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“男のためのガーデニング”改め

近江富士・三上山と女山~表登山道・裏登山道周回コース~

2023-04-07 05:55:55 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 野洲市にある三上山は、湖東平野にそびえ周囲に高い山がなくよく目立つことから、県内のあちこちから姿を見ることができ、今自分が居る場所を知るのに役立つ山です。
標高は432mの低山ですが、富士山のように綺麗な形をしていることから「近江富士」の名で呼ばれ、ハイカーが多く登りにやって来る山でもあります。

昨年に表登山道で登り、裏登山道で下るという周回コースで巡ってとても印象の良かった山でしたので、リピート登山で同じコースを巡り、もう一つのピークである「女山」へも行ってみることにしました。
三上山はお椀を逆さにしたような円錐形の形が特徴的ですが、実は双耳峰になっており、御上神社から眺めるとお椀型の山の手前にもうひとつの山「女山」が連なります。



山麓に鎮座する御上神社は孝霊天皇(第7代天皇)の時代、御祭神・天之御影命が三上山の山頂に御降臨され、神体山(神奈備)として祀ったのを始まりとされます。
天之御影命(アメノミカゲ)は刀鍛冶の神とされており、渡来人の多く居住していたとされる近江の地にあって、鍛冶技術を持った渡来人集団との関わりが伺われます。



表登山道は最初は石段の坂が続きますが、運動不足気味ということもあって体が重く感じ、足が地に付いていない感じで登っていきます。
地元の方と思われるそこそこ年を取られている方にあっさり抜かれてしまいましたが、低山を日課のように登る方々の鍛錬された健脚ぶりに感心してしまいます。



200mほどの石段を登りきると妙見堂跡に到着するが、石灯籠と堂跡だけが残っている。
この地域一帯は江戸時代に遠藤氏が「三上藩」として治めていた地で、遠藤氏は移封前は常陸・下野の藩主だったことから関東で盛んだった妙見菩薩信仰が勧請されたとの説があります。



さて、表登山道での最大の見所は「割岩」という巨石群によじ登って狭い隙間を通り抜けることが出来るプチ・アドベンチャールートです。
三上山は低山ではありますが、表登山道では先の妙見堂跡から山頂までは露出した岩を登るコースとなっていて、約1時間で登れるとはいえ、登りごたえがあります。



巨石群を少し登ると割岩が見えてきて、ここからは鎖と岩を掴みながら狭い割岩の隙間を目指します。
「肥満度確認可能」と表示されていますが、すり抜けるようにして岩の間を歩いていかないととてもじゃないけどすり抜けられないのが、阿賀神社(太郎坊宮)の夫婦岩とは違うところです。



写真ではうまく写っていませんが、岩の割れ間の向こうに太陽がありましたので、何とも神々しい気持ちとなる。
昔はここで穢れを浄化してから奥宮へ向かうという意味合いがあったのではないでしょうか。



登山道はほとんど岩の上を登っていくことになり、足の置き場を選んで登らないと落ちそうになりそうですが、足場は確保されています。
危険個所では鎖やロープや手すりがありますので、登りやすいけど段々と汗が出てきて体の動きが良くなってきます。



局所的にルートが2コースに分かれている場所があり、前回通らなかったルートを行くと、ルート上に巨石が積みあがった場所がありました。
岩の間をすり抜けて反対側へ出ることが出来そうで、景色が良さそうだと思い岩の間へ入ろうとするが、岩の向こうの狭そうなスペースにカバンが置いてある。
誰かが岩の向こう側で休憩されているようでしたのでくぐるのを見送ります。



道中には岩の上に根が張り出した場所があって生命感の強さと自然の造形の姿に見惚れてしまう。
根のルートから登ることも可能ですが、踏みつけて根を痛めるのもなんですので迂回ルートを取ります。



三上山の表登山道の魅力は巨石の上を登っていくこととはいえ、妙見堂跡以降の岩ルートにはさすがに疲れが出てくる。
座って休める場所はありませんので、とにかく展望台まで行って一息つこうと、ゆっくりでも足を止めないようにして岩場を進みます。



空に光が差し込み山頂近しと感じ始めた頃、ルート上に岩の山門のような場所を抜けていくことになります。
個人的な感想かもしれませんが、信仰の山へ登り、山頂が近くなってくると岩の門のように思える場所があることが多いように思います。
自然のものか人の手によるものかは分からないものの、岩門を“ここからが聖域”と感じながら通っています。



やっと展望台へと到着しましたので、ここでリュックを下ろして一休みです。
先に到着して休まれていた方が“景色が白いですね”とおっしゃっておられクリアーな景色ではないなぁとは思いましたが、逆に雰囲気のある光景でもありました。



三上山は遠くからでのその姿を望める山とあって、三上山からも湖東・湖南の景色が一望できます。
その標高以上にひときわ高く感じたのは比叡山で、その奥に微かに見えるのは愛宕山でしょうか。





奥宮と磐座は、展望第から少しだけ登った場所にあり、大きな一枚岩の上に祀られる磐座が御上神社の御神体であり、天之御影大神が降臨したとされる場所です。
山麓の御上神社は718年に藤原不比等が勅命を拝し、現在地に造営してご遷祀させた里宮ということになります。



磐座の奥には鳥居が建ち、その奥に奥宮が祀られており、聖域であるとともに燦燦とした陽射しと向き合う気持ちの良い場所です。
三上山にこれまで登った2回ともここから裏登山道を下っていったのですが、ほんとうの山頂は奥宮の裏側にあるそうです。
山頂に景観はないそうですが、立ち寄っていないのも癪なので、次は登ったことのない「近江富士花緑公園側登山道」から登ってみよう。



奥宮を後にして裏登山道に入りますが、奥宮には表登山道の鳥居と裏登山道の鳥居が近い位置にあり、それだけ奥宮に対する信仰の篤さを感じます。
裏登山道を下る間に何人もの人が登って来られるのにすれ違い、みなさん挨拶や少々の会話を交わしてすれ違うこととなり、三上山を登られる人は爽やかな人が多いと感じる。



前回は天保一揆の時に役人が逃げ隠れたとも、平安期に俵藤太こと藤原秀郷の「むかで退治伝説」にちなんだ「むかでの穴」のある「姥の懐」へ立ち寄りましたが今回は素通りです。
裏登山道の途中にはもうひとつの宮「東竜王の祠」があり、雌山のピークだと書かれているものもある。

「東竜王の祠」は竜王と名が付くことからかつては雨乞いや野洲川の氾濫を抑える場所かと思いましたが、分からないのは三上山には「雄山」「雌山」「女山」とピークの名称が複数あることです。
三上山の山頂が雄山でもう一つ雌山があるのは理解できますが、「雌山」はここのことなのか?では「女山」と呼ばれる山は何なのか?これは疑問です。



祠の横には石仏のようなものがお祀りされており、赤子を抱いた母親のように見える。
元々祀られていたのか、誰かが頭部や懐に石を積んでこういう形になったのかは不明なものの、ドキリとさせられる石積みです。



「女山」は地図にパークはあるものの、標識等はないため知らないと分岐が分からないため、奥宮で話をした方に聞いてみると“途中に鞍部があるので登山道と直角に曲がれば行ける。行く人多いですよ。”と教えてもらう。
鞍部はひとつではなく、ここか?と思いつつもまだ標高が高いと思い下っていくと、おそらくここが分岐という場所に出た。
そこで休憩していた人に聞いてみると、ヤマップの地図を見て“多分あの道だと思いますが、登山道ではないので気を付けてください”と教えて頂き、道を登ることにする。



ほどなく山頂標識のある場所に到着したが、聞いていた通り眺望はありません。
ここでも不思議なのは山頂標識が「雌山」だったこと。「雌山」?「女山」?なんかややこしくなっています。



山頂を確認できましたので再び山を下りて登山道との分岐がある鞍部へと戻ります。
三上山では表登山道は中級者向けで、裏登山道は初級者向けとなっていますが、裏登山道も決して楽な道ではなく、ゼイゼイと息を切らして登ってこられる方々とすれ違います。
道幅が狭い所で登りの方に道を譲ろうとしたら、バテてきたので先に下りて下さいとのこと。“高い山ではないけどこの山って中々しんどいですね。”と言葉を交わしてすれ違う。



本来なら登山前に参拝すべきでしたが、下山した後に御上神社に参拝する。
まぁ歴史的には天之御影命が降臨したという奥宮が最初なので、奥宮に参拝して里宮に参拝するのは間違いでもないとしておきます。



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