滋賀県の湖東・甲良町の金屋集落にある「金山神社」では、「ヤッサ(千草盆)」という独特の伝統祭事が行われるといいます。
「ヤッサ」とは金屋集落に生まれる男の子をお祝いするために、藁で作った芯に干草を巻いて野菜や花飾りで化粧したもののことをいい、「野幸(やさち)」や「家幸(やさち)」を意味するなのだといいう。
当屋や親戚・隣人などが総出で作る2体の「ヤッサ」は、大がかりで特異な姿をしており、神社の森の中に1年間吊るされるといいます。
五穀豊穣や疫病退散、子宝祈願や家内安全や繁栄を願うものでもあるようで、「オコナイ」や「野神祭り」や「勧請縄」などの滋賀県の地域独特の祭事の中でも特異なものかと思います。
「金山神社」の創祀年代は不詳とされており、御祭神には「金山彦命」を祀り境内社には大将軍神社の社がある。
農村によくある集落の中の細い道を進んで行くと鳥居があるところまで来ましたので、境内の駐車スペースに車を停めさせていただいて参拝します。
境内の広場には右に「地蔵堂」、左に「金山神社 境内未完成石塔群」を納めた収納庫があり、収納庫の内部には多数の未完成石塔群が保管されています。
案内文には“仏を造って祭ることは尊いことであったが、一般庶民には叶わぬ夢であった。しかし、室町時代になって安く手に入れることができる石で仏像がたくさん造られるようになった。”とある。
1987年に金山神社地蔵堂周辺で発見された小形板碑(石仏)・五輪塔・一石五輪塔など90体余りは、制作の段階で割れなどにより廃棄された未完成のものだったといいます。
多数の廃棄品が一カ所から発見されたことや、石材が近くの犬上川河原から得られたことから、金屋集落に石仏などの工房があったと考えられているそうです。
また、金屋には当時、鍛冶屋があって工具が生産されていたことも推測されるといい、調査によって石の形や質によって粗形取りが変わることや制作の順序・方法などが明らかになっているといいます。
金山神社の御祭神の「金山彦命」は一般的には「鉱物の神」でありますが、製鉄との関わりから「鍛冶の神」とされ信仰されていますから、かつて鍛冶の技術者が暮らしていた集落だったのでは?との想像が出来そうです。
境内を進むと自然石を利用した石灯籠があり、後方には拝殿がある。
狛犬や本殿の玉垣などは近年になって奉納されたものもあり、集落の方が鎮守の神社を大切にお守りされていることが伺われます。
本殿は丸みを帯びた石を積んだ石垣の上に、こじんまりとした造りで祀られています。
本殿の三方は三本筋塀で囲まれており、正面はくぐらないと頭が引っかかってしまう位置に注連縄が張られているので、本殿前まで行くのを躊躇しつつもお参りさせて頂く。
本殿の横には「道祖神 ヤッサの神」が祀られてあり、神の領域と村境の向こう側からくる悪いものを防ぐ道祖神の役割を果たしていると思われます。
本堂と並んで祀られているのは珍しいと思いますが、すぐ横には祭事を行う鎮守の森があるため、神域と森のはざまで結界を張る神でもあるのでしょうか。
その森の樹には奇抜と言ってもいいようなヤッサが2体吊るされており、プリミティブともいえる独特の姿にあっけに取られてしまいます。
実は昨年の同時期にも金山神社に参拝したのですが、その時はコロナ渦で祭事は中止ということでしたので、2年越しでやっとヤッサを見ることが出来ました。
「千草盆」の祭事は8月7日に一番近い土曜日に金山神社に奉納され、森の樹に吊るされるといいます。
藁で作られた芯は1.5mはあり、胴の部分に干草が巻かれ、上部にはスゲ縄。
下部には注連縄が巻かれて、横串のように1本の竹が通されています。
スゲ縄には鬼灯のようにホオズキの実とトラノオが飾り付けられており、胴の部分には色とりどりの季節の花が飾り付けられています。
ヤッサは、集落に産まれた男の子をお祝いする祭事であると共に、お盆に先祖の霊を迎え入れるための目印となっているのでしょう。
訪れた日は台風による強風が吹き荒れる直前の時間帯で、すでに風は強くなっており、ヤッサを吊るしたスギの樹の下には強風にあおられた花がかなり落ちていました。
これからの1年間、雨風や雪にさらされながらも、鎮守の森の奥で静かに集落を見守り続けるのかと思います。
ヤッサの胴体には、当屋(祭事の主宰者)が毎年決められたテーマに従い野菜などで作った飾りを付けるそうですが、神社に奉納されて森に吊るす際には取り外されるようです。
今年の顔だった飾り物が木の下に置かれていましたが、野菜で作られた人形はすでに解体されてはいたものの、本体部に「TOKYO 2020」と彫られているのは読み取れます。
神社の物置のような場所には2本の藁の芯があり、横には1年前に作ったと思われる藁の芯も残されていました。
これは余った藁を残しておかれるのかと思われます。
ヤッサを舟に例えることがあるそうですが、お盆に下界に帰ってきた先祖の霊を再び送り出す時に乗る舟を意味しているのでしょうか。
滋賀県には地域あるいは集落独特の伝統祭事が残っていて、それぞれ独特の祀り方をされています。
ヤッサ(千草盆)は、伝統祭事の中でも極めて特異的な祀り方になると思います。
「ヤッサ」とは金屋集落に生まれる男の子をお祝いするために、藁で作った芯に干草を巻いて野菜や花飾りで化粧したもののことをいい、「野幸(やさち)」や「家幸(やさち)」を意味するなのだといいう。
当屋や親戚・隣人などが総出で作る2体の「ヤッサ」は、大がかりで特異な姿をしており、神社の森の中に1年間吊るされるといいます。
五穀豊穣や疫病退散、子宝祈願や家内安全や繁栄を願うものでもあるようで、「オコナイ」や「野神祭り」や「勧請縄」などの滋賀県の地域独特の祭事の中でも特異なものかと思います。
「金山神社」の創祀年代は不詳とされており、御祭神には「金山彦命」を祀り境内社には大将軍神社の社がある。
農村によくある集落の中の細い道を進んで行くと鳥居があるところまで来ましたので、境内の駐車スペースに車を停めさせていただいて参拝します。
境内の広場には右に「地蔵堂」、左に「金山神社 境内未完成石塔群」を納めた収納庫があり、収納庫の内部には多数の未完成石塔群が保管されています。
案内文には“仏を造って祭ることは尊いことであったが、一般庶民には叶わぬ夢であった。しかし、室町時代になって安く手に入れることができる石で仏像がたくさん造られるようになった。”とある。
1987年に金山神社地蔵堂周辺で発見された小形板碑(石仏)・五輪塔・一石五輪塔など90体余りは、制作の段階で割れなどにより廃棄された未完成のものだったといいます。
多数の廃棄品が一カ所から発見されたことや、石材が近くの犬上川河原から得られたことから、金屋集落に石仏などの工房があったと考えられているそうです。
また、金屋には当時、鍛冶屋があって工具が生産されていたことも推測されるといい、調査によって石の形や質によって粗形取りが変わることや制作の順序・方法などが明らかになっているといいます。
金山神社の御祭神の「金山彦命」は一般的には「鉱物の神」でありますが、製鉄との関わりから「鍛冶の神」とされ信仰されていますから、かつて鍛冶の技術者が暮らしていた集落だったのでは?との想像が出来そうです。
境内を進むと自然石を利用した石灯籠があり、後方には拝殿がある。
狛犬や本殿の玉垣などは近年になって奉納されたものもあり、集落の方が鎮守の神社を大切にお守りされていることが伺われます。
本殿は丸みを帯びた石を積んだ石垣の上に、こじんまりとした造りで祀られています。
本殿の三方は三本筋塀で囲まれており、正面はくぐらないと頭が引っかかってしまう位置に注連縄が張られているので、本殿前まで行くのを躊躇しつつもお参りさせて頂く。
本殿の横には「道祖神 ヤッサの神」が祀られてあり、神の領域と村境の向こう側からくる悪いものを防ぐ道祖神の役割を果たしていると思われます。
本堂と並んで祀られているのは珍しいと思いますが、すぐ横には祭事を行う鎮守の森があるため、神域と森のはざまで結界を張る神でもあるのでしょうか。
その森の樹には奇抜と言ってもいいようなヤッサが2体吊るされており、プリミティブともいえる独特の姿にあっけに取られてしまいます。
実は昨年の同時期にも金山神社に参拝したのですが、その時はコロナ渦で祭事は中止ということでしたので、2年越しでやっとヤッサを見ることが出来ました。
「千草盆」の祭事は8月7日に一番近い土曜日に金山神社に奉納され、森の樹に吊るされるといいます。
藁で作られた芯は1.5mはあり、胴の部分に干草が巻かれ、上部にはスゲ縄。
下部には注連縄が巻かれて、横串のように1本の竹が通されています。
スゲ縄には鬼灯のようにホオズキの実とトラノオが飾り付けられており、胴の部分には色とりどりの季節の花が飾り付けられています。
ヤッサは、集落に産まれた男の子をお祝いする祭事であると共に、お盆に先祖の霊を迎え入れるための目印となっているのでしょう。
訪れた日は台風による強風が吹き荒れる直前の時間帯で、すでに風は強くなっており、ヤッサを吊るしたスギの樹の下には強風にあおられた花がかなり落ちていました。
これからの1年間、雨風や雪にさらされながらも、鎮守の森の奥で静かに集落を見守り続けるのかと思います。
ヤッサの胴体には、当屋(祭事の主宰者)が毎年決められたテーマに従い野菜などで作った飾りを付けるそうですが、神社に奉納されて森に吊るす際には取り外されるようです。
今年の顔だった飾り物が木の下に置かれていましたが、野菜で作られた人形はすでに解体されてはいたものの、本体部に「TOKYO 2020」と彫られているのは読み取れます。
神社の物置のような場所には2本の藁の芯があり、横には1年前に作ったと思われる藁の芯も残されていました。
これは余った藁を残しておかれるのかと思われます。
ヤッサを舟に例えることがあるそうですが、お盆に下界に帰ってきた先祖の霊を再び送り出す時に乗る舟を意味しているのでしょうか。
滋賀県には地域あるいは集落独特の伝統祭事が残っていて、それぞれ独特の祀り方をされています。
ヤッサ(千草盆)は、伝統祭事の中でも極めて特異的な祀り方になると思います。
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