昨夜遅く、ある大物音楽プロデューサーの訃報が、報道された。
その大物音楽プロデューザーとは、クインシー・ジョーンズのことだ。
今の若い方が、どれほどクインシー・ジョーンズのことを知っているのかは、わからない。
ただ、私と同世代の洋楽ファンにとって、クインシー・ジョーンズは音楽プロデューサーやコンポーザーもちろんミュージシャンという、範疇を越えた存在であったことは、確かだった。
今朝になり、頻繁にFMからマイケル・ジャクソンの楽曲が流れているのは、クインシー・ジョーンズに対する敬意と追悼の意味があってのことだ。
そのことが分かるが故に、マイケル・ジャクソンが自分の兄弟グループ「ジャクソンズ」から、一人離れ活躍するようになった立役者としての凄さを感じることができるのだ。
まず、マイケル・ジャクソンについて改めて書く必要はないと思うのだが、幼少期からショービジネスン世界で活躍を始めたスーパースターであっても、一時期苦しんだ時代があった、ということをご存じの方はどれだけいらっしゃるのだろう?
幼少期、マイケル・ジャクソンは踊りと歌が上手い、クリっとした目が可愛い黒人のこども、として人気者になった。
当時は、人種差別がまだまだ厳しい時代。
ステージ上では、チヤホヤされてもステージを降りれば、強烈な人種差別がある、という幼少期でもあったのだ。
そして少年から変声期を経て青年になる過程において、「ジャクソン5」は「ジャクソンズ」と改名し、活動をするのだが、かつてのようなヒット曲には恵まれないという状況が続いていた。
世間はいつまで経っても、踊りがと歌が上手い、可愛い黒人の男の子、を求めていたということかもしれない。
時期的には、兄たちとの不仲説が言われた時期でもあったように思う。
そんな時、マイケルジャクソンがソロとして活動をする為にプロデュースを依頼したのが、クインシー・ジョーンズだったのだ。
既に、大物プロデューサーとして活躍をしていたクインシー・ジョーンズが、世に出したアルバムが「Off The Wall」だったと思う。
このアルバムで、ソロミュージシャンとしてのマイケルジャクソンの人気を決定づけた、と言っても過言ではないと(個人的には)考えている。
タキシードを着て、整形をする前のマイケル・ジャクソンの表情からは、「音楽の楽しさ」というモノを感じさせるだけではなく、ブラックミュージックに囚われることなく、幅広いジャンルの音楽を1枚のアルバムに収録することで、これまでの「踊りと歌が上手い黒人のこども」という、それまでのイメージを一新させることに成功したからだ。
クインシー・ジョーンズに関しては、「愛のコリーダ」という作品にも触れておく必要があるだろう。
作品タイトルを見て、邦画ファンの方なら分かったと思うのだが故大島渚監督の作品「愛のコリーダ」にインスパイヤ―されて作られた楽曲だ。
タイトルそのものに、日本語を使うという斬新さに驚いたが、クインシー・ジョーンズの魅力は幅広い文化的好奇心があり、それを音楽という場所でつくり上げる、ということに対して特別な才があった、ということだろう。
もし、クインシー・ジョーンズがいなければ、マイケル・ジャクソンは「スリラー」という作品をつくり上げることはできなかっただろうし、数多くの黒人ミュージシャンにスポットライトも当たらなかったかもしれない。
訃報を知り、1970年代~2000年代の洋楽シーンの中心にいたのだな、と改めて感じている。