デイケアサービス施設で、ひとしきり尺八演奏をしたあと、
来所者の皆さんと一緒にティータイム。はす向かいに座った
ご婦人が、私の方をジィーと見つめている。職員が「尺八の
先生ですよ」というと「はぁー尺八? 聞きたかったわァ・・・」
(えっ!?今さんざん吹いたのに・・・・)。しばらくしてまた、私の
顔をジィーと見て「何かされるのですか? 」「尺八です」。
「はぁ、今日は尺八が聞けると思って来たのに・・・」
こんな会話がエンドレスで続いた。
シャキッとした男性。「いやぁ、あなたの尺八は、すばらしい!
ぜひCDにして、みんなに配りなさい。お金は私が全部出すから」
と、うれしいお話。横で職員が手を左右に振りながら目くばせ。
いつもこの調子で、後で何も覚えていないそうな。
これでは家族も大変だろうな。
別の施設で、蠟梅(ろうばい)の花が活けられていた。私は何を
間違えたか「ボケの花がいっぱい」と言ってしまった。
シマッタ シマッタ。職員の表情が凍りつき、私は狼狽。
そこからは もう次の仕事が来なくなった。
ボケたらあかん。
豊臣秀吉と淀君の間に生まれた御子「秀頼」といえば、
テレビドラマでは「草食系・イケメン」の人気スターの
役どころだが、実は実は、大相撲の「把瑠都(バルト)」
並の巨漢だったという。
江戸時代初期、真田増誉が書いた『明良洪範』にある。
「秀吉公ノ実子ニアラズ 大野修理ト密通シ捨君ト秀頼君ヲ
生セ給フト 」とあり、「身長6尺5寸(約197cm)・体重43貫
(約161kg)の並外れた巨漢であったと書かれている。
三千人もの女と関係しながら、妊娠させられなかった秀吉である。 淀君が生んだ秀頼が秀吉の子ではないことは、当時の人も 思っていたようだ。淀君の不倫の相手は「大野修理」と 明記されていることもすごい。他にも噂の相手はいるが。
さて、『長澤聞書』にも「世に無き御太り」と記されている。
「家康が二条城で秀頼と会見した時に、秀頼の巨体から
かもし出されるカリスマ性に恐怖し、豊臣家打倒を決意した」と
記録するものもあるほど、武将としての威厳はあった。
秀吉は「身長が5尺(約152cm)もない小兵だった」と言われて
いるので、実子かどうかが疑われる一因になっている。
顔には、天然痘の後遺症である痘痕も残っていたともいう。
「秀頼ファンの歴女」には、失望させて申し訳ない。
NHK大河「真田丸」では、誰が秀頼を演じるのだろう。
尚、加藤清正、藤堂高虎も6尺(180cm)を越える巨漢だった。
「現代の若者は、仕事がない、未来がないなど “不幸な若者”という価値観が定着しているけれども、 多くの若者は 現状に満足している」?。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
政府の統計によれば 「20代の生活満足度は 約7割で
過去最高」。若者自身に、自分たちが弱者であるという
当事者意識は ほとんどない。
実際、今の日本は歴史上まれに見る「豊かさ」の中に
ある。ユニクロで服を買って、大戸屋でご飯食べて、
夜はtwitterで呼びかけた友だちと鍋。あんまりお金を
かけずに、そこそこ楽しい生活ができてしまう。
「格差社会・貧困社会是正」などを掲げたデモ行進に
参加する若者はごく一部で、デモも“お祭り”気分の
ノリであって、かつての安保闘争のような行動を
起こす気はサラサラない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と、言われてみれば たしかに、毎晩、名古屋駅前の 繁華街は 幸せそうな若者であふれています。
惨めに見えるのは年金暮らしの高齢者。働かなくても 年金でそこそこ暮らせるのに、時代に取り残されていく焦り、 若者と接点がもてない侘しさを感じるのは私だけ?
「自らの死を自覚した時、人は ますます輝きを増す」という。
●作家「高見順」の『死の淵より』
「窓の外は 光に満ち、いきいきと息づいている。
この世は、人間も自然も 幸福に満ち満ちている。
この世は実に幸せそうだ。それが私の心を悲しま
せないで かえって私の悲しみを慰めてくれる」
●医師「井村和清」の『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』
「私は不思議な光景を見ていました。世の中が輝いて
見えるのです。買い物客が輝いてみえる。走り回る
子供たちが、犬が、稲穂が雑草が、小石までが 美しく
輝いて見えるのです。妻も 手を合わせたいほど 尊く
見えたのでした」
●精神科医「西川喜作」の『輝け 我が命の日々よ』
「不愉快な記憶、悲しい記憶、嫌な記憶が、どれも
懐かしく 美しいものにさえ感じられる。私は今、
生きることの素晴らしさを感謝している。今まで
私はなぜ、この素晴らしさを感じとれなかったのか」
そう、釈迦も最後の言葉は「この世は美しい、
人間は美しい」でした。「生老病死」の悲しみも、
苦しみも、憎しみも恨みも嫌悪の心も消し去って、
ただ「美しい」と。
私も、最近 「世の中 “美しい”」 と 思えるように なってきました。いよいよ「お迎え」が近いようです。