日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

マイルーム

2004-11-24 12:58:21 | ライフスタイル
コンビニエンスストアーの前で、飲食をしている学生達を初めて見たのはいつだっただろう?
5、6年前だったと思う。
その時は、ある種の衝撃というモノを感じたし、当時の「大人」は「最近の若者は、恥というモノがないのか?」と騒ぎ立てたような記憶がある。
その頃から、地下鉄の車内で堂々と化粧をする若い女性も頻繁に見るようになった。
いつも見ていて思うのだが、本当に機用である。
電車の揺れをものともせず、マスカラを2度塗り3度塗りしているのだから。
しかし、見慣れてしまえば「仕方ないわね~」という呆れ顔で見ることはあっても、特別な思いで見ることもなくなってしまった。
そうしたら・・・。
今日、お天気が良いことに誘われたのか?街路樹の銀杏の下で、ファーストフード店で買ってきたハンバーガーを人目を気にすることなく、堂々と食べている高校生~大学生くらいの男の子二人を見かけた。
彼等の食べているハンバーガーのお店は、店内で食べることも出来るし目と鼻の先の距離にある。
百歩歩けば、公園だってあるのだ。
いくら「陽気に誘われて」と言っても、片側四車線という広い道路に面し、人通りも絶えることがない場所なのである。
その姿を見ていらい「どうして彼等は、そんなところで食べているのだろう?」ということが、気になってしまった。
思い出してみれば、コンビニエンスストアーの前で飲食する若者達が問題?になったとき、盛んに言われたことが「マイルーム」ということであった。
昭和30年代、1960年代くらいに生まれ育った世代は「内・外」ということを、厳しく躾けられたはずだ。
いわゆる「恥の文化」ということである。
それが、時代とともに変化し「恥」の対象が「内・外」という枠ではなくなり、それによって行動規範も変化した=どこでもマイルームという説である。
確かに、仕事の資料を近所のファーストフード店で読んでいると、小さなお子さんを連れたお母様方がやってきて、子供そっちのけで話が弾んでいる傍らで、子供たちがハンバーガーや飲み物を食べ散らかし、店内を近所の路地のごとく駆け回っている。という場面には時々出くわす。
他人の目などは、親も子供も気にしていない!という感じである。
オバサンの領域に突入している自分からすれば「それでいいの?学力よりも知力のない子供になるんじゃない?」と勝手に心配すらしてしまうのである。

先日のブログに書いた、管理栄養士の先生資料を読み返して思ったことがある。
「食育」ということである。
食べるという行為は、人間の基本的欲望のひとつである。
ただ、社会性というモノを持っている人間は「食べる」行為に「マナー」というモノを加えることによって、「食事を楽しむ」ということが出来る。
好き嫌いなく、楽しく食事をする・・・「食育」はもっと注目されるべきことなのかも知れない。
楽しく豊かな食事をする基本は、やはり自宅のほうがあっている。