僕はびわ湖のカイツブリ

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“男のためのガーデニング”改め

御朱印蒐集~若狭国一宮 下社 若狭姫神社~

2017-11-09 19:58:58 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 「若狭国」は江戸時代の藩区分では福井県の南部のことをいい、現在の小浜市から三方五湖の辺りになります。
小浜市は奈良時代には海産物を朝廷に献上したとされ、江戸時代には北前船の拠点として栄えるとともに鯖の産地として、隣国の京都や近江へ鯖を運んだといわれています。

現在もその物流道は、「鯖街道」として名を残し、今でも地域の方には馴染みのある街道になっています。
その若狭国の一宮(その地域で一番社格の高い神社)となるのが「若狭彦神社」で、神社は上社である「若狭彦神社」と下社の「若狭姫神社」の2社からなります。



市街地に近い下社の「若狭姫神社」から先に参拝しましたが、神木の多さに心身が緑に包まれていくような気持ちがします。
御祭神は、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)で、日本神話にある「山幸彦と海幸彦」の山幸彦に嫁いだ神とされています。



神話の世界の話ですので理解しにくい話ですので要約になりますが...。
山幸彦と海幸彦が猟具を交換し、魚釣りに行った山幸彦が釣り針を無くしてしまいます。
困って海神の宮殿にいったところ、豊玉姫命と恋におちて結婚。

夢のような3年を過ごした後、山幸彦は海幸彦(兄)に釣り針を返すために地上へ帰ることになります。
その後身ごもった豊玉姫命が山幸彦を訪ねてきて出産しますが、産屋の中を見ないでと言われていたのに山幸彦は覗いてしまい...(略)。

神話の世界は何かを比喩しているのかもしれませんが、ハッピーエンドで終わらない話が多いですね。
余談ですが、この神話は「浦島太郎」のモデルになったともいわれているそうです。



境内の中にある見返り鳥居の向こうには「楼門」「神門」「本殿」が一直線に並んでいます。
すぐ脇に手水舎があり、流れる水で手を清めましたが、とても冷たくて水量がありました。
この水は境内の地下12mの伏流水を汲み上げているとのことで、奈良 東大寺のお水取りゆかりの小浜の神水ということなのでしょう。



楼門(随神門)は江戸時代の1743年の建築とされ、桧皮葺の飾り気のない八脚門でした。
通路の左右には「吉祥八人」という若狭姫神の遣族が4神づつ祀られていて見慣れぬ光景に少し驚きます。
門の正面に左大臣・右大臣が祀られている神社はありますが、通路側両面に祀られているのは見たことがないと思います。



楼門を抜けて境内に入ると、まず目を引くのが「千年杉」といわれる霊木になるのではないでしょうか。
神門・本殿と大きさを比較しても、その巨大な神木の圧倒感には驚きを隠せません。



神社の創建は721年とされており、現存する本殿ははっきりしたことは分かりませんが、楼門と同じく江戸時代の建築物ではないかと思われます。
若狭姫神社の本殿・神門・楼門(随神門)は3棟とも福井県の指定文化財に指定された建築物とのことです。



霊木「千年杉」は幹周り6m・樹高30mといわれる巨木ですが、両手を挙げた巨大な生物のようにも、神宝「七支刀」にも見え、迫力とエネルギーの強さを感じます。



境内には若狭の俳人の村田眉丈という方の句碑が建てられてありました。
「姫宮を出て彦宮へ秋日和」という句。



秋のよく晴れた日に若狭姫神社の参詣を終えて、次に若狭若神社へ参詣に行こう。
まるで若狭姫神社から若狭彦神社へ向かおうとしていた当方の気持ちを表すかのような句碑に見送られ、若狭彦神社へと向かいます。


コメント
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