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金勝寺がある金勝山(こんぜやま)は単独の峰を呼ぶのではなく、竜王山(605m)・鶏冠山(491m)・阿星山(693m)・飯道山(664m)などの山系を指す名称だとされています。
金勝山は竜王山の山頂に向かって550mのところに建てられた古寺で、かつては「金勝山文化圏」と称されて湖南地方の仏教文化の中心地だったといわれています。
寺伝によると、773年の聖武天皇の命により東大寺の初代別当であった良弁が奈良の都(平城京)の鬼門鎮護のために開基し、八世期中頃には近江二十五別院を総括する法相宗興福寺の仏教道場だったそうです。
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平安時代初期の815年には嵯峨天皇の勅願により、興福寺の高僧願安が伽藍を整備。833年には仁明天皇により僧侶育成の官寺である「定額寺」に列せられ、その後「金勝山 金勝寺」になったとされています。
しかし、1185年に最初の焼失。再興後の平安時代後期には、法相宗から天台宗の寺院に転宗したと考えられているそうです。
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細い林道を登って駐車場から雰囲気のある参道を歩いていくと、仁王門が見えてきます。
金勝寺は1549年にも焼失してしまい、徳川家康に請願したが往時の状態までは再建出来なかったとされていますので、その時代の建築物かもしれません。
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仁王門にはお寺の守護の阿吽の仁王様が睨みをきかせています。
開口しているのが阿形(あぎょう)像で口を結んでいるのが吽形(うんぎょう)像になります。
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本堂は1597年の建築で、約400年前に仮堂として再建されたようです。
家康の時代に往時の状態まで再現出来ていたとすれば...と想像してみるのも面白いかもしれませんね。
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金勝寺には全堂で5体の重要文化財の仏像が安置されていて、仏像の魅力の多い寺院です。
本堂(仮堂)には本尊の「木造釈迦如来坐像(重文・平安時代)・不動明王立像(室町時代)・良弁坐像(桃山時代)・願安坐像(桃山時代)が安置されています。
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重文 木造釈迦如来坐像(ポストカード)
釈迦如来像は高さ218.8cmと大きな坐像ですが、その表情は穏やかで円満な感じがします。
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軍茶利明王(ぐんだりみょうおう)とは宇宙を創造する生命をあらわすとされています。
怒髪天をつく頭部、胸に交差した大瞋印(だいしんいん)の迫力には畏怖を感じてしまいます。
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重文 木造軍茶利明王立像(ポストカード)
軍茶利目用王は高さ360.5cmとその大きさも然ることながら、ヒノキの一本造りで圧倒的な存在感のある仏像です。
現存する単独の軍茶利明王像としては、日本最古で最大の仏像とされています。
山側の道を御香水館・大講堂跡と歩いていくと虚風蔵菩薩堂に着きます。
このお堂には「木造虚空蔵菩薩半跏像(重文 平安時代10世紀)・木造毘沙門天立像(重文 平安時代10世紀)・木造地蔵菩薩像(重文 平安時代12世紀)が安置されています。
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虚空蔵菩薩とは大きな智慧と功徳を持ち、衆生の願いを成就させる仏と言われていますが、半跏の像は珍しいですね。
高さは194cmあり、毘沙門天像・地蔵菩薩像・馬頭観音像像と並ぶとその迫力に気押されます。
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重文 虚空蔵菩薩半跏像(ポストカード)
さて、この金勝寺を出て林道を登っていくと590mの地点に馬頭観音堂がひっそりと建てられていました。
ここには馬頭観音像が安置されていたそうですが、2009年に盗難にあってしまったそうです。(新しい馬頭観音像は虚風蔵菩薩堂に安置)
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このお堂は何とも寂しい所に建てられていましたが、反対側の景色は絶景です。
曇り空だったのが難点でしたが、近江富士こと三上山が見え、琵琶湖も遠くに見えます。
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金勝山(こんぜやま)には徒歩で山道を歩けば、石仏などの数多くの史跡やいくつかの滝があるといいます。
役小角(役行者)の修行した霊跡・金粛菩薩(良弁)の霊地と呼ばれる霊山です。