【華陽院・お富・お満とも】
竹千代(後の徳川家康)が、今川への人質として 駿府にあった頃、陰日向(かげひなた)になって面倒をみてくれた人がいた。家康の母「於大」の生母「華陽院・お富」。つまり家康の祖母。
この「華陽院・お富」の生涯も、戦国の倣いとはいえ波乱万丈。
はじめ、刈谷城主「水野忠政」に嫁いで「水野忠重」や「於大」ら3男1女を生む。ところが、「松平清康」(家康の祖父)が横恋慕して、奪い取る。講和の条件として譲り受けたとも。
その「清康」が24歳で家臣に殺されると、その後は、星野秋国、菅沼定望、川口盛祐といった諸豪族に次々に嫁ぐが、いずれも夫に先立たれている。その後、駿河の「今川義元」を頼って駿府に入り、尼となって、孫の「竹千代」の世話をする。
【於大の方】
「松平広忠」との間の子が「徳川家康」
「久松俊勝」との間に三男三女
1松平康元
2松平康俊
3松平定勝
4【多劫姫】「松平忠正」に嫁ぎ、後に弟の「松平忠吉」「保科正直」に再々嫁
5 松姫 「松平康長」夫人
6 天桂院 「松平家清」夫人
【多劫姫】
1553年の生まれ。初め「松平忠正」に嫁ぎ、「家広」を産んだ。
天正5年(1577年)に夫が死去したため、その弟「忠吉」に再嫁した。
この時、24歳。「忠吉」との間に2子(松平信吉、松平忠頼)を産む
その「忠吉」も天正10年(1582年)に死去し、天正12年(1584年)
保科正直に再々嫁する。この年31歳。そして2男4女を産む。
「松平忠正」との間に「松平家広」
「松平忠吉」との間に「松平信吉・松平忠頼」
「保科正直」との間に 2男4女
1 保科正貞
2 北条氏重
3 大涼院(黒田長政継室)
4 清元院(安部信盛室)
5 貞松院(小出吉英室)
6 高運院(加藤明成室)の
元和年(1618年)65歳で亡くなった。
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