おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

助かってホントに良かった安田純平さん

2018年10月28日 | Weblog

午前6時40分の気温はプラス1度。

寒く感じます。

いまはスカッと晴れておりますが、これから曇り時々雨の予報です。

きょうは10月最後の日曜日、どんな1日になるのでしょう…

さて、

2015年にシリアで行方不明になったフリージャーナリストの安田純平さんが先日帰国を果たしました。

生きて帰ってきて、ホント良かった。

それにしてもネットを中心とした「自己責任論」には、ゲンナリいたします。

安田さんはフリーのジャーナリストですから、一般人が入ることができないシリアに入って、いったい何が起きておるのか伝えるという使命感を持って、活動しておったのです。

入ったのも、捕まったのも、自己責任で片づけていいのかって問題なのだ。

戦闘地域の状況を世界に知らせるという義務感や責任感で入国したのが安田さんだ。

「カラスの勝手」ではないのです。

一番呆れたのは、高須クリニックの高須克也さんだ。

「この人には敬意ははらえません。兵士ではない。兵士ならば敵に媚びる捕虜だ。出でくるときは定番の作法を守ってほしい。まず『恥ずかしながら・・・』と謝りなさい」

これでは戦時中の「虜囚の辱めを受けず」と一緒です。

過日も書きましたけど、欧米では兵士が捕虜となって、その後帰国したら、ちゃんとした英雄ですわ。

兵士が捕虜になって帰ってきて「恥ずかしながら…」と貶める方がおかしいのです。

だからニッポン兵は捕虜になることができず、まったく悲しい選択肢として、「玉砕」という名の全滅や「バンザイ攻撃」による犬死を繰り返した。

典型的なのは以前も書いた「ノモンハン」だ。

200人もの死者を出しながら、フイ高地というところで奮戦した井置栄一中佐は「いつの日にか戦うことを期して生き残るため、残存兵力の消耗を防ぐ」として、260人の兵士とともにここを未明に脱出する。

実際には、水も食料もなく、フイ高地の兵士たちは餓死寸前だったとされる。

しかし、辻政信という将校はこれを非難、軍の命令に背いたとされ、井置中佐は責任を取らされる。

録音証言によれば、ある参謀が1週間、毎日1時間ほど、井置中佐のもとを訪れ自決を説得。

最後には銃を置いてきたという。

未明に井置中佐の部屋から銃声がしたのだという。

さらに、飛行機が故障し捕虜となった幹部パイロットも、自決を強いられておる。

おかげさんで、その後ニッポン兵は、捕虜になることを潔しとせず、玉砕、バンザイ攻撃で死ぬことになる。

酷い話です。

安田さんの場合は、もちろん兵士ではありません。

「恥ずかしながら…」などと言う必要は全くない。

それより彼の頑張りを褒めてあげるべきはないのかね。

ジャーナリストとしてシリアに入国し、そこで何が起きておるのか、世界に発信しようとし、捕まったのですから。

また、当たり前ですが、思想信条は違っても、自国民の生命財産を守るのは国の大きな役目なのだ。

ニッポン政府が安田さんを救助するのは当たり前のことですわ。

ま、今回ニッポン政府はすっかり蚊帳の外だったらしいですけどね。

以前、イスラム国にジャーナリストの後藤健二さんと、一般人の湯川遥菜さんが拘束されたとき、イギリスのロイターはこう伝えた。

「日本では、イスラム国人質事件の被害者を攻撃する者がいる」という見出しの記事を掲載したのだ。

被害者を攻撃する恥知らずが、ニッポンのネット上にはウヨウヨしておるってことを指して批判したのだ。

2004年、イラクで邦人3人が人質となった際も自己責任論が噴出した。

とくに現地でボランティア活動を行っていた高遠菜穂子さんが解放後、「今後も活動を続けたい」と発言したら、非難轟々でした。

これに対してアメリカのパウエル国務長官は「イラクの人々のために、危険を冒して現地入りをする市民がいることを、日本は誇りに思うべきだ」と発言しておる。

ニッポンとアメリカ、180度違うこの反応はどうだろう?

危険を冒してイラク入りした高遠さんを誇りに思わんでどうする!! とおぢも思ったね。

フランスのル・モンドも、「外国まで人助けに行こうとする世代が日本に育っていることを示した」と高遠さんを高く評価した。

いずれにせよ、自己責任だなどとバッシングすることではないのです。

ジャーナリストの仕事は、民主主義を守ることだ。

そのためには、命の危険を冒してまで伝えなければならんことがあるとして、紛争地帯に入る場合もある。

民主主義を守るために活動するジャーナリストをバッシングするなど、まったくのお門違いだと申しておきましょう。