京都左京区花園に建つ法金剛院は「関西花の寺 第一三番」に数えられ、「苑池」と名付けられた池には夏になると蓮が咲き誇り、極楽浄土を思わせる光景が見られるといいます。
また、鉢に植えられた蓮は約90種もあるといい、7月第2土曜日から3週間行われる「観蓮会」では早朝から寺院が開放されて蓮の花の鑑賞が出来るようです。
法金剛院は「花の寺」が強調されている寺院ではあるものの、重文指定された平安期の仏像群が素晴らしい寺院であり、蓮の季節の混雑を避けての法金剛院への参拝となりました。
花園界隈には仁和寺や妙心寺などの大寺院が並ぶ地域ですが、その間に挟まれた位置にこぢんまりと佇んでいるのが法金剛院でした。
法金剛院は平安時代の初期の830年、右大臣・清原夏野が山荘を建て珍花奇花を植え、嵯峨・淳和・仁明天皇の行幸を仰いだといい、夏野の死後は「双丘寺」を称したとされます。
858年になると文徳天皇が伽藍を建てて「天安寺」と称するも、その後衰退していったといいます。
寺院が復興されるのは1130年になってのことで、 鳥羽天皇の中宮であり崇徳天皇・後白河天皇の母である待賢門院によるものだといいます。
「法金剛院」と寺名を改めた寺院の最盛期には西御堂(丈六阿弥陀堂)、南御堂(九体阿弥陀堂)・三重塔・東御堂・水閣が並ぶ寺院だったとされます。
1279年になると円覚によって律宗に改められたようですが、残念ながら応仁の乱・天正・慶長の震災で堂宇を失ってしまい、元の壮観な堂宇が再び復興されることはなかったようです。
法金剛院は大通りに面して山門を構え、双ヶ丘を背にして建てられており、広大な寺院ではないが境内は回遊できるようになっている。
中門から境内に入るが、個人的には初めて参拝する寺社へ行くと最初に配置を確認してからまずは周辺部から歩き出すことが多い。
まず「苑池」を一回りしたが、花期を終えたとはいえ蓮が勢いよく咲いていた時期の様子が充分想像できる光景でした。
平安の昔から蓮の花が咲き誇る池の端から堂宇を眺めながら極楽浄土を思い浮かべてきたのは今も昔も変わらないということなのでしょう。
境内には苔の庭に石仏がひっそりと佇み、山側には20躰ほどの石仏群が祀られていました。
いつの時代に彫られたものか不明ですが、修復された跡が見られます。
この近くには特別名勝になっている「青女の滝」がありますが、その話は後ほどとして仏足石の方へと参ります。
こちらも制作年代は分からないものの、紋様ははっきりと残っていますので、それほど古い物ではないようにも思えます。
庭園を一回りして堂宇に向かうと、庫裡へと続く玄関の横を通ることになります。
鉢植えには蓮の名称を記載した札が建てられてあり、約90種の蓮があるというのも理解出来ます。
花期に訪れたらさぞや壮観な光景が見られるのでしょう。
本堂となる「礼堂」は1618年に再建されたもので「釣殿」と呼ばれる舞台とつながっている。
ただしこの御堂には入れず、仏像はさらに奥にある「仏殿」と「地蔵堂」に収蔵されている。
仏殿に入った瞬間に目に入ってきたのは丈六の「木造阿弥陀如来坐像(平安末期・重文)」で思わず“あっ!”と声が出てしまうほど貫禄がありつつも落ち着いた表情をされた仏像でした。
古くは平等院・法界寺と共に定朝の三阿弥陀と呼ばれていたようであり、仏師は院覚という定朝の系譜に連なる方だとされます。
法金剛院で最も気になっていた仏像は4臂・坐像の「十一面観音像(1316年・重文」でした。
4臂の十一面観音像は別の寺院で見たことがありますが、4臂で坐像というのは珍しいと思います。
実はもっと大きな仏像だと思っていましたが、実際は像高69cmほどの大きさで意外な小ささに驚きつつも、やはり仏像は実際に見てみないと分らないとの思いを強める。
仏像と共に素晴らしいのは十一面観音像が納められている「厨子(鎌倉期・重文)」で、三方開きの扉に描かれた天女は素晴らしく、仏像の背後や上方に垣間見える天井・背板の絵も実に美しい。
堂内には「僧形文殊菩薩(平安後期)」「木造地蔵菩薩(平安後期)」、藤原期の「不動明王立像」、十一面観音坐像の胎内に納入されていた「十一面観音摺仏・真言」、出土された藤原期の瓦などが展示。
また廊下の奥にある「地蔵堂」には平安後期の丈六「木造地蔵菩薩坐像(通称:金目地蔵)」始め、「天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道」の六道を表す地蔵菩薩が安置。
最前列には「閻魔大王」がおられましたので、閻魔大王に裁かれつつも、その化身である地蔵菩薩に救われる構図になっているとも言えます。
地蔵堂は通常非公開のため、内部には入れずガラス越しだったとはいえ、なかなか見応えのある地蔵菩薩群だったと思います。
法金剛院は「花の寺」として知られるとはいえ、やはりこの寺院は「仏像の寺」との思いを強めながら、境内にある「青女の滝」へと戻ります。
「青女の滝」は日本最古の人工の滝とされており、かつては自然の水が流れていたといいますが、現在はポンプで苑池の水を組み上げて循環させているようです。
今の季節は雨が少なく池の水位が低いため、ポンプの焼き付き防止のため、15分だけポンプアップしてまた止めていると係りの方に教えていただきました。
最初に行った時に水が流れていなかったのはポンプが止まっていた時間帯だったのでしょう。
“今なら滝が流れていますよ。”の一言に一旦出そうになっていた寺院の中へもう一度入れてもらいました。
法金剛院では春は桜、初夏に花菖蒲・紫陽花・菩提樹・沙羅双樹、夏は蓮、秋は紅葉、冬は仏手柑の実・千両・万両など各季節の花が楽しめるといいます。
今回はゆっくりと仏像が観たかったため、花の季節を外して参拝しましたが、蓮の花が咲き誇り早朝に開催される「観蓮会」の頃に訪れてみたい寺院です。
また、鉢に植えられた蓮は約90種もあるといい、7月第2土曜日から3週間行われる「観蓮会」では早朝から寺院が開放されて蓮の花の鑑賞が出来るようです。
法金剛院は「花の寺」が強調されている寺院ではあるものの、重文指定された平安期の仏像群が素晴らしい寺院であり、蓮の季節の混雑を避けての法金剛院への参拝となりました。
花園界隈には仁和寺や妙心寺などの大寺院が並ぶ地域ですが、その間に挟まれた位置にこぢんまりと佇んでいるのが法金剛院でした。
法金剛院は平安時代の初期の830年、右大臣・清原夏野が山荘を建て珍花奇花を植え、嵯峨・淳和・仁明天皇の行幸を仰いだといい、夏野の死後は「双丘寺」を称したとされます。
858年になると文徳天皇が伽藍を建てて「天安寺」と称するも、その後衰退していったといいます。
寺院が復興されるのは1130年になってのことで、 鳥羽天皇の中宮であり崇徳天皇・後白河天皇の母である待賢門院によるものだといいます。
「法金剛院」と寺名を改めた寺院の最盛期には西御堂(丈六阿弥陀堂)、南御堂(九体阿弥陀堂)・三重塔・東御堂・水閣が並ぶ寺院だったとされます。
1279年になると円覚によって律宗に改められたようですが、残念ながら応仁の乱・天正・慶長の震災で堂宇を失ってしまい、元の壮観な堂宇が再び復興されることはなかったようです。
法金剛院は大通りに面して山門を構え、双ヶ丘を背にして建てられており、広大な寺院ではないが境内は回遊できるようになっている。
中門から境内に入るが、個人的には初めて参拝する寺社へ行くと最初に配置を確認してからまずは周辺部から歩き出すことが多い。
まず「苑池」を一回りしたが、花期を終えたとはいえ蓮が勢いよく咲いていた時期の様子が充分想像できる光景でした。
平安の昔から蓮の花が咲き誇る池の端から堂宇を眺めながら極楽浄土を思い浮かべてきたのは今も昔も変わらないということなのでしょう。
境内には苔の庭に石仏がひっそりと佇み、山側には20躰ほどの石仏群が祀られていました。
いつの時代に彫られたものか不明ですが、修復された跡が見られます。
この近くには特別名勝になっている「青女の滝」がありますが、その話は後ほどとして仏足石の方へと参ります。
こちらも制作年代は分からないものの、紋様ははっきりと残っていますので、それほど古い物ではないようにも思えます。
庭園を一回りして堂宇に向かうと、庫裡へと続く玄関の横を通ることになります。
鉢植えには蓮の名称を記載した札が建てられてあり、約90種の蓮があるというのも理解出来ます。
花期に訪れたらさぞや壮観な光景が見られるのでしょう。
本堂となる「礼堂」は1618年に再建されたもので「釣殿」と呼ばれる舞台とつながっている。
ただしこの御堂には入れず、仏像はさらに奥にある「仏殿」と「地蔵堂」に収蔵されている。
仏殿に入った瞬間に目に入ってきたのは丈六の「木造阿弥陀如来坐像(平安末期・重文)」で思わず“あっ!”と声が出てしまうほど貫禄がありつつも落ち着いた表情をされた仏像でした。
古くは平等院・法界寺と共に定朝の三阿弥陀と呼ばれていたようであり、仏師は院覚という定朝の系譜に連なる方だとされます。
法金剛院で最も気になっていた仏像は4臂・坐像の「十一面観音像(1316年・重文」でした。
4臂の十一面観音像は別の寺院で見たことがありますが、4臂で坐像というのは珍しいと思います。
実はもっと大きな仏像だと思っていましたが、実際は像高69cmほどの大きさで意外な小ささに驚きつつも、やはり仏像は実際に見てみないと分らないとの思いを強める。
仏像と共に素晴らしいのは十一面観音像が納められている「厨子(鎌倉期・重文)」で、三方開きの扉に描かれた天女は素晴らしく、仏像の背後や上方に垣間見える天井・背板の絵も実に美しい。
堂内には「僧形文殊菩薩(平安後期)」「木造地蔵菩薩(平安後期)」、藤原期の「不動明王立像」、十一面観音坐像の胎内に納入されていた「十一面観音摺仏・真言」、出土された藤原期の瓦などが展示。
また廊下の奥にある「地蔵堂」には平安後期の丈六「木造地蔵菩薩坐像(通称:金目地蔵)」始め、「天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道」の六道を表す地蔵菩薩が安置。
最前列には「閻魔大王」がおられましたので、閻魔大王に裁かれつつも、その化身である地蔵菩薩に救われる構図になっているとも言えます。
地蔵堂は通常非公開のため、内部には入れずガラス越しだったとはいえ、なかなか見応えのある地蔵菩薩群だったと思います。
法金剛院は「花の寺」として知られるとはいえ、やはりこの寺院は「仏像の寺」との思いを強めながら、境内にある「青女の滝」へと戻ります。
「青女の滝」は日本最古の人工の滝とされており、かつては自然の水が流れていたといいますが、現在はポンプで苑池の水を組み上げて循環させているようです。
今の季節は雨が少なく池の水位が低いため、ポンプの焼き付き防止のため、15分だけポンプアップしてまた止めていると係りの方に教えていただきました。
最初に行った時に水が流れていなかったのはポンプが止まっていた時間帯だったのでしょう。
“今なら滝が流れていますよ。”の一言に一旦出そうになっていた寺院の中へもう一度入れてもらいました。
法金剛院では春は桜、初夏に花菖蒲・紫陽花・菩提樹・沙羅双樹、夏は蓮、秋は紅葉、冬は仏手柑の実・千両・万両など各季節の花が楽しめるといいます。
今回はゆっくりと仏像が観たかったため、花の季節を外して参拝しましたが、蓮の花が咲き誇り早朝に開催される「観蓮会」の頃に訪れてみたい寺院です。