正倉院の尺八は、手孔が 前面に5、裏に1つの 6孔でした。筒音からドレミファソラシドになっています。裏の孔と孔を全部ふさいだ筒音は半音違います。
それが中世・室町時代になると 前に4 裏に1 の5孔となります。
中世の民謡は 追分節のように田舎節 ファとシがない4・7(ヨナ)抜き音階でしたから、必要のない音が消去され 5孔で十分になったのでしょう。
第2孔からドレミソラになります。
ところが、三味線が入ってきて ミファラシドの地唄や筝曲と合わせるには、半音が出ないと吹けません。それで、尺八も1尺8寸と長くなり、手孔も大きくして、手孔を少しかざしたり、2/3ふさいで半音を出すようになりました。
そのまま現代まで5孔尺八が本流となっていますが、
5孔では、メリ音は音量が小さく、暗い感じになります。筝や三味線では半音も大きく出せますので、尺八でそのようにしっかり大きな音を出すのは難しい。それですでに大正時代に 小孔を増やすことが考案されていました。
なんと古典の大家、神如童師は、7孔や9孔尺八を制作し、昭和5年には 7孔尺八で、地唄の「四季の眺め」と「浮舟」を舞台で披露しています。