虚無僧にとって、最も大切な曲は、いつの頃からか、
「虚鈴(きょれい)」「虚空」「霧海篪(むかいじ)」の三曲
となった。
「虚鈴」は、由良興国寺の開祖法灯国師が、鎌倉時代に、
中国から伝えたとか、「虚空」「霧海篪」は、弟子の
虚竹が伊勢の朝熊山に参篭の折、霧の中から聞いた音曲
だとか、伝説が作られている。
しかし、江戸時代初期の『糸竹初心集』には、「れんぼ
流し・京れんぼ」という曲名があって、古伝三曲の名は
無い。
古伝三曲が、文献で確認できるのは、1732の『尺八伝来記』
である。これには「霧海篪(むかいじ)」を筆頭に「虚空」
「虚鈴」の順。その他は現在では聞かれない曲ばかり。
その中に「武田恋慕、鳴渡(門?)恋慕」など〇〇恋慕という
のが16曲もある。虚無僧の流しの曲は、古くは「恋慕」だった
というのが私の考えだ。
「恋慕」では、虚無僧にはふさわしくないとのことで、「恋慕」
が普化の鈴を慕う「鈴慕」、さらには「鈴法」「礼法」と、
それらしく、もったいつけたのであろう。
しかし、虚無僧は、再仕官するまでの仮の姿、未練たらしい
方が似合うと、私には思える。
「虚鈴(きょれい)」「虚空」「霧海篪(むかいじ)」の三曲
となった。
「虚鈴」は、由良興国寺の開祖法灯国師が、鎌倉時代に、
中国から伝えたとか、「虚空」「霧海篪」は、弟子の
虚竹が伊勢の朝熊山に参篭の折、霧の中から聞いた音曲
だとか、伝説が作られている。
しかし、江戸時代初期の『糸竹初心集』には、「れんぼ
流し・京れんぼ」という曲名があって、古伝三曲の名は
無い。
古伝三曲が、文献で確認できるのは、1732の『尺八伝来記』
である。これには「霧海篪(むかいじ)」を筆頭に「虚空」
「虚鈴」の順。その他は現在では聞かれない曲ばかり。
その中に「武田恋慕、鳴渡(門?)恋慕」など〇〇恋慕という
のが16曲もある。虚無僧の流しの曲は、古くは「恋慕」だった
というのが私の考えだ。
「恋慕」では、虚無僧にはふさわしくないとのことで、「恋慕」
が普化の鈴を慕う「鈴慕」、さらには「鈴法」「礼法」と、
それらしく、もったいつけたのであろう。
しかし、虚無僧は、再仕官するまでの仮の姿、未練たらしい
方が似合うと、私には思える。