実はまだ、真剣を二振持っている。15万で買った模造刀
もある。模造刀は居合には使えない。居合用の刀は、最低
50万はする。それでも居合刀は所詮居合刀。真剣に比べ
れば、似て非なる物なのだ。
この違いは何なのだろう。真剣を見ると心が落ち着く。
吉川英治の『宮本武蔵』で、武蔵が本阿弥光悦に「刀を研い
でくれ」と頼むと、光悦は「人を切る為の刀は研ぎません」
と断る。「刀は人を切るためのものではないか」と問う武蔵に、
光悦は「人を切りたくなくなるように刀を研ぐ」と答える。
解かる解かる。まこと素晴らしい刀は、ほれぼれする。これ
で人を切ろうなんて、これっぽっちも思わなくなる。勇む心も、
逸る心も、怒りも妄炎も断ち切ってくれる。
ところが粗悪な刀や居合刀は、何か切ってみたくなる衝動に
かられるのだ。ただ切るためにしか作られていない道具に
すぎないからか。優れた刀鍛冶が精魂込めて打った刀には、
善なる魂が宿っていると思われてならない。
本物のかもし出す、この“気”は、一体何なのか。どうやった
ら生まれるものなのか、これも虚無僧修行の『公案』として、
大切にしたい。
もある。模造刀は居合には使えない。居合用の刀は、最低
50万はする。それでも居合刀は所詮居合刀。真剣に比べ
れば、似て非なる物なのだ。
この違いは何なのだろう。真剣を見ると心が落ち着く。
吉川英治の『宮本武蔵』で、武蔵が本阿弥光悦に「刀を研い
でくれ」と頼むと、光悦は「人を切る為の刀は研ぎません」
と断る。「刀は人を切るためのものではないか」と問う武蔵に、
光悦は「人を切りたくなくなるように刀を研ぐ」と答える。
解かる解かる。まこと素晴らしい刀は、ほれぼれする。これ
で人を切ろうなんて、これっぽっちも思わなくなる。勇む心も、
逸る心も、怒りも妄炎も断ち切ってくれる。
ところが粗悪な刀や居合刀は、何か切ってみたくなる衝動に
かられるのだ。ただ切るためにしか作られていない道具に
すぎないからか。優れた刀鍛冶が精魂込めて打った刀には、
善なる魂が宿っていると思われてならない。
本物のかもし出す、この“気”は、一体何なのか。どうやった
ら生まれるものなのか、これも虚無僧修行の『公案』として、
大切にしたい。