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犬上郡多賀町にある「胡宮神社」にも紅葉狩りに足を運ばれる方も居られますので、通常混雑することのない国道307号線は、観光バスやマイカーが急増する季節になります。
胡宮神社では期間限定で「石造観世音立像」の特別公開がされており、一度その姿を拝みたいこともあり、胡宮神社へ参拝しました。
「石造観世音立像」は聖徳太子が諸国巡礼した際に奇石に聖観音像を彫ったとの伝承があり、胡宮神社を取り巻く周辺には古くからの信仰の歴史があるようです。
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山の麓にある胡宮神社の後方に聳える山は清瀧山といい、山上に磐座を祀り、古代原始信仰の対称として神体山として崇敬されてきたといいます。
奈良時代の聖武天皇の時代には近在の「水沼庄」が東大寺の荘園となり、30町歩を寄進され、鎌倉期まで東大寺との関係があったそうです。
水沼庄のある大字敏満寺にはかつて「敏満寺」という堂塔48宇余と言われた巨大な寺院があり、その規模は湖東三山と並ぶほどであったといいます。
敏満寺の創建については幾つかの説がありますが、6世紀~9世紀には創建されていたようであり、先の荘園の話からすると聖武天皇の時代には寺院として成立していたのかと思われます。
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しかし、1560年には浅井長政の兵火にかかり復興の途上の1572年、織田信長の焼き討ちによって廃寺になってしまったといいます。
敏満寺は湖東三山(西明寺・金剛輪寺・百済寺)と同じく天台宗の寺院であったといいますから、被害を受けたそれぞれの寺院の中でも最も被害を受けてしまったということになります。
胡宮神社は敏満寺の鎮守社であったとされ、再建後は多賀大社の奥之院・別宮とされることがあり、御祭神も多賀大社と同じ伊邪那岐命・伊邪那美命をお祀りしています。。
「石造観世音立像」が「要予約」となっているのを知らなかったため、ダメ元で世話方の方にお願いしてみると観音堂を開けてくださるといいます。
2人の世話方に案内されて観音堂を開けて入らせてもらうと、想像を越える独特の雰囲気を醸し出す石像が祀られていました。
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石造観世音立像には“聖徳太子が石造の聖観音を自作された”との伝承があるといいますが、鎌倉期のものではないか?といわれています。
自然石の高さは186cmあるといい、見えていない床下部分にも50~60cmあるといいます。
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観音堂の扉の部分は新しい修復がされているが、元々の建物は寛永15年(1638年)に建てられたものだという。
三間四面の観音堂の内部には外陣・内陣にあたる間があり、間近に寄って見せて頂けたのは実にありがたい。
世話方の話では“十一面観音の可能性もある”とのことで実際に頭部は化仏があるようにも見える。
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ところで、世話方から“山頂の磐座を見たことがあるか?見る価値があるよ。”と聞かれたが行ったことがないので“何分くらいかかります?”と聞く。
“わしらは休み休みなので30分はかかるが、あなたなら20分で行ける。”と勧められて山を登ることになる。
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登り始めてすぐの所に高圧電流の流れるフェンスがあるので扉を開けて中に入る。
そもそも電流の流れるフェンスなんてのは獣避けなんですが、毎度こうやって獣の檻の中に入っていくことになる。
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世話方から“最初はキツイがすぐに歩きやすくなる。”と聞いていたが、この木の階段登りはかなりしんどい。
距離感が分らないから先行きが不安になるが、ブッシュがないのが幸い。そこだけは安心です。
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と思いきや、シダがよく生えている場所に出る。
山の中に居るのは自分一人きりだし、あまり気持ちのいい道ではないがとにかく登っていく。
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いつになったら歩きやすい道になるんだろうと思いながら登るが、日頃の運動不足が祟って息が切れて仕方がない。
世話方が普段農業とかをやっているとしたら、年は取っていても当方より体力があるだろうことにここまで来てから気付く。
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中間地点を過ぎた辺りに「御池」へと下る看板があった。
御池は、御神体の磐座に参る時に身体や供物を潔斉する手水の役割と、日照りの時に御池の神に雨乞いした場所だといいます。
50mほど下って御池へ行くと小さな池があったが、降りた分だけまた登ることになる。
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木々の隙間から光が差し込んで明るくなってきたので到着かと思うと、“ここから いわくらのみち”の看板。
“野鳥の森”と案内板にあるが、山の中で野鳥の囀りはほとんど聞こえなかったのは今の季節ゆえかな。
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この清瀧山は双耳峰からなる山だといい、磐座のある場所は低い方の峰の頂上だといいます。
巨石を御神体として信仰して龍宮を祀り、長寿・豊作・雨乞の祈願をしていたこの場所はかつては選ばれた者しか立ち入ることが出来なかったようです。
そのため人々が麓から遙拝出来るようにするため、胡宮神社の社殿を造ったといわれ、山頂に御神体を祀る神社では同じような話を聞くことがあります。
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巨石信仰の磐座へ訪れたことが何度かありますが、そこで感じるのは圧倒的な神秘性と神々しさです。
胡宮の磐座は、神体山として古代より埋もれもせずに祀られ・守られてきたのでしょう。
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ところで、角度を変えて磐座を見て驚いたのは、磐座が人の顔のように見えてしまうことです。
飛び出した両目があり、鼻の下には大きく横に割れた口。
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こういった神聖な場所に来ると何か勘違いにも似た心境になることがあり、近くにあった石にも磨崖仏のようなものが見えてくる。
正面の上部に2躰あるように見えたが、これは思い込みの激しさゆえなのだろう。
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胡宮神社には何度か参拝していて清々しく気持ちのいい神社だという印象が強かったのですが、今回新たな魅力を感じました。
「石造観世音立像」は奇石に彫られた見応えのある観音様でしたし、山を登ってたどり着いた「胡宮の磐座」も神秘的な巨石でした。
予約なしだったにも関わらず観音堂を開けていただき、磐座へ行くことを勧めていただいた世話役の方にも感謝すると共にこれも縁だったのかと思う。