現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

戦中慰問団

2021-08-13 14:32:36 | 太平洋戦争

昭和16年5月30日 新潟慰問団

 

NHK「わらわし隊の戦争」を見て、戦中慰問団に関心を持ち いろいろ調べてみました。

慰問団は、吉本興行だけでなく、映画俳優も地方の温泉芸者も、また、各県、各市ごとでも結成され、派遣されていたようです。


父の所属していた歩兵第116連隊の記録にも、慰問団のことがしばしば登場します。

昭和16年5月12日 映画慰問団宜昌へ帰る
    5月30日 新潟慰問団来る 
    5月31日 慰問団第二大隊へ
    6月13日 第二大隊へ「特殊慰問団」来る

はて「特殊慰問団」とは何でしょう? 調べてみましたが不明です。
性を売るのかと想像してしまいます。

    11月 5日 夕刻慰問団来る。「ハイカラ」にして新しきも、
         郷土色稀薄なり

やはり、「郷土色」が望まれていたのでしょうか。

父は福島県会津若松の出身だったので、故郷 福島の飯坂温泉から芸者連中の慰問団が来た時は なつかしく大歓迎。

「衣食住は経理室の役目だから」と 彼女らの世話を 経理室に与えてもらった。経理室の連中の喜びようといったらない。風呂焚き役は奪い合いになった。夜は経理室一堂、彼女らと会食し、日頃の憂さを忘れ 楽しい一夜となった」とある。

さて、この先は、とても公表できない内容です。(が、あえて・・・)
その慰問団の団長が「戦地の土産話に、ひとつ頼む」と要求してきたのは、・・・・・。

なんと、中国人の首を斬ることです。
中尉が 捕えていた少年を連れ出してきて・・・・・・。

父は少尉でしたので、父祖伝来の名刀「会津三善(みよし)長道」を軍刀に仕立てて携行していました。その「軍刀を貸してくれ」との要求に

父は「父祖伝来の刀、もし刃こぼれしたら どうしてくれる」と言って断った。 当時、にわか作りの[昭和刀」は戦地では すぐサビて使い物にならなかった。ホンモノノの刀はサビずに輝いていたとのこと。

 

まったく、市民をも狂気にさせる戦争、ホントにアホらしく、

バカバカしい。許せんことです。


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