日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

クルマの屋根にソーラーパネルが普通になる日が来るのかな?

2016-06-15 19:17:52 | マーケティング

トヨタの新型プリウスの発表があった。
今回のモデルで注目されたのは「屋根につけられたソーラーパネル」だ。
中日新聞:新型プリウスPHV、日本初公開 屋根に太陽光パネル

実は、数年前友人に頼まれ「ソーラーパネルの将来的使い方」というレポートを作ったことがある。
その時「PHVなどに、ソーラーパネルを設置する」というアイディアを出したことがあるのだが、「鉄腕Dash!じゃあるまいし」ということで、終わってしまった。
もちろん、クライアントである友人は面白がってはくれたのだが、荒唐無稽のような話だった。
なぜなら、自動車メーカーがその気にならないと、設置そのものができないし、車両に設置するためには様々な技術的問題や法的問題をクリアしなければ難しいだろう、と考えていたからだ。
ただ、友人と私の間では「アイディアとしては、十分ありえるね」ということだった。

それから数年たち、まさかトヨタがこのようなクルマを発売するとは、思っていなかった。
確かに、トヨタのプリウスはPHVの先駆けともいえるクルマであり、PHVの象徴ともいえるクルマだと思う。
だからこそ、このようなソーラーパネルを搭載したPHVを出すことを決めたのだと思う。

もう一つは、ソーラーパネルそのものの進化だろう。
私がレポートを作成していた頃は、住宅の屋根に乗せるソーラーパネルをイメージしていた。
そのようなソーラーパネルをクルマの屋根に乗せるには、クルマ本体の耐重性が問題になるだろうと考えていた。
その後、薄型軽量のソーラーパネルだけではなく、曲げるコトができる素材などが開発された。
パネルそのものの進化によって、軽量でクルマの屋根の形状に合わせることができるようになった、ということも大きいのだろう。

この新型プリウスのように、クルマの屋根にソーラーパネルがあるようになると、クルマそのものが「移動手段」という使い方から、違う使い方が生まれてくる。
例えば、熊本(大分を含む)大地震では、自家用車の車中で生活をする人が多かった。
大きな揺れの余震が続くことへの不安や、避難所となる学校の体育館ではプライバシーが確保できないなどの理由で、クルマでの避難生活を続ける人が少なくなかったのは、ご存じのとおりだ。
そのような人たちにとって、クルマが「電源」の役割を持つことで、避難生活の質がわずかではあるが向上するのでは?
何より「東日本大震災」では、携帯電話やスマートフォンを情報ツールとして使いたくても、充電が切れてしまったため、使えなかったということもあった。
緊急電源としての役割を、PHV車ができるということになる。

もちろん、お天気の良い日などは走行中にソーラーパネルで発電し、蓄電池に貯めることができるだろう。
EV車であれば、当然このようなソーラーパネル搭載のクルマが、一般的になるだろう。
そう考えると、新型プリウスのソーラーパネル搭載は、クルマの役割を変え、暮らしも(少し)変えるかもしれない。


ややマイナーな記念日?「父の日」

2016-06-14 20:19:33 | アラカルト

今度の日曜日は、「父の日」だ。
今月に入ってから、百貨店や大手スーパーのチラシなどには「父の日」という言葉が、目立つようになっている。
にもかかわらず、先月の「母の日」に比べ、ややマイナー感は否めない。

日本生命が「父の日」について調査をしたところ、お父さんたちにとっては残念な結果が出ている。
日本生命:ニッセイインターネットアンケート調査 6月「父の日」に関する調査結果について (注意:PDFファイル)

インターネットによる調査なので、インターネットが使える環境にあるか・否かという部分で回答者の偏りがある可能性はあるが、「父の日にプレゼントを贈らない」と回答している人が51.1%と、過半数を占めている。
しかも、その傾向は年々強くなっており、わずか3年前の調査よりも9ポイント近く、増えている。

「このような傾向は、なぜ起きてしまっているのだろう?」と、愚痴の一つも言いたくなる「お父さんたち」は多いかもしれない。
「母の日」にまつわる話は、子供の頃何度か聞いた記憶があるが、「父の日」となると「聞いたかな?」という程度の印象しかない。
「母の日」があるのだから「父の日」があっても良いでしょう、という感じで制定されたのか?という程度の認識しかない、という方も多いような気がする。
「母の日の二番煎じ」という印象だろうか?

それにしても、「プレゼントをしない」と回答している年齢層を見ると、若い世代に多い。
ということは、若い世代にとって「父親の存在」というのは、ある意味「煙たい存在」ということかもしれない。
ひと昔の言葉でいえば「威厳があって、近寄りがたい」ということになるかもしれない。
「口やかましい」のは、おそらく父親ではなく母親だと思うのだが、「口やかましい」分(いつの時代も)若い世代にとっては親密度が高いのかもしれない。

そう考えると、「友達のようなお父さん」が増えている、と言われているにも関わらず、その実「親密度」という点では、案外低いのかもしれない。
今から親密度をあげて、今年の父の日には間に合わないと思うが、来年に向けて「母さん」とは違う親密さを感じられるコミュニケーションを取ることが大切かもしれない。

そして個人的には、「新米パパにも父の日を」ということを提案したい。
子どもの成長と一緒に、お父さんらしく成長する第一歩だと思うからだ。
ちなみに、このアンケート結果には「今年プレゼントを贈る予定の人は、昨年もプレゼントを贈っている人が多い」という結果が出ている。
やはり「はじめの一歩」が、大事なようだ。


地方こそ、民泊を活用

2016-06-12 18:44:06 | ビジネス

今年に入ってから話題になっている「民泊」。
京都や東京などを中心に、「民泊」に対する制度などを整える動きがあるようだ。
京都は言わずと知れた、観光地。
東京は、2020年の東京オリンピック開催へ向けての準備の一環として、検討されているらしい。

確かに、京都などは中国人観光客の宿泊で、ホテルなどの予約が取りにくいという話も聞く。
逆に中国人観光客目当ての、違法な「民泊」をしている業者がある、という話もある。
東京にしても、宿泊施設の不足を懸念しての「民泊」推進、ということが大きな理由だろう。

東京が「民泊」を推し進めたい理由の「宿泊施設の不足」という視点で考えると、本当は地方のほうが「民泊」を推進したほうがよいのでは?という気がしている。
というのも、地方に行くと温泉がある地域などは別にして、圧倒的に「宿泊施設」が少ないからだ。
その理由はわかりやすい「観光地ではない」からだ。

現在自民党が中心になって推し進めている「地域創生」という観点から考えれば、「観光地ではない」からこそ、地域に眠る資産を見つけ「人を呼び寄せる」必要がある。
例えば、昨日の朝日新聞によれば「光害」により、日本の7割は「天の川」を見るコトができない、という。
朝日新聞:世界人口の3分の1、天の川見られず「光害」が影響
その「天の川」をはじめ、満点の夜空を楽しむためには、「光害」のない地方=田舎へ行く必要がある。
実際、名古屋で見上げる夜空には、星を観測するには難しい。
ところが実家がある鳥取では、それこそ満点の夜空をオールシーズン楽しむコトができる。
そのような「自然豊かな地域」で足りないものの一つが、「宿泊施設」なのではないだろうか?

もう一つ「地方」における「民泊」の活用には、過疎地における「空き家対策」という点でも魅力があるのでは?
地方に行くと、とても大きな家が空き家となっているケースがある。
様々な事情で、家を離れることになったのだと思うのだが、そのような家こそ自治体などが積極的に「民泊」などに利用することで、空き家対策にもなるのでは?

「自然」という資産だけで、人を呼び寄せることは難しいことは、重々承知している。
しかし、そこに地域の産業の体験ツアーなどを加えたり、郷土料理というグルメツアーを加えるコトで、一つの地域だけではなく、周辺地域を巻き込む「観光資源」を生み出すコトができるのではないだろうか?

その時、新しい宿泊施設ではなく「地域の暮らし」そのものが体験できる「民泊」を加えるコトで、より地域の魅力を発信するコトができると思うのだ。


日本版サンダース氏は、登場するのか?

2016-06-10 21:35:23 | 徒然

今日、昼間出かけたときある政党が、公園近くに選挙カーを止め政策を訴えていた。
告示はまだ先だが、すでに選挙戦は始まっているようだ。

しばし足を止め、聞いていたのだが、話の中心は「税の公平性」。
この演説を聞いて、トマ・ピケティ氏などが訴えている内容を言う政党が出てきたのだな~と、感じた。
そしてもう一つ思い出したコトがある。
それは米国大統領選で民主党候補として、若い層から絶大な支持を集めているサンダース氏だ。
サンダース氏の政策は、いたってシンプル。
「税の不公平を無くすために、富裕層(特に親から資産を受け継ぐコトによって巨万の富を得ている層)に対する重い課税」と「給付型奨学金制度の充実」だ。
もちろん、他にも政策として挙げられるものはあると思うのだが、この2つが政策の大きな柱だという印象がある。

サンダース氏を支持する若者たちは、以前「私たちは、99%(の側にいる)」という、プラカードを持ちウォール街を占拠した層だとも言われている。
「99%」というのは、今のアメリカ社会の富裕層と中間層以下の経済格差を示した数字である、ということはご存じの方も多いと思う。
共和党政権時代、1%の富裕層に対して税の優遇が行われたため、99%の中間層以下の人たちへそのツケがまわったことで、米国の財政は厳しい状況に陥っている、という指摘もされている。
何より、サンダース氏が政策として挙げている「給付型奨学金制度の充実」というのは、「学生ローン」で学費を賄っている学生が多い米国では、社会的問題となっている。
その問題を取り上げたのが、サンダース氏であった、ということだ。

考えてみれば、同じような問題を日本も抱えている。
特に「貸与型奨学金」により、大学を卒業した時点で巨額な借金を抱えてしまい、その返済に苦しんでいる若者は少なくない。
確かに、一部の私大で設けられているような「給付型奨学金」はあるのだが、受給される学生は多くはない。
もちろん、優秀な学生を集めるための制度なのだから、当然と言えば当然なのだが・・・。

今回安倍さんは、「リーマンショック以来の(経済)危機」という表現で、「アベノミクスを推進したい」と思っていらっしゃるようだが、すでに「アベノミクスは破たんしている」という指摘もある。
先日、「アベノミクス効果は、2次下請けまで届かず」という内容の、新聞記事を見かけた。
元々「アベノミクス」そのものは、大企業向けに行われた経済政策なので、1次下請けまでは恩恵を受けることができたとしても、2次下請け以下には波及しないであろう、という指摘は最初からあった。
自民党の考えそのものが、米国の共和党に近いコトを考えれば、「99%」までとはいかないにしても「経済格差」が広がる要素は、もともとあったのではないか?と思う。

米国民主党の大統領候補は、ヒラリー氏が確実としたがサンダース氏は「撤退・敗北宣言」をまだ出してはいない。
むしろヒラリー氏が、サンダース氏の政策をどれだけ取り込むコトができるのか?で、米国大統領選は大きく変わるのではないか?と、思っている。
日本では、サンダース氏のような「若い層が抱える問題」にフォーカスし、政策として伝えるコトができる政党や候補者が登場するのだろうか?



Windows10への強制的移行は、焦りのあらわれ?

2016-06-08 12:11:06 | ビジネス

今朝FMを聞いてたら、「強制移行」で話題となっている「Windows10」の話があった。
マイクロソフトの半ば強制的なWindows10への、移行については「強引すぎる」という指摘の他にも、既にインストールしてあるソフトが起動しない、などのトラブルが発生している。
それだけのトラブルや強引な姿勢に対する批判がありながら、マイクロソフトがWindows10へ移行させたい理由はなぜなのか?という話だった。

端的に言うと、「マイクロソフト側の焦り」ということになるらしい。
マイクロソフトのWindowsは、確かにPCのOSとしては圧倒的なシェアを誇っている。
おそらく市場に出ているPCのOSの大多数は、Windowsだろう。
しかし、スマートフォンやタブレットPCとなると、まったく違う状況になる。
スマートフォンの市場において圧倒的なシェアを誇っているのは、androidかappleのiOSだろう。
スマートフォンの市場においてWindowsもしくは、マイクロソフトのOSを搭載した機種は、あるのだろうか?と思うほどの状況だ(個人的には、まったく思い浮かばないのだが・・・)。

マイクロソフトが懸念しているのは、スマートフォンの市場が広がり続けていることだけではなく、IoTへの参入が遅れていることへの不安がある、という指摘なのだ。
確かに、IoTが一般化するコトで、スマートフォンの使い方そのものが大きく変わるのではないか?と、言われている。
いうなれば「スマートフォンのリモコン化」だ。
実際ソフトバンクは、「おうちソリューション」という、キャンペーンを展開している。
ソフトバンク:おうちソリューション
帰宅時に合わせて、スマートフォンでエアコンの操作をしたり、電灯をともしたり、電気の使用量をチェックできる「家電遠隔操作」をする、というサービスだ。

このようなサービスが一般化していくと、PCよりもはるかにスマートフォンのほうが便利が良くなる。
今でも、体重や運動量の「健康管理」に対応するOSの多くは、スマートフォンのOSであり、PCに記録させるためには、オプションが必要な場合が多い。
ウエアライブ商品の広がりもあり、スマートフォンそのものの位置づけも変わっていくかもしれない、という状況になりつつある。

そのような社会的変化の中、PCに対して圧倒的なシェアを誇っていても、これから先様々な家電や健康機器などとの通信・管理システムとしては、後れを取っているというのが、マイクロソフトの現状なのかもしれない。
だからこそ、Wiondows10への移行を進めることで優位性を保ちたい、ということのあらわれではないか、ということらしい。

スマートフォン市場でのOSに出遅れたことで、マイクロソフトはIoTへの対応にも遅れているとすれば、どのように挽回するのだろうか?
Winodows10への強引さとは別だと考える必要はあると思うのだが、なんとなく納得できる指摘だった。




舛添さんの東京都知事続投か否かのタイムリミット

2016-06-07 18:18:25 | 徒然

東京都知事の舛添さんの「お金の使い方」について、昨日「第三者」である弁護士さんの記者会見が、昨日あった。
様々なメディアが報じているので、詳細はご存じのとおり。結局のところ「限りなく黒に近いグレー」という印象だろうか?
もちろん、調査依頼をした舛添さんが雇った「第三者」なので、最初から期待があまりなかった。
何より「政治資金」に関する法律そのものが「ザル法」と言われるほど。
「自分で自分を律するコトができる政治家」のほうが、絶滅危惧種レベルの希少な人材なのかもしれない。

とりあえず、ご自身が雇った「第三者」によって、「違法性はない」とお墨付きを得た舛添さんは、「2020年の東京オリンピックまで続投したい」と、意欲を示している。
「続投したい」というのは、あくまでも舛添さんの思いなので、本当に続投できるのか否かを決めるのは、舛添さんではなく、東京都の選挙民が握っている。
それでも舛添さんが強気な発言ができる理由の一つは、今年の夏開催される「リオデジャネイロオリンピック」まで凌げば、何とかなる!という考えがあるのかもしれない。

ご存じのとおり、2020年の東京オリンピックの前に開催されるオリンピックが、「リオデジャネイロオリンピック」だ。
オリンピック閉幕式のセレモニーの一つに、「オリンピック旗の受け渡し」がある。
リオデジャネイロオリンピックの閉幕式で、オリンピック旗を引き継ぐのは東京都知事になるのだ。

この閉会式のセレモニーで、オリンピック旗を引き継いだ首長さんが、大会時まで首長をしているとは限らないが、世界中が見守る中であのオリンピックの旗を引き継ぎ、会場で大きく晴れやかに振るというのは、印象的な場面であり、閉会式の見せ場だともいえる。
その意味で、「東京都知事・舛添要一」というアピールが、世界という舞台でできるチャンスでもあるのだ。
その後の選挙で残念な結果になっても、閉会式での一番盛り上がるセレモニーの主役として舞台に立つ、という記録は残る。
だからこそ、舛添さんが「続投」の意思を強く表明しているのでは?という、気がしている。

そのように考えると、舛添さんに対するリコールなどを起こし、違う東京都知事がリオデジャネイロオリンピックの閉会式に参加してもらうためには、今月中がリミットということになるような気がする。
実際の選挙期間は2週間程度だとしても、辞任させるためのリコールや様々な手続きなどが必要だ。
とすれば、7月下旬には、新しい東京都知事が決まっている必要がある。
そこから逆算して考えると、今のこの時点で表立った「舛添降ろし」などの動きが無ければ、リオデジャネイロオリンピック閉会式には、間に合わないような気がする。
舛添さんは、間に合わないと思っているからこそ、「続投の意思」を強く表明できるのだと思う。

リオデジャネイロオリンピックの華やかな閉会式。
二人の首長が並び立ち、オリンピックの旗を引き継ぐその時、自信に満ちた満面の笑みでステージ上に立つ舛添さんの姿を、東京都民は見たいのだろうか?
東京都民ではない私は、見たくはないのだが・・・。


アース製薬、大幸薬品への出資で、見えてくるコト

2016-06-06 21:18:41 | ビジネス

日経新聞に、アース製薬が大幸薬品に出資する、という記事が掲載されている。
日経新聞:アース製薬、大幸薬品に5.78%出資、感染症予防で協力

記事にある通りの趣旨での協力体制、ということだと思う。
そして、このような出資をするコトでの事業協力は、増えてくると思う。
その理由として挙げられるのが、ここ数年社会的問題になっている「海外からの感染症」という点だ。
思い浮かぶだけで、「鳥インフルエンザ(SARS)」、「エボラ出血熱」とか「ジカ熱」など、人の活動範囲がグローバル化しているからこそ、懸念される「感染症」が増え続けている。

もう一つは、医療の分野でも「がん治療」よりも「感染症対策」のほうへと、移り始めていると実感するコトが多いからだ。
確かに「がん」という病気は、「人生の終わり」を思い起させる病気だ。
しかし、早期発見・治療ができれば5年生存率は80%以上という、がん種も少なくない。
抗がん剤を含む化学療法薬の進歩も、目を見張るものがある。
問題となるのは「薬価」と言われているほど、治療という面で考えると「日進月歩」以上の速度で治療方法が増えているのが、「がん治療」だと言われている(様々な「がん医療」に関するセミナーや公開講座に出席しての印象)。
その意味で、「がん」は「長期的に付き合う病気」という、位置づけになってきている。

その腫瘍専門医の先生方が「感染症が、最後に残る問題」だと、指摘されるコトが多いのも事実なのだ。
そう考えると、今回のアース製薬の大幸薬品への資本参加というのは、自然の流れだと思う。
むしろ、家庭用殺虫剤メーカーがウィルスの除菌などを得意とする薬剤メーカーとが事業協力していく、切っ掛けとなるのではないか?と思う。

もちろん市場となるのは、日本だけではない。
むしろ東南アジアを中心としたアジア地域、南米、アフリカなど国外への事業展開を中心に考えているのではないだろうか。
特に、今年はブラジル・サンパウロ リオデジャネイロで開催されるオリンピックに対して、「ジカ熱」の発生によって「感染」への不安が起きている。
「オリンピック」という華やかなイベントに、影を落としそうな感染症なだけに、関係者にとっては難しい対応が迫られる問題だと思う。

「感染症」というと、日本では「インフルエンザ」が一般的だが、世界という視点で見れば、いまだ解明されていない「感染症」は数多く存在すると思う。
「感染症」の怖い点は、「発生してみないとわからない」という部分があり、感染ルートや媒介となる生物などなど、不明な点が多い。
そのような「わからないコト」に対応するためには、近いようで違う研究をしている企業と協力するコトが必要となってくるはずだ。
その始まりが、今回のアース製薬が大幸薬品へ資本協力、という気がしている。



18歳からの投票で、選挙戦は変わるのか?

2016-06-05 08:25:12 | アラカルト

先日、ある文庫本を読んだ。
読んだ本というのは、ホイチョイ・プロダクションズの「電通マン36人に教わった36通りの「鬼」の気くばり」。
ホイチョイプロダクションズと聞いて、「あ~~」と思い出される方は、「ビックコミックスピリッツ」の愛読者だろうか?
ビックコミックスピリッツに掲載されている「気まぐれコンセプト」は、広告代理店を舞台のマンガで、実は私もよく読んでいた。
そのようなマンガの題材をつくっているからこそ、このような本が出来上がったのだろう、ということはわかる。
何より、タイトルにつけられている「鬼」という言葉は、電通の「鬼十則」(pdfファイル)からきたのだろう。

本の内容そのものは、「鬼の気くばり」というほどでもなく、ビジネスマナーとして当たり前のようなところが多い内容だったのだが(「それは、違う!」と思われる気くばりもあったが)、その中で一つ印象に残ったコトがある。
それは「雨の中、傘もささずずぶ濡れになって、ビールケースの上で選挙演説ができるのが、自民党」という内容だった。
ホイチョイ・プロダクションズの分析によると、自民党の選挙戦というのは「情に訴える型」だそうだ。
確かに「どぶ板選挙」という言葉がある通り、政策を街頭演説で訴えるというよりも、握手をし「選挙戦、頑張っております」と選挙カーで連呼、時には演説会の最後に「勝たせてください」の土下座だ。
先回の選挙でも、私の選挙区の自民党候補は「アベノミクスで、経済発展」とは言ってはいても、その「アベノミクスの内容」に触れるような演説は一切なく、そのあとは紋切り型の「選挙戦、頑張っております。応援お願いします」という、まさに「情に訴える型」だった。

今回の選挙から投票年齢が18歳からになる。
「情に訴える型」選挙というのは、投票年齢が高ければそれなりに効果があると思う。
なぜなら、「情に訴える」ためには、訴える相手が様々な経験をし「人の情」がわかっている必要があるからだ。
ところが18歳という年齢では、それは難しい。
まして今時の18歳は、SNSなどを日常的に使いこなし、マスメディアの情報を半分くらい信用をしていない。

一方選挙に立候補する側は、このようなSNSに疎い。
疎いだけではなく、選挙活動としてインターネットの使用は制限をされているはずだ。
選挙の投票年齢が下がる、ということは選挙戦そのものも変わる必要がある、ということになるはずだ。

何より「情に訴える型」の選挙戦が通用する相手と、通用しない相手が求めている政策の違いを、政治家自身が理解する必要がある。
投票する人すべてが、共感できる政策を作ることはできない。
「なんでもできます、やります」選挙公約が通じなくなったのも、今回の選挙だと思う。



日本の大手企業は、国内ベンチャーに興味が無い?

2016-06-03 18:29:20 | ビジネス

朝日新聞のWEBサイトに、トヨタ自動車がグーグル傘下のロボット会社を買収を検討している、という趣旨の記事があった。

朝日新聞:グーグル傘下ロボ会社、トヨタが買収交渉

この記事を読んで思い出したことが、3年ほど前グーグルが東大OBたちが作ったロボットのベンチャー企業を買収した、というニュースだった。

日経新聞:グーグル、ロボット事業に参入、東大発VBを買収

グーグルが買収をした東大発のロボットVB企業と今回トヨタ自動車が買収を検討している、ロボット会社とは違う会社のようだが、朝日新聞の記事を読んだとき「日本の大手企業は、国内ベンチャーには興味が無いのか?」と思ったのだった。
というのも、グーグルがロボット会社を次々と買収をするようになったのが、この東大発のベンチャー企業だったからだ。
何より、その後のロボット技術を競う国際大会では、日本勢は惨敗を期し、韓国勢が優勝をした。
このとき韓国勢が使っていた技術というのが、グーグルが買収をした東大発のベンチャー企業が開発した技術だった、と言われていたからだ。
惨敗した日本勢は、一から技術を開発するコトになったため、既存の技術を活用するコトができず、技術開発ができなかった、という話も聞いたコトがある。

何より、この東大発のベンチャーが企業となるまでの支援を、日本政府もしていたと聞いている。
ところが、日本国内の大手企業の支援なくグーグルが買収をした、という経緯を知ると「なんともったいない!」という気がするのだ。
と同時に、このような例は案外あるのでは?という、気がしてくるのだ。

確かに、ある程度成長をした企業を買収する、ということはリスクの少ないコトだとは思う。
ベンチャーとなれば、「海のものとも山のものとも、分からない」からだ。
しかしある程度、政府から資金支援を受けていたようなベンチャー企業であれば、当然そのリスクはある程度少ないのでは?
まして、政府の資金支援=税金が投入された「将来性が見込める」と政府が判断しているのだ。
にもかかわらず、なぜ日本の大手企業は、買収をしなかったのだろう?
「頭脳流出」という言葉があるが、これもまたカタチを変えた「頭脳流出」という気がする。
しかも単なる「頭脳流出」というだけではなく、「経済的流出」という一面も持っていると思うのだ。

日本の大手企業は「リスクをとる=挑戦」よりも、「安全・確実」を選ぶ傾向があると感じるコトは多い。
しかし、時には「リスクをとる」コトで、日本国内の様々な産業分野が活性化するチャンスがあると思う。
そう考えると、日本の大企業だからこそある程度のリスクを覚悟で、ベンチャー企業を支援し、一つの産業として成長させるサポートをしてほしい、と感じるのだ。


怒りの本質がわかっているのか?わざとなのか?

2016-06-01 20:56:44 | 徒然

今日から東京都議会が始まり、舛添さんが都知事として「所信表明」の演説をしたようだ。
その中で、舛添さんは「今後、ファーストクラスも(ホテルの)スィートルームも使いません」と断言されたようだ。
スポーツ報知:舛添知事の所信表明演説に都議会で怒声飛び交う「知事の資格ない」「きちんと説明しろ」

この「ファーストクラスもホテルのスィートルームの使いません」という発言があったのは、ご存じのとおり「高額すぎる海外(大名)出張」で指摘されたコトに対する、舛添さんの反省と今後の対応についての発言、ということだと思うのだが、的が外れているような印象がある。

「的が外れている」と感じる要因は、「ファーストクラスやスィートルームを使った」ということが、問題のすべてではない、と感じるからだろう。
海外出張そのものが、成果のあるものであったのか?という点や、本当にそれだけの費用をかける必要のあるモノであったのか?というトータル的な問題が前提としてあり、その一つが「ファーストクラスやスィートルーム」であった、と感じている生活者が多いからではないだろうか?

おそらく本来であれば「海外出張における、対費用効果などを勘案し、適切な支出をします」とか、「東京都民の皆さまから納付された税であるコトを常に念頭に置き、費用削減をする」という趣旨の演説である必要があったと思うのだ。
「ファーストクラスやスィートルーム」というのは、都民の多くはその支出に怒っているとは思うのだが、あくまでも「問題の象徴的部分」なのでは。

何より、傍聴席の都民は「公私混同」のお金の使い方に、怒りを覚えている。
とすれば、舛添さんがあえて問題の一部である「ファーストクラスやスィートルーム」を持ち出すコトで、問題のすり替えをしているのでは?
ご本人は、そう思っていなくても、傍聴席に詰めかけた都民の方々や報道を通して知った生活者には、「問題のすり替え」という印象を与えてしまっているように感じる。

もし舛添さん自身が、問題のすり替えではないと思っていらっしゃるとすれば、「公私混同」とも思われる政務費用の使い方などが、問題だとは認識をされていないかもしれない。
反対に「問題のすり替え」だと認識して、あえて言ったのだとすれば、舛添さん自身は「問題の本質」から目をそらしたい、という気持ちの表れなのかもしれない。