伏見稲荷大社は外国人でいっぱいというのはよく聞く話ですが、まさかこれほど多いとは思ってもいませんでした。
伏見街道を走行していた時に、伏見のお稲荷さんも久しぶりだということで車が停められたら参拝してみようと立ち寄ったところ、駐車場には空きが幾つかありました。
人が多いと聞くけど大したことないなぁと思っていたのが大きな間違いで、境内へ向かうと人の渦でした。
日本人の参拝者もいましたが、圧倒的に外国人が多い。白人系や一部濃い肌の方も来られているなかで圧倒的多数は中国系の方です。
人口が多い国ですから自ずと来日客が多いのでしょうけど、今の中国の裕福さに驚きます。
日本がバブルの頃には、世界の有名観光地に旅行される方が多かったと思いますが、こんな状態だったとは思えないレベルです。
右から左から前から後ろから聞こえてくるのは中国語ばかり。英語で話されている声が聞こえると懐かしくなるくらいです。(英会話はできませんが...)
それはそれとして参拝に向かいましたが、やはり伏見稲荷は清々しくて気持ちのいい場所です。
稲荷山の上まで行く時間はなかったのですが、まずは人の流れに押されるように順路を巡ります。
伏見稲荷大社は奈良時代の711年の2月初午の日に稲荷大神様がこのお山に御鎮座されたことが始まりとされます。
御祭神は田中大神・佐田彦大神・宇迦之御魂大神・大宮能売大神・四大神の5柱で、主祭神は宇迦之御魂神になり、穀物の神といわれます。
一番鳥居と2番鳥居を抜けると朱色の鮮やかな「楼門(重要文化財)」前にきます。
楼門は1589年の建立豊臣秀吉が母の大政所の病気平癒を祈願して再興されたもののようです。
楼門には右大臣・左大臣の随身像が安置され、平安貴族の佇まいで大社を守護しており、仏教でいうと阿吽の金剛力士像のような役割ですね。
手水は横長で両側から手水が出来るように造られています。
インバウンドが多くなる以前から参拝者の多い大社ですから、かなりの過去からこういう形だったのでしょう。
「本殿」は1468年応仁の乱によって焼失したものの、1499年に再興。
稲荷造りと称される様式で大きな建築物となっており、拝所は分散してお参り出来るように何ヶ所も鈴が吊るされ、横長の賽銭箱が置かれています。
参拝者の流れにのって千本鳥居へ向かいますが、こちらも凄い人の数になっています。
途中で時間をかけて記念撮影される方や自撮り棒が何本もつき上がっていて、にぎやかだけど海外にきたかのように話されている言葉が分らない。
平日にも関わらず、正月3ヶ日の初詣並みの人波に耐え切れなくなって鳥居から出て、人の余りいない方向へ歩き出す。
「伏見神寳神社」は天照大神を主祭として稲荷大神・十種の神宝を奉安するとされ、かつては稲荷山の山上に祀られていたとされます。
十種神宝は「沖津鏡・辺津鏡・八握剣・生玉・死返玉・足玉・道返玉・蛇比礼・蜂比礼・品物之比礼」のことをいい、物部氏の始祖・饒速日命(ニギハヤヒ)が天上よりもたらしたとする話があります。
面白いのは扁額に「六根清浄」と書かれていることでしょうか。
六根清浄は、一般的には仏教で聞く言葉で「眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根」に執着せず、心を清らかにするという意味だと聞きます。
伏見稲荷大社ではあちこちで狐の狛狐が祀られていますが、伏見神寳神社には「地龍」「天龍」の狛龍が祀られています。
これは摂社の龍頭社で龍頭大神を祀っていることからかと考えられますが、狛龍とは珍しいものです。
伏見神寳神社への道筋には竹林が続くのですが、かぐや姫の竹取物語に由来があるといいます。
叶雛という千代髪で折られた人形に願いを書いて奉納する信仰があり、絵馬もかぐや姫を描いたものとなっています。
また、山に向かって竹で造らてた鳥居があり、かぐや姫由来もしくは山への信仰を伺わせる鳥居となっていました。
よく分からない社だったのが「神道御徳社」という社です。
伏見稲荷大社とは別の宗教法人になっているようですが、どういう履歴を持った社なのでしょう。
神体部分にはいろいろな大神の名が彫られた石碑が建てられており、少し空気の違う場所です。
横には「月日之宮本宮」という社もあり、世界平和確立祈願根本霊場とあります。
さて、伏見山にはまだ数多くの社がありますが、ここで折り返して山を下り参道茶屋の方へ向かいます。
以前の茶屋通りにはウズラやスズメの焼いている店が多く、七味や一味を売っている店が多かったように記憶していますが、今はそのようなお店はなく縁日の屋台のようになっています。
ウズラやスズメの焼き物はとてもじゃないけど食べられないとはいえ、少し寂しい感じもしますね。
駆け足でのお参りとなってしまいましたが、やはり伏見稲荷大社はとても気持ちのよい場所です。
ただし何事にも表裏ありで、本殿辺りと摂社では随分と雰囲気が違うことも確かかと思います。
次ぎに伏見稲荷大社へ参拝する時には年号が代わって新年号になってからということになりそうです。
伏見街道を走行していた時に、伏見のお稲荷さんも久しぶりだということで車が停められたら参拝してみようと立ち寄ったところ、駐車場には空きが幾つかありました。
人が多いと聞くけど大したことないなぁと思っていたのが大きな間違いで、境内へ向かうと人の渦でした。
日本人の参拝者もいましたが、圧倒的に外国人が多い。白人系や一部濃い肌の方も来られているなかで圧倒的多数は中国系の方です。
人口が多い国ですから自ずと来日客が多いのでしょうけど、今の中国の裕福さに驚きます。
日本がバブルの頃には、世界の有名観光地に旅行される方が多かったと思いますが、こんな状態だったとは思えないレベルです。
右から左から前から後ろから聞こえてくるのは中国語ばかり。英語で話されている声が聞こえると懐かしくなるくらいです。(英会話はできませんが...)
それはそれとして参拝に向かいましたが、やはり伏見稲荷は清々しくて気持ちのいい場所です。
稲荷山の上まで行く時間はなかったのですが、まずは人の流れに押されるように順路を巡ります。
伏見稲荷大社は奈良時代の711年の2月初午の日に稲荷大神様がこのお山に御鎮座されたことが始まりとされます。
御祭神は田中大神・佐田彦大神・宇迦之御魂大神・大宮能売大神・四大神の5柱で、主祭神は宇迦之御魂神になり、穀物の神といわれます。
一番鳥居と2番鳥居を抜けると朱色の鮮やかな「楼門(重要文化財)」前にきます。
楼門は1589年の建立豊臣秀吉が母の大政所の病気平癒を祈願して再興されたもののようです。
楼門には右大臣・左大臣の随身像が安置され、平安貴族の佇まいで大社を守護しており、仏教でいうと阿吽の金剛力士像のような役割ですね。
手水は横長で両側から手水が出来るように造られています。
インバウンドが多くなる以前から参拝者の多い大社ですから、かなりの過去からこういう形だったのでしょう。
「本殿」は1468年応仁の乱によって焼失したものの、1499年に再興。
稲荷造りと称される様式で大きな建築物となっており、拝所は分散してお参り出来るように何ヶ所も鈴が吊るされ、横長の賽銭箱が置かれています。
参拝者の流れにのって千本鳥居へ向かいますが、こちらも凄い人の数になっています。
途中で時間をかけて記念撮影される方や自撮り棒が何本もつき上がっていて、にぎやかだけど海外にきたかのように話されている言葉が分らない。
平日にも関わらず、正月3ヶ日の初詣並みの人波に耐え切れなくなって鳥居から出て、人の余りいない方向へ歩き出す。
「伏見神寳神社」は天照大神を主祭として稲荷大神・十種の神宝を奉安するとされ、かつては稲荷山の山上に祀られていたとされます。
十種神宝は「沖津鏡・辺津鏡・八握剣・生玉・死返玉・足玉・道返玉・蛇比礼・蜂比礼・品物之比礼」のことをいい、物部氏の始祖・饒速日命(ニギハヤヒ)が天上よりもたらしたとする話があります。
面白いのは扁額に「六根清浄」と書かれていることでしょうか。
六根清浄は、一般的には仏教で聞く言葉で「眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根」に執着せず、心を清らかにするという意味だと聞きます。
伏見稲荷大社ではあちこちで狐の狛狐が祀られていますが、伏見神寳神社には「地龍」「天龍」の狛龍が祀られています。
これは摂社の龍頭社で龍頭大神を祀っていることからかと考えられますが、狛龍とは珍しいものです。
伏見神寳神社への道筋には竹林が続くのですが、かぐや姫の竹取物語に由来があるといいます。
叶雛という千代髪で折られた人形に願いを書いて奉納する信仰があり、絵馬もかぐや姫を描いたものとなっています。
また、山に向かって竹で造らてた鳥居があり、かぐや姫由来もしくは山への信仰を伺わせる鳥居となっていました。
よく分からない社だったのが「神道御徳社」という社です。
伏見稲荷大社とは別の宗教法人になっているようですが、どういう履歴を持った社なのでしょう。
神体部分にはいろいろな大神の名が彫られた石碑が建てられており、少し空気の違う場所です。
横には「月日之宮本宮」という社もあり、世界平和確立祈願根本霊場とあります。
さて、伏見山にはまだ数多くの社がありますが、ここで折り返して山を下り参道茶屋の方へ向かいます。
以前の茶屋通りにはウズラやスズメの焼いている店が多く、七味や一味を売っている店が多かったように記憶していますが、今はそのようなお店はなく縁日の屋台のようになっています。
ウズラやスズメの焼き物はとてもじゃないけど食べられないとはいえ、少し寂しい感じもしますね。
駆け足でのお参りとなってしまいましたが、やはり伏見稲荷大社はとても気持ちのよい場所です。
ただし何事にも表裏ありで、本殿辺りと摂社では随分と雰囲気が違うことも確かかと思います。
次ぎに伏見稲荷大社へ参拝する時には年号が代わって新年号になってからということになりそうです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます