ウォールストリートジャーナルに、らしからぬ記事があった。
ウォールストリートジャーナル:ロックの神々の黄昏、その先にあるものは
サブタイトルにあるように、ここ1,2年ロック界の大物ミュージシャンが相次いで亡くなっている。
10代の頃から亡くなられたミュージシャン達の音楽を聴いて青春時代を過ごしてきた私としては、残念な思いと時代の移り変わりというモノを感じている。
そして気が付いたのだが、10代の頃からあれほど好きだった洋楽を、今ではほとんど聴かなくなっているのだ。
FM番組を聞いて過ごすことが多いのに、FM番組から流れる音楽はいわゆるJ-POPがほとんど。
時折流れる洋楽は、今というよりも私の青春時代の音楽だ。
テーラー・スィフトやブルーノマーズなども流れるのだが、「あ~ヒットした曲?」という程度の印象になってしまっている。
米国最大で最高の音楽賞であるグラミー賞でも、受賞楽曲はもちろん新人賞の受賞アーティストも、聴いたコトがあるよな~?程度の印象になってしまっている。
日本での洋楽市場そのものは、もっと急速に縮小している気がしている。
実際CDショップに行っても、目に入るPop広告は、J-POPばかりだ。
先日来日したポールマッカートニーのように、チケットが最高10万円、一番安いチケットでも4万円となると、コンサートに行ける人達は、限られてしまう。
記事にあるように、今やアメリカだけではなく日本でも大物ロックミュージシャンのコンサートに行けるのは、それなりの社会的ステータスと経済力のある人達のモノになってしまったのだ。
そう考えると、ロックという音楽の始まりが「若者の反骨的表現」と言われていたはずが、今ではある一定年齢以上の社会的ステータスと経済力のある人達の音楽になってしまい、市場そのものが高齢化、縮小化しているのかもしれない。
記事中にある通り、ベビーブーマーと呼ばれる世代(=日本での団塊の世代)そのものは、人口構成ではボリュームが大きいため、ある一定の市場の確保はできる。
しかし、発展していかない市場でもある。
ただこのような「高齢化による市場の縮小」というのは、ロックという音楽に限ったコトではない。
ご存じの通り、日本では急速な高齢者社会になりつつある。
そのためのサービスや商品が、次々に登場し新しい市場を創ってきている。
しかし、その「高齢者社会」そのものが、永遠に続くわけではない。
次に考えられるのは、市場全体が小さくなった社会だ。
今現在元気な高齢者でも、10年~20年すればその数は相当減るはずだ。
団塊の世代の数が減るのは、目に見えている。
新陳代謝を繰り返しながら、若い世代が共感できる市場を常に考える時代が、すぐそこにあるのかもしれない。