日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

対応の遅れが、問題を大きくした‐椎名林檎さんの新作グッズ‐

2022-10-14 20:26:25 | ビジネス

数日前から、一部の音楽ファンの間で話題になっていたことが、今日のYahoo!トピックスに取り上げられていた。
共同通信: 「ヘルプマーク」に酷似と困惑 椎名林檎さん新作グッズ 

上述したように、この問題というのは数日前から一部の音楽ファンの間で、話題になっていた。
その時も「ヘルプマーク」を本当に必要としている人に対して、失礼なのでは?という、ヤフコメ等があった。
因みに、記事中では「東京都が作っている」とあるため、東京だけでしか配布されていないと、思われる方もいらっしゃるかもしれないのだが、全国の自治体で無料で配布されているものだ。
ただ、「ヘルプマーク」をもらうための基準となるものが、はっきりとしていない、という問題も以前から指摘されていたような記憶がある。

まずこの「ヘルプマーク」というものについてだが、「内臓疾患や精神疾患等のように、外見ではわからない支援を必要としている人が、助けを必要としている時には、支援をお願いします」という、意思表示を示すタグだ。
本来であれば、医師の診断を基に医療機関経由で、自治体が交付するようなカタチが良いとは思うのだが、システム的にはまだまだ難しい点が多いのかもしれない。
まして「コロナ禍」で、医療機関そのものがパンク状態の為、現実的には無理なのだろうという、想像はできる。

さて、この椎名林檎さんのグッズの酷似というのは数日前から、一部の音楽ファンの間で話題になっており、その時の所属レーベルの対応は「協議中」というような内容だったと思う。
あくまでも公的機関が、障害を持っている人たちの為のタグと酷似している、という指摘があった時点で、何等かの対応をする必要があったはずだのだが、「協議中」というような言葉で濁し時間を空けてしまったため、このような一般メディアにまで報道されることとなってしまったような感じだ。

一部の音楽ファンだけの話題であれば問題がなかったのか?という訳ではないのだが、ボヤは早いうちに消火すれば大火災にはならない、という意味だ。
まして、問題が指摘されて時点で赤十字からも「グッズの取りやめ、デザイン変更」などの申し入れがあったと、記憶している。
それを野放しにしてしまったがために、大火災になりつつある、という状況なのだ。

それにしても、なぜこのようなデザインを起用してしまったのか、不思議でならない。
グッズには椎名林檎さんの名前にかけ、リンゴに陰陽のマーク「タオ」がデザインされていることから、アルバムタイトルのイメージからこのようなグッズを思いついたのだと思う。
とすれば、このデザインを起こした時点で、「似たようなデザインの有無の確認」をする必要があったはずなのだ。
何故なら、場合によっては版権を含めた、様々な権利侵害する可能性があるからだ。
「赤十字のマーク」だからとか、「タオのデザインは一般的に出回っている」から、権利侵害は起きないと考えたのかもしれない。

さらに残念だったのは、椎名林檎さんが所属しているレーベルが、「ユニバーサルレーベル」という、世界最大の多国籍レーベルであった、という点だ。
多国籍レーベルとなれば、レーベル展開をしている様々な国の事情を把握する必要がある。
日本ではOKなデザインであっても、欧州や東アジアでは✕という場合があるからだ。

このような点で考えた時、グッズのデザインチェックが甘かった、というだけではなく打合せ時点で問題視されなかった、という点でも問題を大きくしている。
問題を指摘された後の対応の遅れも、問題だがこのような制作段階ので一つひとつのチェックの甘さが、今回のようなことを招いたという気がしている。

ただこのようなことは、椎名林檎さんのグッズに限ったことではない。
一般企業の販促グッズでも起きる問題でもあると認識する必要がある。



マイナンバーの健康保険証一体化

2022-10-13 18:58:23 | アラカルト

今朝、FM番組を聞いていたら「マイナンバーカードと健康保険証を一体化する」という、ニュースがあった。
「健康保険証とマイナンバーカードの一体化」という話は、突然降ってわいたような話ではない。
以前から、マイナンバーカードが健康保険証として、使われている。
問題は、その普及率ということになるのであば、この春ぐらいから様々な問題点が指摘されるようになっていた。
問題点とは、「マイナンバーを健康保険証のように使うと、支払い額が増える」という問題だ。
朝日新聞:利用促進策・・・なの?低迷の「マイナ保険証」、4月に患者負担増 (2022年3月29日掲載) 

初診で21円、再診で12円、という金額は確かに、たいした額ではないように思えるかもしれない。
たいしたことではない、と感じられる人は、慢性疾患等を持っておらず、長期にわたる治療が必要となる病気やケガをしてこなかった、ラッキーな人なのだろう。
逆に、長期にわたる治療を必要としている人たちにとっては、わずかな金額でも重なることで、思いの他大きな金額となる。
なるだけではなく、節約することができない金額でもある。
値上げの理由が、医療費の一部を負担してもらう、という考えがあったようだが、それは、マイナンバーカード普及とは別の話のようだ。

「マイナンバーカードと健康保険証の一体化」という、半ば強制的な話が出てきたことで、生活者側は「何故?」という気がしているのではないだろうか?
朝日新聞:マイナ保険証、国はなぜ前のめり?拙速批判とまだファックスの現場 

前のめりのように感じるのは、今現在もマイナンバーカード普及の為に「マイナポイント」のキャンペーンを行っているうえでの、突然ともいえる「保険証との一体化」の発表だったからだ。
しかも政府は「マイナポイント」を、事業として行っている。
その事業費の代わりに、病院や診療所等に「マイナンバーカード対応のシステム導入」の補助金を出し、健康保険証として利用したときに診察費が安くなる、という方向にもっていった方が、単純にマイナンバー取得者が増えるような気がするのだ。

何より、「何故、マイナンバーが普及しないのか?」という問題点を、政府は考え・生活者からヒアリングをした方がよいのでは?
一番の理由は、「個人情報の流出」だろう。
というのも、政府肝いりの「デジタル庁」が発足してから、成果らしき成果がなく、掛け声だけの「DX(=デジタルトランスフォーメーション)」ということばかりだったからだ。
生活者の多くは「DX」よりも、「個人情報管理」という点の方が重要で、「デジタル庁」に対して期待していることは、「個人や企業、行政の情報管理」であり、そのことによって生活そのものが簡便になる、ということだからだ。
単に、IT産業の支援・振興というのであれば、現在の経済産業省が主体となってやれば良いのでは?

生活者と国が考えているスタートが違っているコトが、「マイナンバー」の普及を妨げているように思うのだ。
まして、朝日新聞の記事にあるように、現場ではファックスで情報をやり取りしている。
これは、「新型コロナ」の陽性者把握の時にも指摘されていたことだ。
現場がローテックなのに、一部だけにITを導入しても、それは効率化にも簡便化にもつながらないだけではなく、逆に手間がかかってしまう。

まず足元となるところから、改善をしてから「保険証の一体化」というステップを踏んで欲しいものだ。
後、5年毎の更新でパスワード等の再設定等は、高齢者だけではなく、多くの人にとって手間がかかり不便さを与えるだけなので、「生体認証」等を取り入れる事で、パスワードの更新等の手間は省けるようにしてほしいものだ。


「フットパスツーリズム」という旅行

2022-10-12 22:05:30 | アラカルト

昨日、国内旅行支援策が始まった、という関連のエントリをさせていただいた。
実はブログを書きながら、何かモヤモヤしたものを持ちながら書いていた。
というのは、以前「歩く旅行」について、エントリをした記憶があったからだ。
そのモヤモヤは何だったのか?と、薄い記憶をたどってみたところ、英国の「歩く権利」を基にした「フットパス」という旅行の在り方に、似ている事に気づいたのだ。
Beyond Health:「歩く権利」から生まれたイギリスのフットパス 

この記事を読んでいて、故エリザベス2世が領地であり亡くなられたバルモラル城の丘陵地を、杖を突いて歩く写真が何枚もあったことを思い出したのだ。
BAZAAR:素顔のエリザベス女王 保存版アルバム(4枚目) 

このような写真からも、英国では「歩くこと」そのものが、当たり前のことでありその場所は限定されるものではない、ということなのだと想像する。
それが「フットパス」と呼ばれる、丘陵地や森の中等を歩く「権利」のようなものへと発展したのだろう。

それに対して、日本では「歩く」ことそのものが、「どこかへ行く」という目的を持った行動となっているように思う。
「散歩」のようにあとでなく歩く、ということはあっても多くの場合「ある程度ルートが決まっている」のではないだろうか?
その一例が、京都の「哲学の道」かもしれない。
今は観光地となっている、銀閣寺から若宮神社までの約2㎞の道を、京都大学教授で哲学者であった西田幾太郎が散歩をしながら思想をしていた、ということから名付けられた小道(今では小道とはいいがたいが)だ。

しかし、高度成長期以降日本は「速さ」というものに、価値が置かれるようになっていったように思う。
その象徴的なものが、新幹線であり高速道路なのではないだろうか?
確かに、交通網の整備により高速化が実現し、これまで手に入れる事が出来なかった食べ物が、手に入りやすくなった。
と同時に、より速さが求められるように宅配等は基本「翌日配達」となった。
これらの「速さ」により、確かに生活の利便性は格段に上がったと思う。
思うのだが、その「速さ」を求めるあまり、忘れてきたものがあるような気がしている。
それが、カタチとしてハッキリさせたのが、「コロナ禍」だったようにも思えるのだ。
だからこそ、「日本文化を感じるフットパス」という提案が、されるようになってきたのでは?と考えている。

昨日エントリをしたような「日本文化を感じるためのフットパス」は、旅行会社が企画をしなくてはできないものではない。
むしろ、地域のことを知っている(はずの)地元の人たちが集まって、オリジナルのプランをたてる、という方法があるように考えている。
もちろん、プロモーション等については外部からの協力が必要だと思うのだが、その外部も地元出身で都市部でそのような仕事に携わっている人の協力を仰ぐ、という方法もあるはずだ。
逆に、「地元を離れていたからこそ見える価値ある風景」という発見があるかもしれない。


「旅行」のスタイルが変わるかもしれない

2022-10-11 20:50:38 | マーケティング

今日から、東京を除く道府県を対象に「全国旅行支援」という名のキャンペーンが始まった。
東京新聞:全国旅行支援、11日から始まる 東京は20日から コロナ禍からの経済再生を目指し 入国上限撤廃、イベント割も 
Bloomberg:今日から入国規制緩和ー外国人の個人旅行解禁 ビザなしも

今日から全国で宿泊を伴う旅行に関して様々な特典(=割引)がされ、「コロナ禍」で落ち込んだ観光業を盛り立てよう、という政策だ。
昨年(だったか?)の「Go to Travel」のカタチを変えた、観光支援策ということになる。
と同時に、海外からの観光客を対象に入国規制も緩和されることとなった。

海外からの観光客入国規制を全面的に緩和するのに、国内向けの政策が何もない、というのでは流石に整合性が無い。
国内の観光事業においても、まず国内の観光が以前の様になることで、「観光事業の安定」を目指したい、という気持ちもあったのではないだろうか?
タイミング的にも、国内旅行と海外からの入国規制緩和を同時に行うことが、国民の理解を得やすいと考えたのではないだろうか?

それにしても「コロナ禍」になってから、今日までの時間はとても長かったように感じる。
「Go to Travel」のキャンペーンが中止となったが、今年に入りWeb等では少しづつ旅行の広告を見かけるようになった。
もちろんWeb広告なので、テレビCMと同様のような内容になっている。
旧来と同じような感覚のテレビCMもあれば、新しい感覚のWeb広告もある。
個人的に目を引いたのが「OKU」というWeb広告だった。

サイトを見ると、「OKU Japan」という会社が手掛けているようだ。
ツアー内容も「熊野古道」や「中山道」、「四国巡礼」のように「歩く」ことを目的とした、「体験型」旅行と考えてよいだろう。
これまでのような、「観光地を巡る旅行」ではなく「自分の足で歩くことで感じられる、街の風景やその時々の季節」等、五感で楽しむ旅という提案の様だ。

このような「旅」の提案がされるようになると、今まで観光地ではなかった地方も「旅の目的地」となるのではないだろうか?
それは丁度1964年の東京オリンピックで、日本中がわいていた頃一人四国巡礼の旅していた白洲正子のような、「自分の為の旅」のような「内省と共感しあうような旅のカタチ」かもしれない。
とすれば、行政と一丸となり「地域のルーツ」という資産を、見つける事で新しい「旅」の提案を地方の行政が行う時代になるのかもしれない。


ロシアの「ウクライナ侵攻」と「クリミア戦争」

2022-10-09 21:24:38 | 徒然

朝日新聞のWebサイトを見ていたら、「クリミア」という言葉がいくつも出ていた。
もちろんこの「クリミア」というのは、昨日大爆発が起きた「クリミア橋」のことを指している。
朝日新聞:ウクライナ橋の崩落 衛星写真で明らかに 半島とロシアを結ぶ橋爆発 

朝日新聞だけではなく、4大紙と呼ばれる全国紙はこの「クルミア橋爆発」について、逐次報道をしている(はずだ)。
そしてこの「クルミア」という言葉を頻繁に目にしたことで、フッと高校の世界史で習った「クリミア戦争」を思い出したのだ
Reuters 情報BOX:クリミア半島の歴史や軍事的重要性 

ロイターの記事を読んでいただくとわかると思うのだが、「クリミア半島」は、西ヨーロッパ諸国とロシアとの「覇権争い」の舞台となっていた。
その当時から、西ヨーロッパvsロシアという構図は、変わってはいない。
今は「クリミア半島」を有する「ウクライナ」という国と「ロシア」という国の名前に変わったに過ぎないような気がするのだ。
もちろん、プーチン現ロシア大統領の考える「ウクライナ併合」の野望の理由は、「クリミア戦争」の時と同じではないと思う。
思うのだが、「ウクライナ侵攻」による「ウクライナ側支援国」vs「ロシア」という構図には、変わりがないのでは?ということなのだ。

19世紀の頃から「クリミア半島」の重要性は、ロシアが海外に進出するための重要な場所だった。
この「クリミア半島」をロシアが制すれば、ロシアは地中海へ進出する海上ルートを、確保することができた。
しかし、ロシアの進出を嫌う西ヨーロッパ諸国としては、オスマントルコ帝国の後ろ盾となり「黒海から地中海へと進出する海上ルート」を制する必要があった。
そのような情勢の中で起きたのが、「クリミア戦争」だったのだ。

今回爆発が起きた「橋」は、その海上ルートの代わりとなる「橋」だったようだ。
海上交通から橋へと代わったというだけで、この橋の持つ意味は「クリミア戦争」の時と代わってはいないはずだ。
ロシア側にとっては、この橋のルートを失うことで、「ウクライナ侵攻」制圧はますます難しくなった、ということになると思う。
ただ「クリミア戦争」が起きた時との対立構図は、さほど変わってはいないということにも気づくはずだ。
オスマントルコ帝国が、ウクライナへと代わったということになるだろう。

当初、ロシアがウクライナへ侵攻したときの理由は「ウクライナがNATOへの参加表明」に対する、制裁だった。
それが、今やその目的よりも「経済的な目的」の方が強まってきたのでは?という気がしてくるのだ。
それはちょうど「クリミア戦争」が起きた時のような、対立構図に代わり、目的も変化してきているような気がするのだ(あくまでも私個人の私見です)。





「円安」によって、国内生産に切り替えが始まった?

2022-10-07 20:29:19 | アラカルト

日本の円安傾向が、収まらない。
というよりも、今の状況は為替市場が安定せずにいる、という印象を持っている。
2か月ほど前のように、ドルだけではなくユーロ等に対しても、円安傾向だったように記憶しているのだが、円安傾向は継続中だが、ユーロ等も安定している感じではない。
全体を通して感じるのは「不安定さ」という感じだろうか?

この「不安定さ」の要因となっているのは、ご存じの通り「ロシアによるウクライナ侵攻」であったり、「中国の台湾に対する強硬な態度」ということになると思う。
このような状況の中で、日本企業が海外の特に中国の生産拠点を閉鎖し、国内へと移転し始めている。
これを「良い傾向」と言い切れる状況ではないが、国内移転により日本国内の雇用状況が改善するきっかけとなるかもしれない。
日本における「雇用状況」が決して良い状況にないからだ。

ただ手放しで「海外生産拠点から日本国内での生産」を喜ぶことが、できないでいる。
というのも「国内に生産拠点を移す」理由の中に、「人件費」等が含まれていると考えると「日本で生産した方が、人件費を含めても安価」という考えで国内移転を進めているのでは?という、気がするからだ。
このような状況は、果たして日本経済にとって良い状況と言えるのだろうか?と感じてしまうのだ。

確かに日本に生産拠点を移転させ、日本で生産をすることで生まれる雇用は、日本経済を動かす力となると思う。
思うのだが、高度成長期のような「輸出産業」ではなく、日本国内で経済を動かすという状況ではないのか?と、考えるとその限界というものも感じてしまうのだ。
しかも、生活者の中には「円高傾向になれば、また海外へ生産拠点を移すのではないのか?」という疑心暗鬼な部分もあるだろうし、雇用そのものが非正規雇用という不安定な雇用の可能性もある。

岸田首相が提言をしている「新しい資本主義」の考え方の一つである、賃金を上げるという政策が含まれていたと思うのだが、その「新しい資本主義」そのものの概要というかカタチとなるモノが、見えていないような印象を持っている。
故安倍元首相の「アベノミクス」は、大企業を厚遇することで設備投資や賃金の値上げ等がされるという、青写真を描いていた(という理解をしていた)。
ところがご存じの通り、賃金の値上げよりもより安価な生産コストを求め、大企業の資本力を活かし生産拠点を海外に移す、ということになった。
もちろん、今よりも「円が強い」という状況もあってのことだったのだが、結果として国内産業の空洞化が進み、非正規雇用が増えるということになった。

「アベノミクス」に対する検証をせず、新しく耳障りの良い言葉で、新しい経済政策を打ち立てようとしても意味がないのでは?
しかも今の国内生産への切り替えの要因となっているのは、全ての理由ではないが「アベノミクス」の失敗という部分もある。
とすれば、せっかく国内に生産拠点を移すのであれば、企業は「国内産業をどう発展させるのか?」ということを、キチンと考える必要があるはずだ。
今回の「『円安』だから、生産拠点を国内に移す」という理由ではなく、これからの日本の経済を支える生活者の「暮らしのビジョン」を企業として、考える必要がある時代になっているような気がするのだ。


ネーミングやデザインは大事

2022-10-05 20:07:22 | マーケティング

朝日新聞のWebサイトを見ていたら、「ネーミングって、大事だな~」と感じる記事があった。
朝日新聞:「ミシンは女性」のイメージ払拭へ 厚手縫える「オトコミシン」発売 

まず、「ミシンを使うのは女性」という、イメージを今の若い人たちは持っているのだろうか?
俳優の菅田将暉さんは、時折奇抜なファッションで周囲を驚かせることがあったが、その理由の一つにファッションデザインをする友人の影響で、自分で服を縫っている、という話を随分前にされていた。
確かに大学となると、「服飾系学部」を持っている大学の多くが女子大ということもあり、男子がミシン等を扱う機会が少ないように思えるのだが、ファッション系の専門学校等になると、男子学生も多いのでは?という気がしている。
かつて「女子しかいない」と思われていた分野、例えば「美容学校」のようなファッションとの関連が強い専門学校に関していえば、男子がどんどん進出しているような印象を持っている。
そう考えると、ファッション関連の分野では既に「ジェンダーフリー」という状況になりつつあるのでは?ということなのだ。

そしてファッション系の専門学校で出会うミシンというのは、一般的な家庭用ミシンではなく、職業用ミシンと呼ばれるミシンだ。
職業用ミシンは、家庭用ミシンと違い動力パワーが強い。
そのため、厚物等もグングン縫えてしまう。
ただし、家庭用ミシンのような刺繍ができたりするような「多機能」ではない。

ただ、一般的には「縫物=女性」というイメージが強いのは、確かだろう。
だからこそ、あえて「オトコミシン」というネーミングにして、家庭用ミシンの市場を拡大させたい、ということなのだと思う。
「オトコミシン」という発想そのものは面白いと思うのだが、そこに何故「TOKYO」とつけるのか?意味が分からない。
まして、大阪の企業が「TOKYO」というネーミングにすることに、ある種の違和感を感じる。
何故「オトコミシン」だけに、しなかったのだろう?

ネーミングは、その商品のイメージをカタチつくるキーワードとなる。
「TOKYO」とつけるには、それなりの理由があってのことだろうとは思うのだが、海外を意識するのであれば「NIPPON」とした方がよかったかもしれないし、より日本的なイメージを与えるのであれば、漢字表記という方法もあったはずだ。
アルファベットにすることで、モダンな印象を与えたかったのかもしれないし、職業用・家庭用問わずミシンの商品名表記にアルファベットが使われているということも、あったかもしれない。
デザインや色等を見てみると、いわゆる「アンティークミシン」と呼ばれる、古い足踏みミシンを思い起されるようなミシンなので、アルファベット表記にこだわる必要はなかったのでは?という、気がしている。

そしてもっというなら、上述したように男性向けと謳うのであれば、家庭用ミシンのようなデザインの職業用ミシンというという発想もあったのでは?
このメーカーが、家庭用ミシンメーカーということもあるとは思うのだが、ミシンの構造そのものは家庭用も職業用も大きく違う訳ではない。
むしろ、職業用の方がつくりがシンプルだと言われている。
その代わり、家庭用のような刺繍ができる等の「多機能さ」は無いが、男性向けに特化するのであれば「多機能」である必要はないはずだ。
というのも、縫いたい生地が家庭用ミシンでは縫うのが難しい生地を想定しているからだ。
とすれば、デザインやネーミングが「道具」っぽくしたほうが、ミシンを欲しい男性に訴求することができたのでは?という、気がしている。






「世襲政治」の典型か?

2022-10-04 20:00:43 | 徒然

今朝、FM番組を聞いていたら、「今更、世襲政治の典型的起用をするんだ」と、驚いたニュースがあった。
ご存じの通り、岸田首相がご長男を総理秘書官として起用する、という報道だ。
朝日新聞:岸田首相、31歳の長男・翔太郎氏を秘書官に 官房長官「適材適所」 

「適材適所」の人事なのか分からない、というのが世間の見方なのではないだろうか?
というのも岸田首相の長男・翔太郎さんという方を知らないからだ。
知らない人に対して「適材適所」と言われても、「はぁ~?」という感じしかないのだが、それよりも自分の息子を秘書官に起用した、ということに違和感を感じた方のほうが多かったのではないだろうか?

個人的にこの話を聞いたとき、思い浮かべたのが、故田中角栄氏と娘・田中真紀子氏の関係だ。
田中角栄氏は、首相という立場の時だけではなく、大臣時代から様々な場所に行くとき、娘である田中真紀子氏を連れて、出かけていた。
それは、田中角栄氏の妻であり田中真紀子氏の母が、表舞台に出る事を拒んだためとも言われている。
田中真紀子氏は、ファーストレディの役として、父親である田中角栄氏に随行していた、という訳である。
そして田中真紀子氏は、父親である田中角栄氏の随行をしていく中で、独特の政治センスを身に着け、政界へと進出をしている。
その時は、後援会等の支持基盤となる人たちからの、強い後押しがあったということも、知られた話だろう。

もう一人挙げるとすれば、小泉進次郎氏だろう。
変人とも言われた総理・小泉純一郎氏の次男で、自身も政治家になり政治家デビューの時には、人気タレント並みの注目を常に浴びていた。
小泉家等は、それこそ「世襲」という言葉が当てはまるような「政治家一家」であり、「政界のサラブレッド」という枕詞が、常についていた。
しかし、その期待に対して、現状はと言えば「・・・」という感じだろうか?

それに対して、今回の岸田首相がご子息を秘書官に抜擢した、ということとはニュアンスが大きく違う。
あくまでも個人的な印象なのだが、岸田首相の後継者として長男・翔太郎氏を指名し、政界デビューの準備のような印象を受けるからだ。
このような印象を与えると、世間ではネガティブなイメージの「政治家の世襲」ということが、言われるようになる。
このような人事は、選挙区では期待の次期政治家となるとは思うのだが、選挙区以外では、今回の人事に関しては良い印象を持っていない、という人の方が多いのでは?という、気がしている。

それは、岸田首相自身が首相という座について1年経っても、これといった実績や成果が感じられないからだ。
唯一の実績があるとすれば、国民の約半数以上が反対をしていた、安倍元首相の国葬を押し切ったことくらいだろう。
その国葬でさえ、弔問外交という目的がありながら、主要参列者は岸田首相ではなく今上陛下への挨拶が、目的だったのでは?というほど、岸田首相の存在感は薄かったように感じている。

岸田首相のこの1年を振り返った時、あまりにも実績となるモノがなく、首相としての存在感を感じられないのだ。
そのことは岸田首相ご本人が一番わかっているからこそ、ご子息の政治家への道筋をつけたい、という気持ちがあるのでは?と感じる、ご子息の秘書官起用だ。



駅前商店街と郊外のショッピングモール

2022-10-03 19:08:30 | ビジネス

先週、父が入院をしたため帰省をしていた、と少し書かせていただいた。
父が入院をしていた病院は、米子市内でも郊外にある急性期病院(=病床数が多く、緊急性と重症度が高い患者の治療を目的としている病院)と呼ばれる総合病院だった。
そのため父の治療説明等を受けるために、実家から駅までバスを使い、その後ほかの系統のバスに乗り換える、という地方にありがちな不便さを感じながら、病院に行くことになった。

駅前までバスを使い、駅前で他の系統のバスに乗り換える、というルートなので、駅前商店街を少なくとも2回は見るということになる。
帰省をするたびに感じていたのだが、駅前商店街の衰退というか寂れ感が、年々加速しているような印象を持っている、
それは「空き店舗」が、増えているというだけではなく、人通りそのものがとても少ないのだ。
当然、平日の昼間なので、人通りは週末ほど多くはないとしても、人影すらほとんど見ないという状況だったのだ。
というのも、駅前商店街から街中の繁華街につながるルートに、商店街があるため飲食店以外のお店も平日の昼間でもそこそこ人が入り、買い物等をしていたという記憶があったからだ。
そのルートに市役所や図書館、美術館といった公共施設もある、ということを考えれば、以前ほどではないにしても、それなりの人通りがあっても良いはずなのだ。

それに対して、父が入院をしていた郊外にある病院の近くには、大型ショッピングモールがある。
入院中の父が必要なモノを買いに行ったのだが、平日の昼間であっても巨大駐車場には、それなりの台数の自家用車が駐車している。
「散水効果」ではないが、大型ショッピングモール近辺には、山陰の海産物を食べさせてくれる食事処や、ショッピングモール内に出店していない家電量販店等があり、そちらのお店もそこそこの人が入っていた。
「平日の昼間」という、時間的条件は同じだが、巨大駐車場があるという理由で、買い物客が多かった、と考えるのは少し乱暴な気がしたのだ。

確かに地方での生活で「自家用車」は、必要なものだ。
実は、実家から病院まで自家用車を利用すれば、20分もかからない距離だった。
私のように自動車免許を持たないとなると、バスの乗り継ぎをするために1時間半以上の時間がかかってしまう。
「車がないと生活できない」という言葉の意味を実感する、ということになる。
ただ「車社会だから」という理由だけでは、無いような気がしたのだ。
それは、商店街からどんどん郊外へと行くと、いわゆるチェーン店と呼ばれるお店が増えていたからだ。
「地元資本」というと、大袈裟だが昔からあるお店ではなく、ここ20年位の間で全国展開をするようになったお店が、郊外に行くほど増えていくのだ。

バスの車窓がそのような風景を見ながら感じたのは「古いビジネスコミュニティー」と「新規ビジネスコミュニティー」ということだった。
「古いビジネスコミュニティー」というのは、駅前商店街のようなところで、昔ながらの商売を続けているコミュニティー。
「新規ビジネスコミュニティー」というのは、郊外型店舗や全国チェーン店のように、ここ20年ほどの間に郊外でビジネスをしているコミュニティーという、私の造語だ。
そして「古いビジネスコミュニティー」は、その関係性が強く「既得権益」のようなものを既に所有しているがために、「時代と共に変化する」ということがしにくいのでは?という、気がしたのだ。
そのため「商店街の活性化」ということが度々言われても、新規参入者が入りにくいビジネス環境を知らず知らずのうちに、つくりだしているのでは?ということなのだ。

それは同時に、子育て世代であるファミリー層などは入りにくい商業地域、と言えるのではないだろうか。
何故なら、子育て世代であるに求められることとは、新しさや便利さ等に加え、1日中家族が楽しめるレジャー的要素がある買い物の場所、だからだ。
確かに郊外にある大型ショッピングセンターは、駐車場も広く・利用料金もほぼ無料。なおかつ1日中家族で過ごせる場所だ。
商店街に全く同じようなつくりにすることはできなくても、「子育て世代であるファミリー層が楽しめる商店街」にするためには、ノスタルジックな、古いビジネスコミュニティーにしがみ付いていては無理のような気がした。






たかがおにぎり、されどおにぎり‐地域文化

2022-10-01 07:43:04 | ライフスタイル

実家の父が先週倒れ、緊急入院をしたため、今週実家に帰っていた。
遠距離老親介護の難しさと大変さを、実感した1週間だった。
これからは、このようなことが度々起こるようになるのだろうな~、と実感をした1週間だった。

退院をしたこともあり、昨日帰る時、米子駅前のコンビニで車中で食べる為に、おにぎりを購入した。
購入をしたときには、さほど気にしていなかったのだが、食べる時に「え!」とパッケージをしげしげとみる事になった。
それは、使われている海苔が「味付けのり」だったからだ。


小さく「味付けのり」と、表示されているのが分かるだろうか?

名古屋ではもちろん、東京駅のコンビニや駅に接続している百貨店のデパ地下でもおにぎりを購入することがある。
会社員時代には、仙台出張の時にも、デパ地下でおにぎりを購入したことがある。
その時使用されていた「のり」は、「焼きのり」だったような気がする。
知人の米穀店で販売している「手作りおにぎり」も、「焼きのり」を使用していたと思う。
それが「味付けのり」だったので、「おや?あれ??」という、気がしたのだ。

以前、何かのテレビ番組をTVerで見ていたら「おにぎりののり」という話題があった。
その時は、聞き流していたのだが「関西(厳密にいえば大阪だろうか?)は、味付けのり。焼きのりは使わない。味付けのりの方がおいしいじゃん!」と関西出身のアイドルが、話していたような記憶がある。

その時は「そうなのか…」と聞き流していたのだが、今回のように改めてパッケージを見て、食べてみると「おいしい」ということとは別に、「食文化の地域性」ということも知った気がしたのだ。
京都や神戸の方にお住まいの方からは「関西とひとまとめにしないでほしい」と、言われるかもしれないのだが、テレビ番組内での話だとご理解を頂きたいのだが、「食文化の地域性」ということも感じたのだ。

「焼きのりvs味付けのり」という対決ではないので、「おにぎり」という日常的な食べ物というだけではなく、20年ほど前までは「コンビニの売り上げ頭」ともいわれ、コンビニ各社が「おにぎり」にこだわった時期があった等ということを考えると、「おにぎり」という食べ物一つに「食の地域文化」のようなものが反映され、より生活者需要を高めようとしている、ということを実感するのだ。
むしろ、生活者にとって「おにぎり」が、身近な食べ物だからこそ、このような「食の地域文化」のようなものが、強く反映さる必要があるのだと思う。

「たかがおにぎり、されどおにぎり」ということなのだろう。