさんはチューラパンダカ」
というわけで、寺では、掃除は大切な修行ですし、真如苑でも朝起会でも、掃除は「心の垢(穢れ)を払う“禊(みそぎ)”」として、大切な役目とされています。
さて、そこまで頭で解っても、実践しなければ悟ったことになりません。
私が、名古屋駅前で虚無僧で立っていた時のことです。
通行人がポイ捨てしていったゴミが、私の足元で風に舞っていました。すると男性が近づいてきて「ゴミの一つも拾えんのかね」とつぶやきながら、そのゴミを拾っていきました。
全く、えらそうに立っているだけで、腰をかがめてゴミを拾うことができなかった自分を多いに恥じいりました。
虚無僧は「己を虚にする。我をとる修行」です。ゴミを拾うことに躊躇するようでは、「チューラパンダカ」の足元にも及びませんですな。