現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

真剣と居合刀

2007-10-23 20:09:10 | 虚無僧って?
実はまだ、真剣を二振持っている。15万で買った模造刀
もある。模造刀は居合には使えない。居合用の刀は、最低
50万はする。それでも居合刀は所詮居合刀。真剣に比べ
れば、似て非なる物なのだ。

この違いは何なのだろう。真剣を見ると心が落ち着く。
吉川英治の『宮本武蔵』で、武蔵が本阿弥光悦に「刀を研い
でくれ」と頼むと、光悦は「人を切る為の刀は研ぎません」
と断る。「刀は人を切るためのものではないか」と問う武蔵に、
光悦は「人を切りたくなくなるように刀を研ぐ」と答える。

解かる解かる。まこと素晴らしい刀は、ほれぼれする。これ
で人を切ろうなんて、これっぽっちも思わなくなる。勇む心も、
逸る心も、怒りも妄炎も断ち切ってくれる。

ところが粗悪な刀や居合刀は、何か切ってみたくなる衝動に
かられるのだ。ただ切るためにしか作られていない道具に
すぎないからか。優れた刀鍛冶が精魂込めて打った刀には、
善なる魂が宿っていると思われてならない。

本物のかもし出す、この“気”は、一体何なのか。どうやった
ら生まれるものなのか、これも虚無僧修行の『公案』として、
大切にしたい。



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