柴田錬三郎が、昔わが家の先祖のことを書いて、TVドラマにもなった。
その原作『妬心』を私は30年探し続けた。古本屋を見ると探しに入ったも
のである。父の七回忌の墓参りをしての帰り、今日こそ見つかるのでは
との気がして神田の古本屋に立ち寄った。「アッタ!」感動で打ち震えた。
仇(かたき)を 探しあてたようなものである。
会津藩三代目藩主正容の時、側室を家臣に払い下げるという事件
が二度あった。一度目が「上意討ち」の笹原伊三郎の倅へである。二度目
が神尾八兵衛に下げ渡された「おもん」であった。おもんは気性が激しく
殿の嫌気をかって、国元へ帰されたのであるが、その時の側用人が、当家
の祖牧原只右衛門であった。おもんは差配の権限を持つ側用人牧原只右衛
門を恨んで呪詛した。そして『妬心』の最後は「牧原只右衛門の家は次の
代になってつぶれた」となっている。
柴田錬三郎はこの話をどこから調べたのか、出典を調べているのだが、
わからない。
叔父から聞いた話では、「側室の呪詛によって、七代に亘って
男児は長生きしない」という言い伝えは、わが家にあったという。
子供の頃それを聞いて、自分も長生きはできないかという思いが
ずっとつきまとっていた。
もう七代は過ぎたのか、叔父も父も80過ぎまで長生きした。
“若死にする危険”には、生命保険で備えてきたが、“長生き
する危険”には備えてこなかった。これからまだ生き続けること
に不安を感じる。