山車の装飾には
石橋組の山車『青龍車』
前棚人形「布ざらし」と壇箱左右の風神と雷神
大幕(波上に勇む青龍)
中切組の山車『力神車』
五輌のうち最も建造が古く、1826年だそう。
前棚人形「猩々(面かぶり)」と壇箱左右が力神
側面の大幕(虎)
「猩々」というのは、中国の伝説上の、
赤い顔をして酒を好む動物だそう。
「猩々」という能があるそうで、
「猩々」という赤い童子のような専用面に赤い頭、
赤の装束と赤ずくめの格好で登場するのだそうです。
赤は「猩々」のイメージカラーだそうです。
日本古来の色で、極めて鮮やか赤色(大幕の色)で
猩々緋というのだそうです。
余談ですが、
マラリアは体に赤い発疹が出ることから、
猩紅熱とついたようです。
田中組の山車『神楽車』
前棚人形は「巫女の舞」と壇箱左右の蟇仙人と鉄拐仙人
この二人の仙人、対の形で描かれる事が多いのだとか。
大幕(牡丹に唐獅子)
後二輌は撮ってなかった・・・・・残念!
一つ一つの山車に、
色々な意味が込められているんだなと・・・・・感動!
山車がサヤ納めされる蔵?
入館無料で木曜休み
立川というのは江戸時代中期、
日光東照宮造営に参加した、立川小兵衛富房という人が、
江戸の本所立川で興した堂宮建築の流派だそう。
立川小兵衛富房の弟子で、
初代立川和四郎富棟が彫刻を特色とした流派を完成させ、
二代立川和四郎富昌は「幕末の甚五郎」と言われた名人で、
江戸幕府から幕府御用「内匠」の称号を与えられたのだそうです。
亀崎との関係は、亀崎が文政年間に、
立川和四郎富昌を山車造りに招聘したことで、
知多の匠が一門となり
知多に立川流の集団ができていったのだそうです。
しかし、亀崎に、天下一の彫刻師(美術館のチラシから)が
よく来てくれましたよね。
小さな美術館ですが、
展示されている彫刻、一見の価値がありますよ。
山車彫刻の修復等を行う店もありました。
山車が巡行する道に面した家々のガーデニングも
目を楽しませてくれました。
マーガレット
スイトピー
ヒイラギの実
是非、新見南吉美術館へ近いうちに行って、
時間があればまた亀崎に寄ってみたい・・・・・・・