一昨日は島内の女性たちからのリクエストツアーで、三原山の景色を見ながら説明する予定でした。
…が、山は霧(^_^;)。な~んにも見えなさそうでした。
で、店に集まっていただいて約2時間、プレゼン用の映像を見ながらお話しをさせていただきました。
最初は三原山周辺のダイナミックな火山を中心に、次に島周りの見どころを、そしてより身近な植物や人の暮らしへ…という順番で話を進めて行きました。
みなさん、最初からとても熱心に聞いてくださいましたが“ジオに関わる人の暮らし”のところでは、何人もの方が昔の暮らしを語ってくれて、逆に私が“勉強会を開いてもらって、色々教えてもらっている”状態でした(笑)
楽しい話をいっぱい聞いたので、ここで少し紹介します。
まず、ヤブツバキの活用方法ですが、私のつくった資料はこんな内容でした。
これを見た方から「私は椿の木を土台にして、山で動物の形をした溶岩を探してきて十二支を飾っていた。」という声があがりました。何日もかけて動物に見える形の溶岩を探したそうです。
“火山がつくった十二支”を探しに行く遊び…コレってスゴイと思いませんか?
「自分でつくった溶岩灰皿を家に飾ったり、露店で売ったりしていた」という話しと共に、火山と共にある人の暮らしが良くわかるエピソードですよね!(^^)!
そして、元町の風景を写した6枚の写真の中で、皆さんが一番盛り上がったのは下段左端の水がめの写真。
大島ではこれを「井戸」と呼び、天水をためて生活に使っていました。
そして皆さんの中には「昨年までまだ自宅の“井戸”の水を使って調理をしていた」という方もいらっしゃいました。
「水道水よりずっと美味しくて、珈琲を入れると味が違う」のだそうです。(放射能汚染が怖くて昨年から使っていないとのこと)
若い火山の島・伊豆大島は、溶岩が水を通さないほど細かく砕かれる前に次の噴火が起きてしまうので、地表の水はけが良すぎて昔から水の苦労が絶えなかったと言われています。
私が20数年前に島に来たころには既に水道がありましたから記憶の中に水の苦労はありませんが、この時集まった方達の中には実際にその苦労を体験さた方が、何人もいらっしゃいました。
水源から水を運ぶ時には頭に手ぬぐいを丸めて載せて土台にし、その上に水桶を載せて運んでいたそうですが、重い水桶を頭に載せてどうやって立ち上がったのかも実践してくださいました。太ももの筋肉が鍛えられそうな立ち方でした!
こうやって水を頭に載せて運ぶことを「ささぐ」と言いますが
「昔の人はしょっちゅうささいでいたから、みんな背筋がしゃんと伸びて姿勢が良かった。」のだそうです。
皆さん「ささいでよ~」を連発されていました!
さらに!
「あんこさんの衣装は前ダレで後ろに帯がないから体の線がハッキリでるし、腰でバランスをとって歩くから、すごく色っぽかったんですよ。」と教えてもらいました。
なるほど~!!
確かに水桶を頭に載せて背筋をのばし、腰でバランスをとって歩く女性は魅力的だったに違いありません。
今は観光用で使われることがほとんどの民族衣装(写真上段右)も、まさに大島のジオと結びついたものなのですよね(^。^)
皆さんと楽しくお話をしていたら、2時間がアッという間でした。
そしてこの2時間を通して“誰もが各自の生活の中で関われるジオパークの面白さ”をますます感じました(^^)v
「いつかジオパークの勉強会で昔の暮らしぶりを聞かせてもらう時間などもつくれたら良いなぁ~」と思いました。
それってまさに“伊豆大島ジオパークでしか語れない、オリジナルなジオ物語”であるはずなので(^。^)
最後に、参加されていた方の中のお一人が私に一句をプレゼントしてくださいました。
「三原山、世界類なき、科学の宝庫」
お気持ちが、すごくうれしかったです。
ありがとうございました(^O^)
(カナ)
…が、山は霧(^_^;)。な~んにも見えなさそうでした。
で、店に集まっていただいて約2時間、プレゼン用の映像を見ながらお話しをさせていただきました。
最初は三原山周辺のダイナミックな火山を中心に、次に島周りの見どころを、そしてより身近な植物や人の暮らしへ…という順番で話を進めて行きました。
みなさん、最初からとても熱心に聞いてくださいましたが“ジオに関わる人の暮らし”のところでは、何人もの方が昔の暮らしを語ってくれて、逆に私が“勉強会を開いてもらって、色々教えてもらっている”状態でした(笑)
楽しい話をいっぱい聞いたので、ここで少し紹介します。
まず、ヤブツバキの活用方法ですが、私のつくった資料はこんな内容でした。
これを見た方から「私は椿の木を土台にして、山で動物の形をした溶岩を探してきて十二支を飾っていた。」という声があがりました。何日もかけて動物に見える形の溶岩を探したそうです。
“火山がつくった十二支”を探しに行く遊び…コレってスゴイと思いませんか?
「自分でつくった溶岩灰皿を家に飾ったり、露店で売ったりしていた」という話しと共に、火山と共にある人の暮らしが良くわかるエピソードですよね!(^^)!
そして、元町の風景を写した6枚の写真の中で、皆さんが一番盛り上がったのは下段左端の水がめの写真。
大島ではこれを「井戸」と呼び、天水をためて生活に使っていました。
そして皆さんの中には「昨年までまだ自宅の“井戸”の水を使って調理をしていた」という方もいらっしゃいました。
「水道水よりずっと美味しくて、珈琲を入れると味が違う」のだそうです。(放射能汚染が怖くて昨年から使っていないとのこと)
若い火山の島・伊豆大島は、溶岩が水を通さないほど細かく砕かれる前に次の噴火が起きてしまうので、地表の水はけが良すぎて昔から水の苦労が絶えなかったと言われています。
私が20数年前に島に来たころには既に水道がありましたから記憶の中に水の苦労はありませんが、この時集まった方達の中には実際にその苦労を体験さた方が、何人もいらっしゃいました。
水源から水を運ぶ時には頭に手ぬぐいを丸めて載せて土台にし、その上に水桶を載せて運んでいたそうですが、重い水桶を頭に載せてどうやって立ち上がったのかも実践してくださいました。太ももの筋肉が鍛えられそうな立ち方でした!
こうやって水を頭に載せて運ぶことを「ささぐ」と言いますが
「昔の人はしょっちゅうささいでいたから、みんな背筋がしゃんと伸びて姿勢が良かった。」のだそうです。
皆さん「ささいでよ~」を連発されていました!
さらに!
「あんこさんの衣装は前ダレで後ろに帯がないから体の線がハッキリでるし、腰でバランスをとって歩くから、すごく色っぽかったんですよ。」と教えてもらいました。
なるほど~!!
確かに水桶を頭に載せて背筋をのばし、腰でバランスをとって歩く女性は魅力的だったに違いありません。
今は観光用で使われることがほとんどの民族衣装(写真上段右)も、まさに大島のジオと結びついたものなのですよね(^。^)
皆さんと楽しくお話をしていたら、2時間がアッという間でした。
そしてこの2時間を通して“誰もが各自の生活の中で関われるジオパークの面白さ”をますます感じました(^^)v
「いつかジオパークの勉強会で昔の暮らしぶりを聞かせてもらう時間などもつくれたら良いなぁ~」と思いました。
それってまさに“伊豆大島ジオパークでしか語れない、オリジナルなジオ物語”であるはずなので(^。^)
最後に、参加されていた方の中のお一人が私に一句をプレゼントしてくださいました。
「三原山、世界類なき、科学の宝庫」
お気持ちが、すごくうれしかったです。
ありがとうございました(^O^)
(カナ)