「一休とんち話」といえば『この“はし”渡るべからず』。
「“端”を渡っていけないなら真ん中を渡ればいい」
「橋を端にひっかけた笑い話」と思いきや、もっと深い
意味があった。
一休の父は北朝の後小松天皇、母は楠木の血筋を引く者。
一休は北朝と南朝、双方から天皇に担ぎ上げられる立場
だった。そこで一休は、そのどちらにも与しない生き方。
地位も肩書きも求めない一托鉢僧として生き、600年を
経た今日、世界にまでその名を知られる人気者となった。
一休が好む普化の偈(げ)「明頭来明頭打・暗頭来暗頭打」
には「明にも暗にも偏しない心」の意味がある。それこそ
虚無僧の生き方なのだ。
ところで、相対立する価値観の狭間に立たされることは
人生のさまざまな場面で直面する。
国と国の戦争、宗教対立、政党・派閥間の争い、嫁姑の
板ばさみ。その時、どちらにも偏しない中立を保てるのか。
言うは易く行うは難しだ。
このところ無事平穏の生活が続いてきたが。10月11日の
能楽堂公演に向けて、メンバーの間で価値観の違いが
顕わになってきた。
能楽堂にふさわしく、芸術的格調高い演奏にしたいと
真剣に取り組む一方、「自分たちが楽しくやれればいい」
と、村祭りの芸能大会レベルで満足する人もいる。
相対する価値観の狭間でどう調整を図っていくのか、
難しい舵取りを迫られている。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。
「60代の日記」ランキングです。クリックお願いします。
「“端”を渡っていけないなら真ん中を渡ればいい」
「橋を端にひっかけた笑い話」と思いきや、もっと深い
意味があった。
一休の父は北朝の後小松天皇、母は楠木の血筋を引く者。
一休は北朝と南朝、双方から天皇に担ぎ上げられる立場
だった。そこで一休は、そのどちらにも与しない生き方。
地位も肩書きも求めない一托鉢僧として生き、600年を
経た今日、世界にまでその名を知られる人気者となった。
一休が好む普化の偈(げ)「明頭来明頭打・暗頭来暗頭打」
には「明にも暗にも偏しない心」の意味がある。それこそ
虚無僧の生き方なのだ。
ところで、相対立する価値観の狭間に立たされることは
人生のさまざまな場面で直面する。
国と国の戦争、宗教対立、政党・派閥間の争い、嫁姑の
板ばさみ。その時、どちらにも偏しない中立を保てるのか。
言うは易く行うは難しだ。
このところ無事平穏の生活が続いてきたが。10月11日の
能楽堂公演に向けて、メンバーの間で価値観の違いが
顕わになってきた。
能楽堂にふさわしく、芸術的格調高い演奏にしたいと
真剣に取り組む一方、「自分たちが楽しくやれればいい」
と、村祭りの芸能大会レベルで満足する人もいる。
相対する価値観の狭間でどう調整を図っていくのか、
難しい舵取りを迫られている。
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