現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

尺八「洋山流」について

2016-02-10 08:10:27 | 虚無僧日記

先日「都山系尺八の流派」として「洋山流」について「服部洋山」が

上田流から分かれて創始した」と書きましたが、ある方から

「勝田洋山が都山流から独立したのでは?二つあるのか」と言うような

ご指摘をいただきました。

私の記事は「尺八奏者伊達芳名」氏のHPから転載させていただいたもので

コメントさんから紹介いただいた「遍照の響き」のサイトに詳しく載っていました。

 

実は、私が手ほどきを受けた叔父「山室秀山」と「山室畔山」は「洋山流」

でしたので「洋山流40年の歩み」(S58年洋山会発行)も所持しています。

 

それによれば、「勝田洋山が昭和18年に都山流を離脱して創立」とありました。

となると「上田流から独立した服部洋山」とは、別に居るのでしょうか。

 愛知県知多半島、阿久比の谷性寺の住職をされてる「矢野司空氏」も

「洋山流」と言っていました。神戸の出ですから、別系統の「洋山流」で

しょうか。今度お会いして聞いてみます。

 

勝田洋山は明治32年松江市に生まれ、大正11年鳥取市で都山流師範免許。

「羊山」として開軒。大正14年千葉に移り、昭和12年大師範。東京、埼玉にも

出張して門弟を増やす。

昭和18年、都山流から離脱して、「洋山」と改め「洋山流」を創始。

とのこと。

私の母方の叔父「山室信朗」は、元は都山流でしたが、千葉大医学部を出て、

千葉の国立療養所に勤務していたため、勝田洋山氏に請われて、洋山流に

転籍。「秀山」の号をもらって幹部として活動していました。

そして、その兄「重遠」も、金沢四高の時から都山流尺八を始め、東北帝大を出て

会津若松で開業医をしていましたが、弟の「信朗」から請われて「洋山流」の

幹部に迎えられました。

私は、この二人の叔父に手ほどきを受けましたので、元は「洋山流」なのです。

「洋山流」の手付けは「都山流」と「琴古流」をミックスしたようなものでした。

それで、私は新曲は「都山譜」。古曲は「琴古流」と使い分けています。

遍照の響き」のサイトより転載させていただきます。

 洋  山  流 (「洋山流40年のあゆみ」より抜粋)
 各地の洋山会  統合前の会  関  係  者  名  会 員 数
S58.5.8現在
 千葉洋山会   千葉洋風会  佐久間雅山  本吉泰山  松戸琴山   34名  
竹葉会  有馬幽山   海塩葉山  山室秀山
川鉄グループ  宮沢恭山
 東京洋山会  市川洋山会   朝山氏・故人となられ会を閉じた 7名  
砂山洋山会  猪口晃山   佐久間智山
 佐原洋山会 洋風会  高柳羅山  石津菘山  篠塚朋山
 本宮鈴山
 5名 
 会津洋山会    山室畦山  5名 
 北陸洋山会  

 栃平宝山  志々目鶯山  亀田鵬山                         


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