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その頃は寺院や仏像に特別な興味はなかったので「阿弥陀三尊像」を見た記憶すらないのですが、TVなどで見るたびに実際に目で見てみたい気持ちが抑えきれなくなってきていました。
訪れた時期はちょうど「秘仏金色不動明王」の開扉がされていたこともあって、混雑覚悟での参拝でした。
しかし、三千院への参拝客は、紅葉や桜のシーズンとは違ってさほど多くはなかったため、比較的ゆったりとした参拝が出来て助かりました。
都度、御開帳されているようですので見たい方は既に拝観済みということなんでしょう。
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三千院は比叡山を横目にした山中の街道沿いにある天台宗の問跡寺院で、伝教大師・最澄が延暦年間(782~806年)に比叡山延暦寺建立の際に草庵を結ばれたのが始まりとされています。
平安時代の後期から皇子皇族が住持する門跡寺院となり、比叡山から大津市坂本・京都市内と移動しながらも、明治維新後に大原の地へ移り現在に至るようです。
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また大原の地自体も平安時代から皇族や修行者の隠棲の地であったとされていて、寺伝では往生極楽院は平安時代の986年に恵信僧都源信が建立したと伝えられることから古くからの祈りの里だった歴史があるようで、第3代の天台座主の慈覚大師・円仁により天台声明の根本道場が開かれた地でもあるとされています。
その円仁は、後に比叡山の山門派(円仁派)に祀られ、三井寺に移った寺門派(円珍派)との派閥対立にも登場する僧でもあります。
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穴太積みの石垣に囲まれた御殿門は、城門のような佇まいがあります。
観光地として有名な三千院ですから、門を出入りする人が途切れるのを待つのがなかなかでしたけどね。
門には「梶井門跡 三千院」と「国宝往生極楽院」の寺院表札がかけられていて、「梶井門跡」は平安時代に門跡寺院の時の寺名で明治維新後に移転してきた寺院のこと。
「往生極楽院」は、大原で円仁により開かれ、良忍上人(平安後期の天台僧)が集大成した声明の地にあった寺院のこと。
明治維新後に往生極楽院を梶井門跡が取り込む形で三千院となった歴史があるようです。
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客殿から宸殿へつながる間には「聚碧園」という庭があり、縁側に座って見ていると落ち着くというか、うつらうつらと現(うつつ)を抜かしてしまいそうになります。
宸殿には伝教大師作と伝わる本尊の薬師如来像が安置されていますが、こちらは秘仏として非公開となっていて見ることは出来ません。
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宸殿から表へ出ると、あっけないほどすぐに往生極楽院に着きます。
重要文化財に指定された往生極楽院阿弥陀堂の建物も見ごたえがありますが、外からでも見える「阿弥陀三尊像」が気になってしょうがありません。
すぐに中へ入りましたが、さすが国宝だけあって見事な荘厳さを持った仏像でした。
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阿弥陀三尊坐像は平安時代後期の作で中心に安置されているのは丈六の「阿弥陀如来坐像」で、来迎印を結んでいます。
中尊は像高が約195cmの高さがあることから、像を収めるために天井は船底天井という船をひっくり返したような造りになっているとのことです。
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船底天井にはかつて極彩色の絵が書かれていたとされ、現在ではほとんど見えなくなってしまっています。
三千院の境内にある円融蔵という展示室に船底天井が復元されていて、色鮮やかに菩薩などが描かれた天井がを見ることが出来ました。
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三尊の脇侍には左に「勢至菩薩坐像」、右に「観音菩薩坐像」が安置されており、これが有名な大和座りの仏像かと興味深く眺めていました。
大和座りは正座とは違って、膝を少し開き、前屈みの姿勢から今にも動き出そうとする姿が伺えます。
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観音菩薩坐像も蓮台を捧げる姿をされていて、往生した者をこの蓮台に乗せて極楽浄土へ連れていくような意味もあるそうです。
この阿弥陀三尊と色彩鮮やかな船底天井を見た平安時代の人はさぞやど肝を抜かれたでしょう。
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三千院といえば、苔の庭にある「わらべ地蔵」が有名ですね。
この日も「極楽往生院」をスルーして「わらべ地蔵」の写真を撮ってる人が多かったですよ。
三千院は、仏像ファン・庭園ファン・撮影ファンなどいろいろな趣味の人がそれぞれ楽しめる寺院かと思えます。
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三千院は呂川と律川という2本の川に挟まれた場所にありますが、紫陽花苑から律川のほとりへ向かうと「売炭翁石仏」という鎌倉時代中期の石仏がありました。
「大原の石仏」とも呼ばれる2.25㍍の大きさで、三千院のHPでは『おそらく「欣求浄土」(ごんくじょうど)を願ったこの地の念仏行者たちによって作られたもの。』とされています。
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「売炭翁石仏」の“売炭翁”とは、炭の生産販売をする人々のことをいい、かつて炭竈があったところから名付けられたといわれます。
炭焼きといい、薪を売り歩く大原女といい、大原には山中ならではの生活スタイルがあったようです。
現在の大原も観光地化されているとはいえ、緑と清流に囲まれた静寂の地ということには変わりはないのかもしれません。
続く...。
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