一休宗純は世に名前をよく知られ親しまれている禅僧ですが、それは禅僧としてというよりアニメ「一休さん」に描かれたような頓知(とんち)の小坊主の印象が強いですね。
安国寺で修行する一休さんが寺社奉行の蜷川 新右衛門とともに、将軍・足利義満や豪商・桔梗屋 利兵エを頓智でやり込める物語を覚えている方も多いかと思います。
アントニオ猪木が一休禅師の言葉として引用する座右の銘として有名になった、
この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる
迷わず行けよ 行けばわかるさ
いい言葉ではあるのですが、実は一休禅師の言葉ではなかったのは今回知ったことです。
通称・一休寺は鎌倉時代に臨済宗の大應国師が中国で禅を学んだ後、当地に禅道場(妙勝寺)を開いたのが始まりとされます。
その後、兵火によって復興ならずにいたものを一休宗純(六代法孫)が1455~6年に復興して、ここで後半生を送ったといいます。
「酬恩庵」は師恩にむくいるという意味で名付けられたようですが、現在では通称名の「一休寺」の方が有名となっています。
簡素な総門から入山することになりますが、塀は五本筋塀で堂宇のある側には堅牢な石垣が築かれていて、寺格を感じさせる造りとなっています。
一休寺は臨済宗大徳寺派の寺院ではあるものの、利休切腹の一因となった本山の三門とは随分と違いがあるようです。
入山すると左に手水舎、右に石垣、中心にはまっすぐに伸びる石畳の参道が続きます。
参道に植えられている樹はカエデでしょうか?一休寺は紅葉の名所だそうです。(「そうだ 京都、行こう。」キャンペーンで取り上げられている))
拝観の手続きを済ますと最初にある建物は「浴室(重要文化財)」となります。
1650年に加賀・前田利常(利家子息)によって建てられた重要文化財の建築物で内部は蒸し風呂になっているといいます。
手前の看板には東司・禅堂とならぶ三黙堂として静寂さを大切にする修行の場と案内されています。
浴室の右手には絵馬掛所が設けられており、アニメ一休さんのキャラクターのイラストもあります。
絵馬には「一善一年」の言葉が書かれ、屏風の虎を捕まえる一休さんの図柄が書かれてあるのが面白いですね。
浴室のある辺りで曲がると本堂までの苔むした参道が続いています。
右手には「宗純王廟」という一休禅師の墓所があり、1481年に当寺院で88歳で亡くなった一休禅師を祀っています。
門扉に菊花の章があるのは一休禅師が後小松天皇の落胤とされていて、墓所を宮内庁が御陵墓として管理していることにようものだそうです。
「庫裡(重要文化財)」は1650年加賀前田家によって建てられたもので、室内をつたって「方丈(重要文化財)」や方丈の三面にある方丈庭園へと周ることが出来ます。
庫裡へ入ってすぐのところには“虎を捕まえますから追い出してください”の頓智話を連想させる虎の絵の屏風があり、顔出しパネルを使っての撮影ポイントになっています。
見事な方丈の庭園を一回りした後、「本堂(法堂)」へと向かいます。
「本堂(重要文化財)」は1429~1441年に六代目室町将軍・足利義教公により建立された建築物とされ、本尊・釈迦如来坐像と文殊普賢菩薩像が安置されていますが、内部が暗いためその姿は確認出来ませんでした。
本堂横にある「宝物殿」を観てから、向かう先は「開山堂」で「妙勝寺(創建時の寺名)」を開山した大應国師を祀っています。
大正時代に改築されているようですが、様式は古式を充分に伝えるものではないでしょうか。
開山堂の奥には放生池があり、何ヶ所かに一休禅師の像が祀られてありました。
晩年の一休禅師の像には“頓知の一休さん”のイメージが濃い当方には違和感がありますが、宝物館に展示されていた頂相とはよく似ており、忠実に再現されているのかと思います。
むしろ若い姿の“一休さん”の方に親しみが湧きますが、この一休さんの銅像は聡明な一休さんにあやかろうとしてか頭の部分が撫でられてテカテカに光っていますね。
池に掛けられた小さな橋の横には“このはし わたるべからず”の頓智話が投げかけられていますが、なかには真に受ける人もいるかも?
奇妙で面白いのは寺院の山手にある「二十世紀の森」ではないでしょうか。
“一休酬恩会 1999”の看板がありましたが、数十体の珍妙な石仏が道沿いに置かれてあります。
羅漢像になるのだと思いますが、どれも不思議な像となっています。
共通するのは愛嬌があってどの像も笑みを浮かべていることで、実に洒落っ気のある石像たちでした。
ところで、寺院の出口近くには「三本杉」という一休禅師御手植の杉の名残りが残っています。
かつての三本杉は一休禅師・蜷川 新右衛門・蓮如上人が1本づつ植えたとの逸話も残ります。
樹齢500年の三本杉は1961年の第二室戸台風で倒れてしまい、今の杉は1965年に植え直した杉だといいます。
史実に基づく話がどうかは分かりませんが、蓮如上人と一休禅師の交流に関する話は幾つかあり、既存の宗教観にとらわれない逸話が残されているようです。
一休禅師の遺した言葉の一つに下のものがあります。
“南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ”
日常に当てはめ直すと実にうんちくのある言葉です。
アニメの一休さんじゃありませんが、“はーい。慌てない慌てない。一休み一休み…”といったところですね。
安国寺で修行する一休さんが寺社奉行の蜷川 新右衛門とともに、将軍・足利義満や豪商・桔梗屋 利兵エを頓智でやり込める物語を覚えている方も多いかと思います。
アントニオ猪木が一休禅師の言葉として引用する座右の銘として有名になった、
この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる
迷わず行けよ 行けばわかるさ
いい言葉ではあるのですが、実は一休禅師の言葉ではなかったのは今回知ったことです。
通称・一休寺は鎌倉時代に臨済宗の大應国師が中国で禅を学んだ後、当地に禅道場(妙勝寺)を開いたのが始まりとされます。
その後、兵火によって復興ならずにいたものを一休宗純(六代法孫)が1455~6年に復興して、ここで後半生を送ったといいます。
「酬恩庵」は師恩にむくいるという意味で名付けられたようですが、現在では通称名の「一休寺」の方が有名となっています。
簡素な総門から入山することになりますが、塀は五本筋塀で堂宇のある側には堅牢な石垣が築かれていて、寺格を感じさせる造りとなっています。
一休寺は臨済宗大徳寺派の寺院ではあるものの、利休切腹の一因となった本山の三門とは随分と違いがあるようです。
入山すると左に手水舎、右に石垣、中心にはまっすぐに伸びる石畳の参道が続きます。
参道に植えられている樹はカエデでしょうか?一休寺は紅葉の名所だそうです。(「そうだ 京都、行こう。」キャンペーンで取り上げられている))
拝観の手続きを済ますと最初にある建物は「浴室(重要文化財)」となります。
1650年に加賀・前田利常(利家子息)によって建てられた重要文化財の建築物で内部は蒸し風呂になっているといいます。
手前の看板には東司・禅堂とならぶ三黙堂として静寂さを大切にする修行の場と案内されています。
浴室の右手には絵馬掛所が設けられており、アニメ一休さんのキャラクターのイラストもあります。
絵馬には「一善一年」の言葉が書かれ、屏風の虎を捕まえる一休さんの図柄が書かれてあるのが面白いですね。
浴室のある辺りで曲がると本堂までの苔むした参道が続いています。
右手には「宗純王廟」という一休禅師の墓所があり、1481年に当寺院で88歳で亡くなった一休禅師を祀っています。
門扉に菊花の章があるのは一休禅師が後小松天皇の落胤とされていて、墓所を宮内庁が御陵墓として管理していることにようものだそうです。
「庫裡(重要文化財)」は1650年加賀前田家によって建てられたもので、室内をつたって「方丈(重要文化財)」や方丈の三面にある方丈庭園へと周ることが出来ます。
庫裡へ入ってすぐのところには“虎を捕まえますから追い出してください”の頓智話を連想させる虎の絵の屏風があり、顔出しパネルを使っての撮影ポイントになっています。
見事な方丈の庭園を一回りした後、「本堂(法堂)」へと向かいます。
「本堂(重要文化財)」は1429~1441年に六代目室町将軍・足利義教公により建立された建築物とされ、本尊・釈迦如来坐像と文殊普賢菩薩像が安置されていますが、内部が暗いためその姿は確認出来ませんでした。
本堂横にある「宝物殿」を観てから、向かう先は「開山堂」で「妙勝寺(創建時の寺名)」を開山した大應国師を祀っています。
大正時代に改築されているようですが、様式は古式を充分に伝えるものではないでしょうか。
開山堂の奥には放生池があり、何ヶ所かに一休禅師の像が祀られてありました。
晩年の一休禅師の像には“頓知の一休さん”のイメージが濃い当方には違和感がありますが、宝物館に展示されていた頂相とはよく似ており、忠実に再現されているのかと思います。
むしろ若い姿の“一休さん”の方に親しみが湧きますが、この一休さんの銅像は聡明な一休さんにあやかろうとしてか頭の部分が撫でられてテカテカに光っていますね。
池に掛けられた小さな橋の横には“このはし わたるべからず”の頓智話が投げかけられていますが、なかには真に受ける人もいるかも?
奇妙で面白いのは寺院の山手にある「二十世紀の森」ではないでしょうか。
“一休酬恩会 1999”の看板がありましたが、数十体の珍妙な石仏が道沿いに置かれてあります。
羅漢像になるのだと思いますが、どれも不思議な像となっています。
共通するのは愛嬌があってどの像も笑みを浮かべていることで、実に洒落っ気のある石像たちでした。
ところで、寺院の出口近くには「三本杉」という一休禅師御手植の杉の名残りが残っています。
かつての三本杉は一休禅師・蜷川 新右衛門・蓮如上人が1本づつ植えたとの逸話も残ります。
樹齢500年の三本杉は1961年の第二室戸台風で倒れてしまい、今の杉は1965年に植え直した杉だといいます。
史実に基づく話がどうかは分かりませんが、蓮如上人と一休禅師の交流に関する話は幾つかあり、既存の宗教観にとらわれない逸話が残されているようです。
一休禅師の遺した言葉の一つに下のものがあります。
“南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ”
日常に当てはめ直すと実にうんちくのある言葉です。
アニメの一休さんじゃありませんが、“はーい。慌てない慌てない。一休み一休み…”といったところですね。
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