諏訪大社の「御頭祭」が、旧約聖書のアブラハムとイサクの話
そのままということは前に書いた。御神体は「モリヤ」、神の名は
「ミサクチ=御イサク・チ」とまで、偶然とは思えない一致が見られる。
もうひとつの神事「御柱祭」も、「申」と「虎」の年、つまり七年ごとに
行われるということは、「アブラハムの宗教」と関連付けられる。
「アブラハムの宗教」では「7」という数字に特別の意味を持たせている。
伊勢神宮や出雲大社の遷宮が20年毎なのに、諏訪大社が7年というのは
特異なのである。
そして、諏訪の「御頭祭」や「御柱祭」がいつ頃から始まったのか。
諏訪大社の最古の文献「諏訪大明神絵詞」(1356年)に「寅申ノ支干に
当社造営アリ、一国ノ貢税、永代ノ課役、桓武ノ御年二始マレリ」と。
京都平安京に遷都した桓武天皇の御世と書かれている。
京都の地にはイスラエル人の秦氏が多く住んでいた。
桓武天皇はその秦氏の力を借りて「平安京」に遷都した。
イスラエルの首都「エルサルム」とは「神の平安を祈る」という意味とのこと。
まさに、イスラエルの民は東方の日本までたどりつき、京都の地に
「エルサルム(平安の都)」を建設したのだ。そして、その流れが
諏訪の地にも定住したのだと、私は考える。
諏訪の人は誰も、この話に耳を貸そうとしないが・・・・・。