現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

ぼけたらあかんな

2016-03-08 17:58:24 | 虚無僧日記

デイケアサービス施設で、ひとしきり尺八演奏をしたあと、
来所者の皆さんと一緒にティータイム。はす向かいに座った
ご婦人が、私の方をジィーと見つめている。職員が「尺八の
先生ですよ」というと「はぁー尺八? 聞きたかったわァ・・・」
(えっ!?今さんざん吹いたのに・・・・)。しばらくしてまた、私の
顔をジィーと見て「何かされるのですか? 」「尺八です」。
「はぁ、今日は尺八が聞けると思って来たのに・・・」
こんな会話がエンドレスで続いた。

シャキッとした男性。「いやぁ、あなたの尺八は、すばらしい!
ぜひCDにして、みんなに配りなさい。お金は私が全部出すから」
と、うれしいお話。横で職員が手を左右に振りながら目くばせ。
いつもこの調子で、後で何も覚えていないそうな。

これでは家族も大変だろうな。

別の施設で、蠟梅(ろうばい)の花が活けられていた。私は何を
間違えたか「ボケの花がいっぱい」と言ってしまった。
シマッタ シマッタ。職員の表情が凍りつき、私は狼狽。
そこからは もう次の仕事が来なくなった。
ボケたらあかん。


「秀頼は優(やさ)男に非ず」

2016-03-08 08:38:18 | 虚無僧日記

豊臣秀吉と淀君の間に生まれた御子「秀頼」といえば、
テレビドラマでは「草食系・イケメン」の人気スターの
役どころだが、実は実は、大相撲の「把瑠都(バルト)」
並の巨漢だったという。

江戸時代初期、真田増誉が書いた『明良洪範』にある。

「秀吉公ノ実子ニアラズ 大野修理ト密通シ捨君ト秀頼君ヲ
生セ給フト 」とあり、「身長6尺5寸(約197cm)・体重43貫
(約161kg)の並外れた巨漢であったと書かれている。

三千人もの女と関係しながら、妊娠させられなかった秀吉である。                                                                 淀君が生んだ秀頼が秀吉の子ではないことは、当時の人も                                                思っていたようだ。淀君の不倫の相手は「大野修理」と                                                   明記されていることもすごい。他にも噂の相手はいるが。

さて、『長澤聞書』にも「世に無き御太り」と記されている。

「家康が二条城で秀頼と会見した時に、秀頼の巨体から 
かもし出されるカリスマ性に恐怖し、豊臣家打倒を決意した」と
記録するものもあるほど、武将としての威厳はあった。

秀吉は「身長が5尺(約152cm)もない小兵だった」と言われて
いるので、実子かどうかが疑われる一因になっている。

顔には、天然痘の後遺症である痘痕も残っていたともいう。
「秀頼ファンの歴女」には、失望させて申し訳ない。

NHK大河「真田丸」では、誰が秀頼を演じるのだろう。

尚、加藤清正、藤堂高虎も6尺(180cm)を越える巨漢だった。


幸福な若者たち

2016-03-07 17:08:04 | 虚無僧日記

「現代の若者は、仕事がない、未来がないなど                                                          “不幸な若者”という価値観が定着しているけれども、                                                      多くの若者は 現状に満足している」?。

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政府の統計によれば 「20代の生活満足度は 約7割で
過去最高」。若者自身に、自分たちが弱者であるという
当事者意識は ほとんどない。

実際、今の日本は歴史上まれに見る「豊かさ」の中に
ある。ユニクロで服を買って、大戸屋でご飯食べて、
夜はtwitterで呼びかけた友だちと鍋。あんまりお金を
かけずに、そこそこ楽しい生活ができてしまう。

「格差社会・貧困社会是正」などを掲げたデモ行進に
参加する若者はごく一部で、デモも“お祭り”気分の
ノリであって、かつての安保闘争のような行動を
起こす気はサラサラない。
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と、言われてみれば たしかに、毎晩、名古屋駅前の                                                      繁華街は 幸せそうな若者であふれています。

惨めに見えるのは年金暮らしの高齢者。働かなくても                                                        年金でそこそこ暮らせるのに、時代に取り残されていく焦り、                                                     若者と接点がもてない侘しさを感じるのは私だけ?

                                                      


「人間は美しい」と思えた時

2016-03-01 21:58:30 | 虚無僧日記

「自らの死を自覚した時、人は ますます輝きを増す」という。

●作家「高見順」の『死の淵より』
「窓の外は 光に満ち、いきいきと息づいている。
この世は、人間も自然も 幸福に満ち満ちている。
この世は実に幸せそうだ。それが私の心を悲しま
せないで かえって私の悲しみを慰めてくれる」

●医師「井村和清」の『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』
「私は不思議な光景を見ていました。世の中が輝いて
見えるのです。買い物客が輝いてみえる。走り回る
子供たちが、犬が、稲穂が雑草が、小石までが 美しく
輝いて見えるのです。妻も 手を合わせたいほど 尊く
見えたのでした」

●精神科医「西川喜作」の『輝け 我が命の日々よ』
「不愉快な記憶、悲しい記憶、嫌な記憶が、どれも
懐かしく 美しいものにさえ感じられる。私は今、
生きることの素晴らしさを感謝している。今まで
私はなぜ、この素晴らしさを感じとれなかったのか」


そう、釈迦も最後の言葉は「この世は美しい、
人間は美しい」でした。「生老病死」の悲しみも、
苦しみも、憎しみも恨みも嫌悪の心も消し去って、
ただ「美しい」と。

私も、最近 「世の中 “美しい”」 と 思えるように                                                       なってきました。いよいよ「お迎え」が近いようです。