多賀大社・胡宮神社の南方、犬上川の扇状地では「樽崎古墳群」と呼ばれる61基の古墳が確認されているそうです。
発掘された古墳は円墳がほとんどを占め、直径4m~20m程度の円墳が並ぶ古墳群であったとされます。
樽崎古墳群のなかで現存するのは「樽崎1号墳」のみであるといい、樽崎1号墳はこの古墳群のなかでも最大規模の古墳とされます。
田園地帯にぽっこりと残る古墳の周囲は公園として整備され、地元の小さな子供たちの遊び場にもなっているのかもしれません。
樽崎古墳群の石室からは鉄製の武具・工具・馬具・耳環などの装身具類が出土しているといい、古墳群は扇状地の開拓に主導的な役割を果たした有力豪族の墓域だったと推定されている。
研究者の間では出土品や石室の特徴から渡来系氏族との関係が考えられており、渡来人と近江の関わりがここでも伺われます。
樽崎1号墳は、直径15.5m以上あり、埋葬施設は全長10.6mの横穴式石室(片袖型)の円墳で、6世紀半ばに築造されたものと推定されている。
古墳としては後期~終末期になるのかと思われますが、渡来人が日本にやってきて仏教が公伝された頃には既にこの地に古墳文化が根付いていたようです。
この古墳は石室の入口がぽっかりと開いており、反対側にも穴が開いているため無理をすれば通り抜けることさえ可能となっている。
ただし、奥の壁側の入口は隙間が狭く勾配があるため、ここから入るのには無理がある。
石室への入口側へと回り込むと高さ3m、幅2mの石室への道があるため、内部へと入らせてもらう。
羨道は元々は墳丘の中に埋められていたと思いますが、発掘して整備された時に今のような形で残されたのでしょう。
石室の内部は幅もあって窮屈な空間ではないが、内部にいる時に大地震がきたら、この石室に埋葬されてしまうような怖さもある。
こんな巨石を掘り出して、絶妙なバランスで組み上げたことからは、高度な技術があったことが推定されます。
天井を見上げると巨石の数々。
どういう人物がここに埋葬されたかは知る由もありませんが、犬上川の周辺にはよほど力のあった一族が暮らしていたのでしょう。
樽崎1号墳の石室入口と奥壁が開いているため内部には日が差しており、“暗闇にいても、必ず先には光が見える。”と変な感慨に耽ってしまう。
この古墳の近くに、古墳のような石積みがありましたが、もしかすると樽崎古墳群で発掘された石室の一部が移築されていたのかと思われます。
隣の愛知郡には依智秦氏という渡来人の一族が暮らし、犬上群の名の元となった犬上氏は最後となる遣隋使を輩出した一族であるといいます。
渡来人が多く住み、文化を築いていった犬上郡周辺の地には“多賀大社・胡宮神社・大瀧神社・犬上神社”など幾つかの古社があります。
湖東地域には古墳群が多くあり、古代神道と渡来人との関係が謎です。
(2020年3月中旬)
発掘された古墳は円墳がほとんどを占め、直径4m~20m程度の円墳が並ぶ古墳群であったとされます。
樽崎古墳群のなかで現存するのは「樽崎1号墳」のみであるといい、樽崎1号墳はこの古墳群のなかでも最大規模の古墳とされます。
田園地帯にぽっこりと残る古墳の周囲は公園として整備され、地元の小さな子供たちの遊び場にもなっているのかもしれません。
樽崎古墳群の石室からは鉄製の武具・工具・馬具・耳環などの装身具類が出土しているといい、古墳群は扇状地の開拓に主導的な役割を果たした有力豪族の墓域だったと推定されている。
研究者の間では出土品や石室の特徴から渡来系氏族との関係が考えられており、渡来人と近江の関わりがここでも伺われます。
樽崎1号墳は、直径15.5m以上あり、埋葬施設は全長10.6mの横穴式石室(片袖型)の円墳で、6世紀半ばに築造されたものと推定されている。
古墳としては後期~終末期になるのかと思われますが、渡来人が日本にやってきて仏教が公伝された頃には既にこの地に古墳文化が根付いていたようです。
この古墳は石室の入口がぽっかりと開いており、反対側にも穴が開いているため無理をすれば通り抜けることさえ可能となっている。
ただし、奥の壁側の入口は隙間が狭く勾配があるため、ここから入るのには無理がある。
石室への入口側へと回り込むと高さ3m、幅2mの石室への道があるため、内部へと入らせてもらう。
羨道は元々は墳丘の中に埋められていたと思いますが、発掘して整備された時に今のような形で残されたのでしょう。
石室の内部は幅もあって窮屈な空間ではないが、内部にいる時に大地震がきたら、この石室に埋葬されてしまうような怖さもある。
こんな巨石を掘り出して、絶妙なバランスで組み上げたことからは、高度な技術があったことが推定されます。
天井を見上げると巨石の数々。
どういう人物がここに埋葬されたかは知る由もありませんが、犬上川の周辺にはよほど力のあった一族が暮らしていたのでしょう。
樽崎1号墳の石室入口と奥壁が開いているため内部には日が差しており、“暗闇にいても、必ず先には光が見える。”と変な感慨に耽ってしまう。
この古墳の近くに、古墳のような石積みがありましたが、もしかすると樽崎古墳群で発掘された石室の一部が移築されていたのかと思われます。
隣の愛知郡には依智秦氏という渡来人の一族が暮らし、犬上群の名の元となった犬上氏は最後となる遣隋使を輩出した一族であるといいます。
渡来人が多く住み、文化を築いていった犬上郡周辺の地には“多賀大社・胡宮神社・大瀧神社・犬上神社”など幾つかの古社があります。
湖東地域には古墳群が多くあり、古代神道と渡来人との関係が謎です。
(2020年3月中旬)
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