湖北の巨樹は、大きくは「御神木」と「野神さん」の2つに分かれると思いますが、高島市の巨樹にはどのようなものがあるのか興味深いところです。
高島の巨樹で知っているところというと、酒波寺のエドヒガンザクラ・藤樹神社のダマの木・興聖寺(足利庭園)のスギ・葛川明王院のスギくらいなのが実際のところ。
<森神社>
少し調べてみると、神社の御神木に魅力的な巨樹があったものですから、巨樹を求めて高島市へと足を運びました。
最初に参拝したのは「森神社」で、この神社のタブノキの樹齢はなんと1200年。奈良時代末期からある樹と伝承されている。
神社には難なく到着したものの、車を停めるところがない。
神社近くで立ち話されていた人に“神社へ行きたいんですけど、どこか車が停められるところはありませんか?”と聞いてみる。
すると“30分~1時間程度ならうちへ停めていいよ。”とありがたい言葉に感謝しながら神社へと向かおうとすると、“裏から入ったらすぐに御神木がある。樹齢1200年だよ。”と教えてもらう。
すぐに御神木のタブノキが見えてくるが、独特の形といい太さ大きさといい、老いながらも威厳を持って立つ巨樹に圧倒される。
神社の案内板には“このタブノキは暖地性植物で温帯性植物が多く見られるこのあたりでは大変めずらしく貴重な存在だと考えられている”とある。
このタブノキは、何本かの支幹に分かれており折れていたり枯れていたりするが、幹周5.9m・樹高は25mあるという。
「古社取調書(1895年)」の中に「森神社境内には常緑樹が生い茂り老樹はどれも周囲が二丈(六メートル)に及ぶ」と書かれてあったとされます。
確かに、境内には古木が多く生えていて『森』のような神社ですが、中でもこの御神木は存在感が大きい。
地面にはムキムキとした根っこが張っていて、老いたりとはいえ健在な様子です。
側面から見ても幹は流々と盛り上がっており、注連縄は束を締め付けているような錯覚に陥ってしまう。
境内にある巨木の中で、御神木に次ぐのは拝殿の横にある2本並んだケヤキの木で、後方のケヤキは太さもある。
さほど広くはない境内で、街の中にある神社にも関わらず、松やスギではない大木が並ぶ姿は、古くからの神社の歴史を今も伝えているのだといえます。
ところで、神社の御神木とは反対方向に、目を引く宝塔がありました。
案内板によると、この宝塔は今から700年前、鎌倉時代の作。
石灰岩で八尺塔として造られたものだといい、高さは2m以上あり、欠損部はあるとはいえ、魅力のある宝塔です。
森神社から道を挟んだ場所には「親王さん(貞隆親王さん)」が祀られており、祠には石造り宝塔2基と石地蔵が祀られているといいます。
「親王さん」は、森神社の御旅所にあたるといい、境内社の饗庭神社がかつてあったところだとされます。
御祭神は、饗庭氏の祖とされる貞隆卿とされ、結界で仕切られた一角に立砂のようなものが祀られてありました。
<若宮神社>
安曇川町の西の山麓の集落・武曽横山には「若宮神社」が鎮座し、後方に控える山を越えると朽木の集落へとつながる。
山麓にある神社ということもあり、参道の入口となる鳥居の上にまで緑が覆いかぶさっている。
鳥居のすぐ横には「若宮神社の大椎」があり、すぐに目に入ってきたが、まずは参道を進み本殿へ参拝する。
参道は長く、木々が茂っており、参道を埋める落ち葉を踏みしめながら歩く。
緑に囲まれた参道をウグイスの囀りを聞きながら、カサカサと落ち葉が踏みしめられる音がよく響く。
若宮神社は、仁徳天皇を御祭神として祀り、鎮座地は磐衝別王の別業跡(別荘)・応神天皇の行在所だったと伝承されているといいます。
この日、高島市の道路を走行しましたが、このくらいの規模の社が幾つもあるのに驚かされます。
「若宮神社の大椎」と名の付くシイの木は、日本にはツブラジイとスダジイの2種類があるといい、この大椎はツブラジイだといいます。
このツブラジイは合体樹と思われますが、幹周は8m・樹高は30mという見応えのある巨樹です。
巨樹には近くに生えていた樹木どうしが成長するに連れ、合体して1本の木となっているのを時々見ることがあります。
人の世界には“袖振り合うも多生の縁”という言葉がありますが、ただ隣り合わせに芽生えたというだけで運命を共有していく合体樹には不思議なものを感じてしまいます。
太い幹をねじったような溝の文様が美しく、上部で何本もに枝分かれして葉もよく茂っています。
こういう幹の姿や合体した幹を見ると、生命感の凄さに圧倒されてしまいます。
神社の表参道の鳥居の横に神社を象徴するように立つ大椎。
参道にも何本かのシイノキがありましたが、その姿からは神の依り代としての威厳を感じます。
<阿志都弥神社・行過天満宮>
高島市には「西近江七福神」という七福神巡りがあり、その中の1社に「阿志都弥神社・行過天満宮」があったため、社名だけは知っている神社でした。
西近江七福神巡りは途中で中断してしまいましたので、お参りする機会がなかったのですが、神社に樹齢1000年とされるスダジイの巨樹があると知り、神社へと向かいました。
「阿志都弥神社・行過天満宮」の鳥居の横には、なんとも凄まじい姿をしたスダジイの巨樹。
これだけの巨樹を見ると、伝承1000年余と伝わる樹齢にも納得がいく。
「若宮神社のツブラジイ」もそうでしたが、シイノキとはこういう太い幹をねじったような溝が出来るものなのか?と不思議に感じてしまいます。
毎年4月の例祭の時に注連縄の張り替えが行われているといい、まだ何カ月も経っていない注連縄は新し感が残り、かなり立派な注連縄のようにも思える。
少し道側に傾いていますが、途中からは上方に向かって何本もの支幹が伸びているのが面白い。
スダジイを右側から見るのがよいか?左側から見るのがよいか?どちらから見ても迫力がある。
幹周は6.5m、樹高15mの巨樹は阿志都弥神社・行過天満宮の御神木となっています。
「阿志都弥神社」は木花開耶姫命を御祭神として祀り、「行過天満宮」は菅原道真を御祭神として祀り、両社が合祀されたのは天保14年(1843年)のことだとされます。
境内には阿志都弥神社・行過天満宮の左に「白山神社」、右奥に「稲荷神社」が祀られ、西近江七福神の福禄寿を祀る祠があったようだが見落としてしまった。
稲荷神社に通じる参道の入口にも大き目の木があり、こちらは幹の部分に大きな穴がある。
神社へはスダジイやこの木がある側から入りましたので、境内で社殿の向きに違和感を感じましたが、表参道となる道は別の方向にあったようでした。
巨樹の世界で言うと、日本には幹周(地上1.3mの高さで輪切りにするようにして測ることを基準とする)が10mを越える巨樹が何十本とあるといいます。
その中には伝承で樹齢2000年とか3000年とされるものがあり、滋賀県ではそこまでの巨樹はないとはいえ、巨樹に対する地元の信仰(野神さん信仰)など実に興味深いものがあります。
高島の巨樹で知っているところというと、酒波寺のエドヒガンザクラ・藤樹神社のダマの木・興聖寺(足利庭園)のスギ・葛川明王院のスギくらいなのが実際のところ。
<森神社>
少し調べてみると、神社の御神木に魅力的な巨樹があったものですから、巨樹を求めて高島市へと足を運びました。
最初に参拝したのは「森神社」で、この神社のタブノキの樹齢はなんと1200年。奈良時代末期からある樹と伝承されている。
神社には難なく到着したものの、車を停めるところがない。
神社近くで立ち話されていた人に“神社へ行きたいんですけど、どこか車が停められるところはありませんか?”と聞いてみる。
すると“30分~1時間程度ならうちへ停めていいよ。”とありがたい言葉に感謝しながら神社へと向かおうとすると、“裏から入ったらすぐに御神木がある。樹齢1200年だよ。”と教えてもらう。
すぐに御神木のタブノキが見えてくるが、独特の形といい太さ大きさといい、老いながらも威厳を持って立つ巨樹に圧倒される。
神社の案内板には“このタブノキは暖地性植物で温帯性植物が多く見られるこのあたりでは大変めずらしく貴重な存在だと考えられている”とある。
このタブノキは、何本かの支幹に分かれており折れていたり枯れていたりするが、幹周5.9m・樹高は25mあるという。
「古社取調書(1895年)」の中に「森神社境内には常緑樹が生い茂り老樹はどれも周囲が二丈(六メートル)に及ぶ」と書かれてあったとされます。
確かに、境内には古木が多く生えていて『森』のような神社ですが、中でもこの御神木は存在感が大きい。
地面にはムキムキとした根っこが張っていて、老いたりとはいえ健在な様子です。
側面から見ても幹は流々と盛り上がっており、注連縄は束を締め付けているような錯覚に陥ってしまう。
境内にある巨木の中で、御神木に次ぐのは拝殿の横にある2本並んだケヤキの木で、後方のケヤキは太さもある。
さほど広くはない境内で、街の中にある神社にも関わらず、松やスギではない大木が並ぶ姿は、古くからの神社の歴史を今も伝えているのだといえます。
ところで、神社の御神木とは反対方向に、目を引く宝塔がありました。
案内板によると、この宝塔は今から700年前、鎌倉時代の作。
石灰岩で八尺塔として造られたものだといい、高さは2m以上あり、欠損部はあるとはいえ、魅力のある宝塔です。
森神社から道を挟んだ場所には「親王さん(貞隆親王さん)」が祀られており、祠には石造り宝塔2基と石地蔵が祀られているといいます。
「親王さん」は、森神社の御旅所にあたるといい、境内社の饗庭神社がかつてあったところだとされます。
御祭神は、饗庭氏の祖とされる貞隆卿とされ、結界で仕切られた一角に立砂のようなものが祀られてありました。
<若宮神社>
安曇川町の西の山麓の集落・武曽横山には「若宮神社」が鎮座し、後方に控える山を越えると朽木の集落へとつながる。
山麓にある神社ということもあり、参道の入口となる鳥居の上にまで緑が覆いかぶさっている。
鳥居のすぐ横には「若宮神社の大椎」があり、すぐに目に入ってきたが、まずは参道を進み本殿へ参拝する。
参道は長く、木々が茂っており、参道を埋める落ち葉を踏みしめながら歩く。
緑に囲まれた参道をウグイスの囀りを聞きながら、カサカサと落ち葉が踏みしめられる音がよく響く。
若宮神社は、仁徳天皇を御祭神として祀り、鎮座地は磐衝別王の別業跡(別荘)・応神天皇の行在所だったと伝承されているといいます。
この日、高島市の道路を走行しましたが、このくらいの規模の社が幾つもあるのに驚かされます。
「若宮神社の大椎」と名の付くシイの木は、日本にはツブラジイとスダジイの2種類があるといい、この大椎はツブラジイだといいます。
このツブラジイは合体樹と思われますが、幹周は8m・樹高は30mという見応えのある巨樹です。
巨樹には近くに生えていた樹木どうしが成長するに連れ、合体して1本の木となっているのを時々見ることがあります。
人の世界には“袖振り合うも多生の縁”という言葉がありますが、ただ隣り合わせに芽生えたというだけで運命を共有していく合体樹には不思議なものを感じてしまいます。
太い幹をねじったような溝の文様が美しく、上部で何本もに枝分かれして葉もよく茂っています。
こういう幹の姿や合体した幹を見ると、生命感の凄さに圧倒されてしまいます。
神社の表参道の鳥居の横に神社を象徴するように立つ大椎。
参道にも何本かのシイノキがありましたが、その姿からは神の依り代としての威厳を感じます。
<阿志都弥神社・行過天満宮>
高島市には「西近江七福神」という七福神巡りがあり、その中の1社に「阿志都弥神社・行過天満宮」があったため、社名だけは知っている神社でした。
西近江七福神巡りは途中で中断してしまいましたので、お参りする機会がなかったのですが、神社に樹齢1000年とされるスダジイの巨樹があると知り、神社へと向かいました。
「阿志都弥神社・行過天満宮」の鳥居の横には、なんとも凄まじい姿をしたスダジイの巨樹。
これだけの巨樹を見ると、伝承1000年余と伝わる樹齢にも納得がいく。
「若宮神社のツブラジイ」もそうでしたが、シイノキとはこういう太い幹をねじったような溝が出来るものなのか?と不思議に感じてしまいます。
毎年4月の例祭の時に注連縄の張り替えが行われているといい、まだ何カ月も経っていない注連縄は新し感が残り、かなり立派な注連縄のようにも思える。
少し道側に傾いていますが、途中からは上方に向かって何本もの支幹が伸びているのが面白い。
スダジイを右側から見るのがよいか?左側から見るのがよいか?どちらから見ても迫力がある。
幹周は6.5m、樹高15mの巨樹は阿志都弥神社・行過天満宮の御神木となっています。
「阿志都弥神社」は木花開耶姫命を御祭神として祀り、「行過天満宮」は菅原道真を御祭神として祀り、両社が合祀されたのは天保14年(1843年)のことだとされます。
境内には阿志都弥神社・行過天満宮の左に「白山神社」、右奥に「稲荷神社」が祀られ、西近江七福神の福禄寿を祀る祠があったようだが見落としてしまった。
稲荷神社に通じる参道の入口にも大き目の木があり、こちらは幹の部分に大きな穴がある。
神社へはスダジイやこの木がある側から入りましたので、境内で社殿の向きに違和感を感じましたが、表参道となる道は別の方向にあったようでした。
巨樹の世界で言うと、日本には幹周(地上1.3mの高さで輪切りにするようにして測ることを基準とする)が10mを越える巨樹が何十本とあるといいます。
その中には伝承で樹齢2000年とか3000年とされるものがあり、滋賀県ではそこまでの巨樹はないとはいえ、巨樹に対する地元の信仰(野神さん信仰)など実に興味深いものがあります。
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