先日「都山系尺八の流派」として「洋山流」について「服部洋山」が
上田流から分かれて創始した」と書きましたが、ある方から
「勝田洋山が都山流から独立したのでは?二つあるのか」と言うような
ご指摘をいただきました。
私の記事は「尺八奏者伊達芳名」氏のHPから転載させていただいたもので
コメントさんから紹介いただいた「遍照の響き」のサイトに詳しく載っていました。
実は、私が手ほどきを受けた叔父「山室秀山」と「山室畔山」は「洋山流」
でしたので「洋山流40年の歩み」(S58年洋山会発行)も所持しています。
それによれば、「勝田洋山が昭和18年に都山流を離脱して創立」とありました。
となると「上田流から独立した服部洋山」とは、別に居るのでしょうか。
愛知県知多半島、阿久比の谷性寺の住職をされてる「矢野司空氏」も
「洋山流」と言っていました。神戸の出ですから、別系統の「洋山流」で
しょうか。今度お会いして聞いてみます。
勝田洋山は明治32年松江市に生まれ、大正11年鳥取市で都山流師範免許。
「羊山」として開軒。大正14年千葉に移り、昭和12年大師範。東京、埼玉にも
出張して門弟を増やす。
昭和18年、都山流から離脱して、「洋山」と改め「洋山流」を創始。
とのこと。
私の母方の叔父「山室信朗」は、元は都山流でしたが、千葉大医学部を出て、
千葉の国立療養所に勤務していたため、勝田洋山氏に請われて、洋山流に
転籍。「秀山」の号をもらって幹部として活動していました。
そして、その兄「重遠」も、金沢四高の時から都山流尺八を始め、東北帝大を出て
会津若松で開業医をしていましたが、弟の「信朗」から請われて「洋山流」の
幹部に迎えられました。
私は、この二人の叔父に手ほどきを受けましたので、元は「洋山流」なのです。
「洋山流」の手付けは「都山流」と「琴古流」をミックスしたようなものでした。
それで、私は新曲は「都山譜」。古曲は「琴古流」と使い分けています。
「遍照の響き」のサイトより転載させていただきます。
洋 山 流 (「洋山流40年のあゆみ」より抜粋) | |||
各地の洋山会 | 統合前の会 | 関 係 者 名 | 会 員 数 S58.5.8現在 |
千葉洋山会 | 千葉洋風会 | 佐久間雅山 本吉泰山 松戸琴山 | 34名 |
竹葉会 | 有馬幽山 海塩葉山 山室秀山 | ||
川鉄グループ | 宮沢恭山 | ||
東京洋山会 | 市川洋山会 | 朝山氏・故人となられ会を閉じた | 7名 |
砂山洋山会 | 猪口晃山 佐久間智山 | ||
佐原洋山会 | 洋風会 | 高柳羅山 石津菘山 篠塚朋山 本宮鈴山 |
5名 |
会津洋山会 | 山室畦山 | 5名 | |
北陸洋山会 |
栃平宝山 志々目鶯山 亀田鵬山 |