湖北の探鳥地の一つに冬にはオオヒシクイや多くのカモが飛来する「西池」があり、西池から林道を抜けて須賀谷温泉へ行く道筋も野鳥との出会いの多い場所です。
この林道の西池側に神社があるのは知っていたものの、これまで何度も通りながら訪れるのは初めてのことでした。
実はこの浅井町瓜生にある「日吉神社(瓜生薬師堂)」には樹齢1500年と伝わるヒイラギの古木と幹周6mといわれる巨樹があると知り参拝することになりました。
静かで落ち着いた神社だとは思っていましたが、巨樹があったとは足元暗しということだったのでしょう。
境内へ入ると地面は落葉したイチョウの葉が一面に広がります。
薬師堂の前にあるのはケヤキ?でしょうか。なかなかの樹で最初に目に飛び込んできます。
この樹は少し東側にせり出しており、傾いた幹を支えるが如く反対側の根が力強く這っています。
東向きの境内には朝の光が差し込んで心地よく、境内をうろうろと歩きまわることとなりました。
瓜生薬師堂の横には奇妙な形をしたスギの巨樹があり、その姿は逆立ちして肩まで地面に埋まった人の体のようにも見えてしまう。
それというのも幹が途中で二幹分かれていることからの連想ですが、角度を変えるともう1本細い枝が枝分かれしている。
このスギの幹周は5.8m、樹高37mで樹齢は不明となっている。(環境省巨樹 巨木林データベース)
しかし、幹の太さからするとかなりの樹齢だと思われる巨樹で、不思議な形に魅力を感じる。
スギの横にある「瓜生薬師堂」は予約拝観のため拝観は叶わなかったが、平安時代後期の丈六「木造薬師如来座像(重文)」と「日光・月光菩薩立像」が祀られていると聞きます。
以前から瓜生の集落の入口に「国宝 薬師如来」の石標があるのが気になっていたのですが、それは「日吉神社(瓜生薬師堂)」のことだったようですね。
「日吉神社」は社伝によると天智天皇10年(671年)に右大臣・中臣金連が草創したとされ、浅井氏(亮政・久政)の崇敬を受けていたとされますが、小谷城落城の際に灰燼に帰したとされます。
その後、慶長元年(1596年)に再興されたといい、境内社には「天神宮」と「稲荷神社」が祀られている。
日吉神社の祠の横にあるのがヒイラギの樹で、幹周は1.8m・樹高5mとされており、永禄4年(1561年)に火災にあい、半分を消失してしまったといいます。
樹幹の半分が生き残っているのは極めて珍しいといい町指定文化財となっている。
実際に1500年もの樹齢なのかどうかは確かめようもないが、幹の瘤を見ていると膨大な年月を過ごしてきたことが伺われます。
ヒイラギの古木というよりも老樹と呼んだ方が適正かもしれませんが、葉は良く茂り樹勢の良さはまだまだ若木には負けんぞといった感があります。
ヒイラギの葉はギザギザした鋸葉に馴染みがありますが、老樹になると鋸葉がなくなり丸い葉となってくるといいます。
初めて見たのはヒイラギの花で、樹の葉の全域に白い花を咲かせていて、これには驚きました。
ヒイラギはモクセイ科モクセイ属の植物とされますからキンモクセイ(金木犀)と同じ属となり、香りも良いといわれているが、香りには気付かなかった。
とはいえ、節分の魔除けに柊鰯として使われる棘々した葉の植物が、こんな可憐な花を咲かせるとは考えてもみませんでした。
瓜生の集落は、安土桃山時代の絵師・海北友松の出生地であるとの説があります。
海北氏は小谷浅井家の家臣として仕え、最期は浅井氏と共に小谷城で運命を共にしたといいます。
当時の海北氏の当主は綱親で、友松はその五男で出家していたため生き延びることが出来たと伝えられています。
ところで、瓜生の集落にはこの「日吉神社のスギとヒイラギ」の他にも「波久奴神社のケヤキ」があり、巨樹が多く残る集落ですが、もう1本「榧(カヤ)の老木」があります。
延宝年間(1673~1681年)の「検地帳」に名があり、享保12年(1727年)作成の「瓜生村絵図」にも現在の場所と考えられる所に1本の大木が描かれているといいます。
横に伸びた枝は支えが必要になっていますが、推定樹齢450~500年となれば多少の老化は致し方がない。
ただし主幹と思われる幹は力強く、葉の茂り方も樹勢が良いため、まだこれからもその姿を見せてくれるでしょう。
瓜生の集落周辺には巨樹はあり、野鳥の探鳥ポイントはあり、重要文化財の仏像が祀られ、絵師・海北友松のゆかりの地でもあります。
物部守屋を祀る波久奴神社には山中に奥宮があり、そこには物部守屋が隠れ住んだともいわれる岩屋や磐座があると聞きます。
小谷山は浅井長政の小谷城が有名とはいえ、その周辺には古代よりの歴史が多く残されているようです。
この林道の西池側に神社があるのは知っていたものの、これまで何度も通りながら訪れるのは初めてのことでした。
実はこの浅井町瓜生にある「日吉神社(瓜生薬師堂)」には樹齢1500年と伝わるヒイラギの古木と幹周6mといわれる巨樹があると知り参拝することになりました。
静かで落ち着いた神社だとは思っていましたが、巨樹があったとは足元暗しということだったのでしょう。
境内へ入ると地面は落葉したイチョウの葉が一面に広がります。
薬師堂の前にあるのはケヤキ?でしょうか。なかなかの樹で最初に目に飛び込んできます。
この樹は少し東側にせり出しており、傾いた幹を支えるが如く反対側の根が力強く這っています。
東向きの境内には朝の光が差し込んで心地よく、境内をうろうろと歩きまわることとなりました。
瓜生薬師堂の横には奇妙な形をしたスギの巨樹があり、その姿は逆立ちして肩まで地面に埋まった人の体のようにも見えてしまう。
それというのも幹が途中で二幹分かれていることからの連想ですが、角度を変えるともう1本細い枝が枝分かれしている。
このスギの幹周は5.8m、樹高37mで樹齢は不明となっている。(環境省巨樹 巨木林データベース)
しかし、幹の太さからするとかなりの樹齢だと思われる巨樹で、不思議な形に魅力を感じる。
スギの横にある「瓜生薬師堂」は予約拝観のため拝観は叶わなかったが、平安時代後期の丈六「木造薬師如来座像(重文)」と「日光・月光菩薩立像」が祀られていると聞きます。
以前から瓜生の集落の入口に「国宝 薬師如来」の石標があるのが気になっていたのですが、それは「日吉神社(瓜生薬師堂)」のことだったようですね。
「日吉神社」は社伝によると天智天皇10年(671年)に右大臣・中臣金連が草創したとされ、浅井氏(亮政・久政)の崇敬を受けていたとされますが、小谷城落城の際に灰燼に帰したとされます。
その後、慶長元年(1596年)に再興されたといい、境内社には「天神宮」と「稲荷神社」が祀られている。
日吉神社の祠の横にあるのがヒイラギの樹で、幹周は1.8m・樹高5mとされており、永禄4年(1561年)に火災にあい、半分を消失してしまったといいます。
樹幹の半分が生き残っているのは極めて珍しいといい町指定文化財となっている。
実際に1500年もの樹齢なのかどうかは確かめようもないが、幹の瘤を見ていると膨大な年月を過ごしてきたことが伺われます。
ヒイラギの古木というよりも老樹と呼んだ方が適正かもしれませんが、葉は良く茂り樹勢の良さはまだまだ若木には負けんぞといった感があります。
ヒイラギの葉はギザギザした鋸葉に馴染みがありますが、老樹になると鋸葉がなくなり丸い葉となってくるといいます。
初めて見たのはヒイラギの花で、樹の葉の全域に白い花を咲かせていて、これには驚きました。
ヒイラギはモクセイ科モクセイ属の植物とされますからキンモクセイ(金木犀)と同じ属となり、香りも良いといわれているが、香りには気付かなかった。
とはいえ、節分の魔除けに柊鰯として使われる棘々した葉の植物が、こんな可憐な花を咲かせるとは考えてもみませんでした。
瓜生の集落は、安土桃山時代の絵師・海北友松の出生地であるとの説があります。
海北氏は小谷浅井家の家臣として仕え、最期は浅井氏と共に小谷城で運命を共にしたといいます。
当時の海北氏の当主は綱親で、友松はその五男で出家していたため生き延びることが出来たと伝えられています。
ところで、瓜生の集落にはこの「日吉神社のスギとヒイラギ」の他にも「波久奴神社のケヤキ」があり、巨樹が多く残る集落ですが、もう1本「榧(カヤ)の老木」があります。
延宝年間(1673~1681年)の「検地帳」に名があり、享保12年(1727年)作成の「瓜生村絵図」にも現在の場所と考えられる所に1本の大木が描かれているといいます。
横に伸びた枝は支えが必要になっていますが、推定樹齢450~500年となれば多少の老化は致し方がない。
ただし主幹と思われる幹は力強く、葉の茂り方も樹勢が良いため、まだこれからもその姿を見せてくれるでしょう。
瓜生の集落周辺には巨樹はあり、野鳥の探鳥ポイントはあり、重要文化財の仏像が祀られ、絵師・海北友松のゆかりの地でもあります。
物部守屋を祀る波久奴神社には山中に奥宮があり、そこには物部守屋が隠れ住んだともいわれる岩屋や磐座があると聞きます。
小谷山は浅井長政の小谷城が有名とはいえ、その周辺には古代よりの歴史が多く残されているようです。
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