昨日3月8日は、「国際女性デー」だった。
新聞等でも「ジェンダーギャップ」等を切り口として、「女性の活躍」等をテーマに特集を組んでいた。
その中で、「やはり」と思わせる記事があった。
朝日新聞:女性の年収、20代後半から全産業で男性を下回る 朝日新聞分析
有料会員向けの記事となっている為、全文を読むコトができないのだが、掲載されているグラフを見るだけで、その「差」は一目瞭然だ。
年齢が上がるにつれ、男女の給与差は開いていく。
その理由の一つに「家計を担う」という考えがある。
政府等が「モデル家庭」としている「父・母・子供2人」という構成の場合、サラリーマンの父、専業主婦の母、就学前後の子供を想定している。
現実は、このような世帯は極々一部であり、仕事を持っている母は今や当たり前の存在になっている。
と同時に、子供の人数にしても2人ではなく1人という世帯の方が、増えつつある。
「モデル家庭」そのものが、今や過去の家族の構成であり、今を反映しているとは言い難い、というのが現状だろう。
ただ「モデル家庭」が示すように、「家計」という経済の収入部分を支えているのは父である男性だ。
その為、男性の結婚適齢期と言われる20代後半からあとは、男性の方が収入が高くなくては「家計」が支えられない、と多くの企業が考えているのでは?ということなのだ。
逆に入社当時が(ほぼ)同じというのは、「男女雇用機会均等法」によるものだろう。
違う言い方をするなら「入口は同じでも、知らぬ間に行くべき道が大きく離れていく」というとだろう。
それが「ガラスの天井」にも繋がっているのが、今の働く女性の現実なのだと考えている。
このような問題は、今に始まったことではなく、毎年のように指摘され続けているⅡもかかわらず、改善されない最大の理由は「国が変えようとしない」というところが大きいような気がしている。
勿論、「変化を望まない人達」が、数多くいることも確かだとは思う。
思うのだが、遅々として進まないのは、与党である自民党の女性議員がこの問題に声を上げない、ことにも関係しているのでは?
先日「赤いベンツ不倫」が発覚した女性議員は、昨年問題になった「パリ研修旅行(という名の、観光旅行)」の参加者の一人だ。
あの時、相当メディアやSNSで叩かれたように思うのだが、本人にはまったく感じていなかったようだ。
もしかしたらご本人は、「男性国会議員が不倫をしたり、二重生活を送っていても、党の役員になれたりしているのだから、女性が家庭以外にボーイフレンドを持ってどこが悪いの?」というくらいの感覚なのでは?
他にも、自民党所属の女性議員さんたちの発言を聞いていると「女性の被り物を着た、オジサンなのでは?」と、感じることが多々ある。
それが自民党内での処世術ということになるのかもしれないのだが、少なくとも女性の有権者から共感を得られることは無い。
そして昨夜、自民党の青年局で「乱痴気パーティー」のようなことをしていたことが発覚した。
しかも写真付きでの報道だった。
青年局と言っても、40代のオジサン国会議員たちだ。
世間的には、十分分別のある年齢のはずなのだが、肌も露わな女性を抱いたりする写真は「エロおやじ」にしか見えない。
「調子に乗ってやってしまった」位の感覚なのかもしれないが、このような女性を呼ぶ時点で下心があったと考えるのは、当然のことだ。
いくら言い訳めいたことを話しても、写真に撮られた光景を見れば、言い訳にもならないということが分かる。
本来であれば「女性の活躍」等を考える日なのに、政界では「若手」と呼ばれる議員たちの下心丸見え写真付き報道は、日本のジェンダーギャップ指数が上がることは無い、ということを示しているような気がした。
今日、昼間にスマホを見たら鳥山明氏の訃報が目に入った。
「噓でしょ?」と、疑心暗鬼になりながら、ニュースサイトにある記事を読んだ。
今月1日にお亡くなりになり、既にご遺族で葬儀等も終わられているということだったので、初七日が過ぎたことでの発表だったのかもしれない。
鳥山明氏の代表作と言えば、「ドラゴンボール」ということになるのかもしれない。
「ドラゴンボール」は、掲載された年数も11年余りという長い連載だった。
その為なのか?世代によって、読んだ時の思い出等も違うのではないだろうか?
初期の頃の子供時代の孫悟空のかわいらしさに、魅力を感じていた方もいらっしゃるだろうし、成長し様々な武道会で強くなっていく孫悟空に魅力を感じる方もいらっしゃるだろう。
ただ「ドラゴンボール」が、今でも多くの人達から愛されている理由は、漫画の連載期間が長かっただけではないと考えている。
むしろ、海外での「ドラゴンボール」人気を創りだしたのは、ゲーム化されて以降なのでは?と思っている。
元々日本のゲームは海外で人気高かった。
その人気を支えていたのは、「ゲームの神様」のような任天堂の横井軍平さん、その横井さんの後を継いだ「ゲームの申し子」のような岩田聡さんが次々とヒットゲームを発表していた、という背景もあったはずだ。
そして「ドラゴンボール」ゲームのシリーズを創りだしていたのは、任天堂のライバル会社・バンダイナムコだ。
良きライバル企業があり、発表される数々のゲーム作品を通して、「ドラゴンボール」という作品もまた、大きく成長し海外人気へと繋がっていたのではないだろうか?
とはいえ、私の世代にとっての鳥山明氏の作品と言えば、「Dr.スランプ」になるのでは?と思う。
とにかく、当時の「Dr.スランプ」の人気は凄かった記憶がある。
一つは、男性漫画家が描く、女の子(アラレちゃんは、女の子の形をしたロボットだが)が、とにかくカワイイかった。
それだけではなく、掲載していたのが男子中心に勧善懲悪的な話で進められる「少年ジャンプ」の中にあり、ドタバタ劇のようなストーリー展開、ということも大きかったのではないだろうか?
「Dr.スランプ」の連載によって、若い女性読者をそれなりに、獲得することができたのでは?と、想像できるからだ。
その人気の凄さは、掲載が終了した後も、アラレちゃんがかけていたメガネフレームが、男女問わず中高校生を中心に大流行したということでもわかる。
そう考えると、鳥山明氏がこの世に放った数々のマンガは、漫画という範疇を越えメディアミックスと呼ばれる、テレビや映画化、ゲームという様々なエンタテイメントに影響を与え続けてきた、という功績はとても大きかったのではないだろうか?
3月に入り、公立高校の卒業式が先日行われた(名古屋の場合)。
卒業式の後にあるのは、入学式ということになる。
私が子供の頃は、女の子は赤いランドセル。男の子は黒いランドセルという選択肢しかなかったが、最近ではとてもカラフルになってきている。
時折見かける小学生のランドセルは、赤いランドセルよりもピンクや淡い紫、水色と言ったパステルカラーから、こげ茶や濃紺と言ったダークカラーまで、色とりどりだ。
そして人気のランドセルは、入学する前の年のGW頃に購入しないと、お気に入りのランドセルが購入できないらしい。
なぜGWなのか?と言えば、祖父母がランドセルを購入する資金を提供してくれる為らしい。
確かに、最近のランドセルは高額な印象がある。
それだけではなく、教科書等のサイズがA4になったため、30年ほど前よりも一回り位大きくなっている。
小学一年生の小さな体では、大きなランドセルを背負うのも大変だろう。
教科書の大型化だけではなく、教科書の代わりにタブレット端末を使うということになると、ますます背負うのが大変になるかもしれない。
そんな「ランドセル市場」に変化が起きている。
「ランドセルの製造メーカー」以外からの参入が相次いでいる、という点だ。
京都の同志社大学に付属小学校が新設された時は、一澤信三郎帆布のキャンバス製のランドセルが起用され、話題になった。
話題になったのは、キャンバス製のランドセルという点ではなく、お家騒動だったのだが、有名私立大学付属小学校が一般的(?)なランドセルではなかったことでも、話題になったと記憶している。
その京都には、元々「ランリュック」と呼ばれる軽量なランドセルのようなリュックサックがある。
「ランリュック」を発売した頃は、採用する小学校も少なかったようだが、徐々に人気となり今では同様にタイプの「ランドセル」を採用する自治体も増えてきているようだ。
それが「教科書の大型+重量化」により、これまでのランドセルメーカー以外の企業が、「軽量・安価」を謳うランドセルを次々と発表している。
例えば、登山やトレッキング用品を製造・販売している、モンベル。
子供服の製造販売を手掛ける、ファミリア等だ。
モンベル:わんバッグ14
ファミリア BOLG:ランドセル
そして満を持して?という訳ではないだろうが、作業着等の製造販売を行っている、ワークマンが今年参入を始めた。
FASHIONSNAP:ワークマン初のランドセルは税込み8,800円、「低価格・高機能・軽い」バランス重視の開発の裏側
先日発表された、昨年の新生児の誕生は過去最低だった。
ということは、「ランドセル市場」そのものは縮小の傾向にある、と考えてもよいはずだ。
にもかかわらず、新たに参入する企業があり、その共通となるキーワードが「軽量」だ。
モンベルの場合、ランドセルの販売を発表した直後から、「大人のランドセルが欲しい」と、要望が多くあり現在では「大人のランドセル」も販売するようになった。
ピカピカの1年生だけを「ランドセル市場」として見ると、市場そのものは縮小していくことが目に見えている。
しかし、体の小さな小学一年生の体に負担のかからない「ランドセル型カバン」と視点を変えると、その市場は変わってくる。
新に参入している、異業種はそのような視点で市場を見ているのかもしれない。
現在、大統領予備選が行われている米国。
その中でも、予備選の山場と言われている「スーパーチューズディ」が、日本時間の今日だった。
結果は、トランプ氏が圧勝。
ここまで、共和党の予備選はトランプ氏が勝ち続けている。
ライバル候補と言われているヘイリー候補は、トランプ氏に勝った州はわずか1つだったように思う。
ご存じの通り民主党の大統領候補となっているのは、バイデン氏だ。
いうなれば、「後期高齢者候補者同士の大統領選」ということになるのでは?という、状況になってきていると言っても過言ではないと思う。
バイデン氏については、大統領になってから目立った政治的成果があったのだろうか?というくらい、話題になることが少なかったように感じている。
一つは、「新型コロナ」の世界的大流行の影響もあっただろう。
その為、積極的な政治主導の手腕が見られなかった、という気もしないわけではないのだが、それにしても目立たない大統領という印象がある。
ご高齢なので、スピーチ原稿のすっ飛ばしや人の名前の予備間違い等「やはり高齢だから、仕方ないの蚊?」と思うような、ビスも多かった。
にもかかわらず、民主党はバイデン氏継続を選んだ、という訳わけだ。
ただ、米国民でもないのに「後期高齢者」のような大統領で、大丈夫なのか?と、心配をしてしまう部分もある。
理由は簡単だ。
米国大統領という存在は、世界のリーダーとして君臨してきたからだ。
時々の発言が国際社会に与える影響は大きい、経済にしても同様だ。
「世界の警察」と呼ばれるほどの軍備力も持っている。
それら全てに、影響を与えることができるのが、米国大統領という存在なのだ。
そう考えると、共和党のトランプ氏圧勝に、「米国大丈夫?」という気がしてくるのだ。
高齢者であるという不安は勿論あるのだが、トランプ氏に対する人気が、今の米国の「閉塞感」のようなモノを表しているように感じているからだ。
前回トランプ氏が打ち出した政策の多くは、「American Fast」と呼ばれ「自国益優先」という考えだった。
その考えを支持してきた人たちは。「忘れ去られて人々」と呼ばれる、南部を中心とした旧基幹産業に携わる人達だった。
トランプ政権4年目になると、この「忘れ去られて人々」の多くが「トランプに期待していたけど、何もしてくれなかった」と言うようになる。
それが、共和党への不信となり、バイデン有利という結果になったように思う。
再び「忘れ去られた人々」が、トランプ氏に期待を寄せているとすれば、さほど大きな成果があったとは言えないバイデン政権を打ち崩すことは簡単だろう。
それは同時に、アメリカという国が「内向き」になっている、ことでもある。
米国内での「経済的格差の広がり」は、地域産業の衰退格差だとも考えられる。
おそらくトランプ氏は、衰退産業に対して有効な手を打つとは思えない。
しかし、共和党の党員の中でも南部の共和党員は、衰退産業の復活に期待している、ということのように思える。
内向き志向になった米国と、日本はどのように付き合っていくのか?考えなくてはならないと思う。
FM番組を聴いていたら、「自民党に対する潮目が変わってきた?」と感じるニュースがあった。
毎日新聞:元組織委理事の高橋被告、森元首相に証言要請、東京五輪汚職事件
東京オリンピックに関する汚職事件そのものは、ニュースで大きく報じられることは無くなった。
それは、汚職事件として関係者が逮捕・起訴された状況だからだ。
社会の関心も、今は自民党の「裏金問題」や「大阪万博」等に移りつつある。
勿論、年明けすぐに発生した「能登半島地震」等への関心も、まだまだ高い状況にある。
逆に言えば、すっかり東京オリンピックの汚職事件は、記憶の彼方へ行ってしまっていた事件、と言っても過言ではないかもしれない。
そのような状況で、汚職事件の中心人物ともいえる元組織委理事の被告の証言要請は、改めて様々なことを思い起させる切っ掛けとなるのでは?という、気がしている。
何より、これまでと大きく違うのは、被告が「森元首相の証言要請」をしている、という点だ。
森元首相と言えば、国際的スポーツイベントには、必ずと言っても良いほど要職に就いてきた自民党の中でも重鎮議員だ。
今は政治家としての活動はしていないようだが(少なくとも表舞台には出てきていない印象がある)、自民党の会合等では車いすで出席する姿も、メディアでとらえられていることを考えると、未だに自民党内での影響力は少なからず残っている、と考えてもよいだろう。
そして森元首相は、解散をした安倍派の元となった「清和会」に属している。
表には出ていないが、今回の「裏金問題」についても、何等かの関わりを持っていると考えるのは、当然のコトではないだろうか?
その森元首相に対して、「自分だけに責任を負わせ、素知らぬ顔をしている」ということに納得がいかなかったのか?証言を要請するということそのものが、異例なことのように感じる。
というのもこのような事件が起きた場合、薄々「裏で政治家が何かをやっていただろう」と、想像することはあっても、政治家が表舞台に引きずり出される、ということが無かったからだ。
表舞台に出なかったのは、やはり「国際イベントで甘い汁を吸わせてくれた恩義」のようなモノがあり、それを裏切るような行為は次にある(であろう)同様のイベントで声をかけてもらえなくなる、という利害があったからだろう。
それが、「裁判での証言要請をする」ということになれば、「自民党に遠慮する必要はない」と、考えたからなのでは?という、印象を持ったのだ。
確かに、今の自民党を取り巻く社会的イメージは、どん底と言ってもよいかもしれない。
内閣支持率の低下だけではなく、他の政党よりも高いとはいえ政党支持率も低下し続けている。
支持率低下を岸田首相一人に押し付けるには、無理があるという状況になっているのが、現在の自民党なのだ。
今回の「裏金問題」について、当事者は「秘書や会計責任者が、勝手にやったこと」で逃げているが、多くの国民はそのようなセリフを信用していない。
そのような社会的雰囲気だからこそ、東京オリンピック汚職事件での森元首相の証言要請になったのだろう。
上述したように「自民党に遠慮する必要はない=自民党に対する社会的潮目が変わってきた」ということになるのでは?と、感じている。
Huffpostを見ていたら、「震災と祭り」というテーマの記事があった。
正しくは、過疎が進む地域に残る伝統的祭りと震災、というテーマになるのだと思う。
Huffpost:「過疎地に国力を注ぐ必要はない」って、本当ですか?反論に続々と思いが集まった【能登半島地震】
1月1日に発生した「能登半島地震」だが、復興までの道のりはまだまだ遠いはずだ。
というのも、13年前に発生した「東日本大震災」ですら、復興という状況とは程遠い、と指摘されているからだ。
「東日本大震災」の場合、確かに「東京電力福島第一原子力発電所事故」という、これまでの災害とは違う事故が発生しており、同じように考えるべきではない、という方もいらっしゃると思うのだが、「一度衰退した地方の復興は難しい」という点では、同じ問題を抱えているのでは?と、考えている。
その最たるものが「地域の伝統的な祭り」なのでは、内だろうか?
「福島第一原子力発電所事故」により、全地域が避難地域とされた相馬には「相馬馬追い」という、勇壮な伝統的祭りがあった。
しかし、全地域が避難地域とされたため、地域住民がバラバラとなり避難地域から外れた今でも、かつてのような「相馬馬追い」ができない、という状況にあると聞く。
理由は、一度離れてしまった住人が「祭りに参加しにくい」という状況にある、ということだ。
地域の中で伝統的に守られてきた「祭り」は、「祭りの準備」という段階から、その地域全体が「祭りに参加する」という、ある種の連帯が自然に生まれ、それが祭りというカタチとなっているからだ。
そしてこのような「地域に根差した伝統的な祭り」は、海外からも注目されるようになってきているはずだ。
というのも、以前のような「爆買い」のような観光から、「体験型」へと旅行の目的が変わりつつあるからだ。
その最たるものが「伝統的な祭り」ということになるのではないだろうか?
この「伝統的な祭り」こそ、都市部では見ることができない「日本文化の体験」であり、欧州の富裕層にとっては「体験したい旅行先」となりつつあるのでは?と、感じている。
それは、昨年父の介護の為に一時帰省した11月の「出雲大社・神迎え」の頃に見た、海外からの観光客の姿があったからだ。
確かに、過疎地となってしまっている地域で震災が発生すれば、「既に人が減っている地域に、膨大な予算をつけ、復興する意味があるのか?」という指摘があっても、おかしくはない。
特に都市部で生活をする人達からすれば、「当然の指摘」だと思うだろう。
だからこそ、考える必要があると思うのは、「日本の伝統文化の継承は、誰がするのか?」ということなのだ。
それは「伝統工芸」と呼ばれるモノだけではなく、「伝統文化」も同じなのだ。
そう考えると、「伝統文化の観光化」ではなく「伝統文化を地域資産と考え、地域経済の一つの柱」と考え、振興するということは「地域の精神的復興」と言えるのではないだろうか?
この寒暖差の激しい毎日で、体調を崩したらしい。
昨日は、どうしてもブログを書く元気が無く、早々に休んでしまった。
そして深夜フッと目を覚ますと、近くにおいてあるスマホに「速報」が表示されていた。
その「速報」とは、米国のドジャースへ移籍をした大谷翔平選手が、結婚を発表した、という内容のモノだった。
別段大谷選手のファンではないのだが、常にさわやかな笑顔を絶やさず、マウンドやバッターボックスに立った時の、真剣な眼差し…メジャーリーグのシーズンになると、日々報じられるほどの大活躍をされている。
人気も実力も格の違いを見せるほど大活躍をされている大谷選手の結婚報告だ。
驚かないはずがない。
日本のメディアも、結婚相手は誰?と、色めき立つほどだったのではないだろうか?
その陰に隠れたかのように、昨日の岸田首相に引き続き「自民党の裏金問題」の渦中の人物たちの政倫審が今日開かれた。
話題としては、大谷選手の結婚よりも重要度の高いはずの政倫審なのだが、昨日の岸田首相の答弁を見て「茶番だな!」と思われた方々にとっては、今日の内容等は「聞くに足らず」という内容である、ということは最初から想像していたはずだ。
事実、昨日よりも想像ができるほどの、台本の茶番劇だったような印象を持っている。
人の注目というのは、喜ばしいことや悲しいこと等に対して高い関心を持つことが多い。
大谷選手の結婚報告等は、喜ばしいことであり、野球ファン・大谷ファンならずとも、お祝いを言いたくなるようなおめ出たい出来事だった。
それに対して、上述したように今日の「安倍派4人衆」の政倫審は、終始自分たちは、悪くないもん。あずかり知らないところで起きたことだもん!」という内容だった。
日本の政治家に限らず、日本の多くの組織は「言葉に出さずともわかってくれ」という、風潮がある。
特に主従関係がある状態では、この「言葉にせず、雰囲気で理解する」ということが、求められる傾向が強いと、感じている。
だからこそ、「私のあずかり知らない件」という言葉で、秘書や事務方となる人に責任を負わせることができるのだ。
そのような「察しの良い人材」が、政治の世界だけではなく企業の中でも重宝がられ、重用されてきたのだ。
だからこそ、多くの有権者は「政倫審」を開催した、という事実が重要であり、その内容は関係がないと、思って、茶番をするのだろうと、想像していたのではないだろうか?
有権者の方が、優れた台本を書いていたかもしれないし、その台本通りの展開に、ヤレヤレと思った方々も多かったのではないだろうか?
数年後、10年後の今日の記憶として残るのは、おそらく大谷翔平選手の結婚だろう。
逆に「自民党パーティー券裏金」については、思い出す人はほとんどいないのではないだろうか?
とすると、自民党安倍派の4人衆は、自分たちの悪さを忘れさせてくれた大谷選手に、感謝すべきかもしれない。