滋賀県栗東市にある金勝山(阿星山・龍王山・鶏冠山)は古刹「金勝寺」や平安時代の「狛坂磨崖仏」を始めとする磨崖仏、奇石や滝などが点在するハイキングコースとして紹介されることがあります。
コースを巡ると幾つかの滝が見られるようではありますが、ハイキングに数時間かけての滝見物には不安がありますので、アクセスのいい『九品の滝』へと訪れることとしました。
詳しい場所を調べずに行きましたので、まずは道の駅「こんぜの里」まで行って地図をもらって道を折り返す。
林道を進んでいくと「九品の滝」の石標が見えましたので車を停めて歩き出します。
辺鄙な場所を一人きりで歩くのはあまり気持ちのいいものではありませんが、道は平坦で歩くのには困らない。
足元から数匹のカワトンボがフワッと舞い上がるのには一瞬驚きつつも、カワトンボの数の多さには別の意味で驚きます。
道の横には滝からの水が流れる湿地が広がっていますので、カワトンボの絶好の繁殖地になっているのでしょうね。
湿地帯を抜けると杉林になりますが、この辺りまで来ると水音がよく聞こえてくるようになる。
年中こんな道ばかり歩いているなぁ~と自分で呆れながらも道を進んで行く。
カーブを曲がるとすぐに滝の姿が目に入ってきます。
思わず“あっ!”と声が出でしまうほど雰囲気たっぷりの滝を見て、“来て良かった、想像以上の滝だ。”と興奮する。
九品の滝は上滝が落差10m、中滝が8m、下滝が3mの全20mの滝ですが、渓流を含めると約100mといわれる滝です。
滝に沿って上滝の前まで上がれますので、まずは最上部の大滝と向き合います。
「九品」は浄土教で極楽往生の際の九等級の階位だとされており、階位によって極楽浄土から迎えに来る仏様が違い、極楽まで乗せてもらえる乗り物にも差があるとされます。
「九品の滝」と呼ばれるようになった由来は、この地に江戸時代の前期に島津家ゆかりの尼僧が隠棲しており、幾度もこの滝を訪れ、その際に詠んだ歌の伝承によるもののようです。
「井上の 滝の響きはさながらに 九品浄土の楽とこそきけ」
「極楽浄土(九品浄土)の美しい音楽(楽)を聴く思いである」と詠まれるだけあって、激流ではないものの穏やかに形を変えつつ流れていく滝の姿に見とれてしまいます。
しかし、遠い九州・薩摩の島津家ゆかりの方(側室)がなぜこの地で隠棲されたのでしょう。隠れ里のような所で暮らさなければいけないような事情があったのでしょうか。
改めて書くほどのことではありませんが、やはり山の力は凄いものがあります。
今年の夏のようにほとんど雨の降らない日照り続きの猛暑でも、山からは蓄えられた水がこんこんと湧き出して水を送り出してくれるのですから。
人間が侵してはいけない領域というのはこういう自然のことなのかと思います。
滝は下滝の近くまでくると流れもゆっくりとなり、緩やかな渓流へと姿が変わります。
岩場を幾筋かに分かれて流れる水は白い糸のように折れ曲がりながら下っていき、滝は終焉を迎えます。
涼しかった滝から元来た道に戻ると、行きの道中には感じなかった蒸し暑さを感じる。
汗を拭いながら歩き、ふと横を見ると動物の頭蓋骨が置いてあり、驚くと共に諸行無常の感慨にふけることになります。
誰が何のために置いていったのかは分かりませんが、この頭蓋骨はイノシシのもののように見えますね。
滝好きなので時々思い立ったように滝へと足を運びますが、どの滝にもそれぞれ形や個性があり、その場所の雰囲気にも大きな違いがあります。
共通するものがあるとすれば、それは自然のダイナミックスさとエネルギーが感じられることなのではないでしょうか。
“なぜ滝が好きなのか?”と聞かれたら、“そこで過ごす時間が好きだから。”ということになりますね。
コースを巡ると幾つかの滝が見られるようではありますが、ハイキングに数時間かけての滝見物には不安がありますので、アクセスのいい『九品の滝』へと訪れることとしました。
詳しい場所を調べずに行きましたので、まずは道の駅「こんぜの里」まで行って地図をもらって道を折り返す。
林道を進んでいくと「九品の滝」の石標が見えましたので車を停めて歩き出します。
辺鄙な場所を一人きりで歩くのはあまり気持ちのいいものではありませんが、道は平坦で歩くのには困らない。
足元から数匹のカワトンボがフワッと舞い上がるのには一瞬驚きつつも、カワトンボの数の多さには別の意味で驚きます。
道の横には滝からの水が流れる湿地が広がっていますので、カワトンボの絶好の繁殖地になっているのでしょうね。
湿地帯を抜けると杉林になりますが、この辺りまで来ると水音がよく聞こえてくるようになる。
年中こんな道ばかり歩いているなぁ~と自分で呆れながらも道を進んで行く。
カーブを曲がるとすぐに滝の姿が目に入ってきます。
思わず“あっ!”と声が出でしまうほど雰囲気たっぷりの滝を見て、“来て良かった、想像以上の滝だ。”と興奮する。
九品の滝は上滝が落差10m、中滝が8m、下滝が3mの全20mの滝ですが、渓流を含めると約100mといわれる滝です。
滝に沿って上滝の前まで上がれますので、まずは最上部の大滝と向き合います。
「九品」は浄土教で極楽往生の際の九等級の階位だとされており、階位によって極楽浄土から迎えに来る仏様が違い、極楽まで乗せてもらえる乗り物にも差があるとされます。
「九品の滝」と呼ばれるようになった由来は、この地に江戸時代の前期に島津家ゆかりの尼僧が隠棲しており、幾度もこの滝を訪れ、その際に詠んだ歌の伝承によるもののようです。
「井上の 滝の響きはさながらに 九品浄土の楽とこそきけ」
「極楽浄土(九品浄土)の美しい音楽(楽)を聴く思いである」と詠まれるだけあって、激流ではないものの穏やかに形を変えつつ流れていく滝の姿に見とれてしまいます。
しかし、遠い九州・薩摩の島津家ゆかりの方(側室)がなぜこの地で隠棲されたのでしょう。隠れ里のような所で暮らさなければいけないような事情があったのでしょうか。
改めて書くほどのことではありませんが、やはり山の力は凄いものがあります。
今年の夏のようにほとんど雨の降らない日照り続きの猛暑でも、山からは蓄えられた水がこんこんと湧き出して水を送り出してくれるのですから。
人間が侵してはいけない領域というのはこういう自然のことなのかと思います。
滝は下滝の近くまでくると流れもゆっくりとなり、緩やかな渓流へと姿が変わります。
岩場を幾筋かに分かれて流れる水は白い糸のように折れ曲がりながら下っていき、滝は終焉を迎えます。
涼しかった滝から元来た道に戻ると、行きの道中には感じなかった蒸し暑さを感じる。
汗を拭いながら歩き、ふと横を見ると動物の頭蓋骨が置いてあり、驚くと共に諸行無常の感慨にふけることになります。
誰が何のために置いていったのかは分かりませんが、この頭蓋骨はイノシシのもののように見えますね。
滝好きなので時々思い立ったように滝へと足を運びますが、どの滝にもそれぞれ形や個性があり、その場所の雰囲気にも大きな違いがあります。
共通するものがあるとすれば、それは自然のダイナミックスさとエネルギーが感じられることなのではないでしょうか。
“なぜ滝が好きなのか?”と聞かれたら、“そこで過ごす時間が好きだから。”ということになりますね。
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