ネットで検索していたら、こんな記述を見つけた。
「吉川英治の『親鸞』を小学生の頃読んだ。そこに虚無僧が出てくる。親鸞の命を狙ってつきまとう。それで、虚無僧は“悪者”と思い、嫌いになった」と。
おいおい、誤解である。
『親鸞』に出てくるのは「薦僧(こもそう)。
私も中学の時、読んだが「菰僧」が、当時は「菰僧」が「虚無僧」のこととは知らなかった。『親鸞』に出てくる「菰僧」は、親鸞の幼い頃からのライバル寿童丸の下人で、親鸞とも親しい。悪いのは、親鸞に嫉妬し、亡き者にせんと、山伏となって親鸞をつけ狙う寿童丸。その付き人の「○○」は菰僧となって、主君を陰ひなた見守り、時に諫める善人である。この書き込みをした人は、山伏も虚無僧も一緒にしているようだ。
吉川英治は虚無僧が大好き。虚無僧を悪く書くはずがない。
しかし、この親鸞の時代(平安から鎌倉時代)に、尺八を吹く菰(虚無)僧は、まだ出現していません。薦僧は室町時代の後半から出現する。
吉川先生そんなことも 知んらん かね。