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なぜ湖北地方に観音信仰が根強いのかは分かりませんが、国宝や重要文化財に指定されている仏像が多い土地の不思議さがあります。
7~8月にかけては東京藝術大学で『観音の里の祈りとくらし展Ⅱ-びわ湖・長浜のホトケたち-』が開催されていたそうですから、湖北の観音信仰は全国的な知名度があるのかもしれませんね。
湖北の観音様で有名なのは十一面観音像で、中でも国宝の十一面観音像が祀られている向源寺(渡岸寺観音堂)へ参拝しました。
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向源寺は寺伝によると、『736年都に疱瘡が流行したため、聖武天皇は泰澄(奈良時代の修験道の僧)に除災祈祷を命じた。
泰澄は十一面観世音を彫り光眼寺(後の向源寺)を建立したところ憂いは絶たれた。』とされています。
更に801年には比叡山延暦寺の最澄が勅を奉じて七堂伽藍を建立して、興生を極めた時期があったそうです。
しかし、浅井・織田の戦火のために堂宇は焼失し、寺領を没収されて廃滅してしまったようです。
その後、住職巧円や近隣の住民は、浄土真宗の寺として向源寺を建立して現在に至ることになります。
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このお寺は向源寺というより、渡岸寺の十一面観音像として名前が定着していますが、これは向源寺が浄土真宗に改宗したことの影響だそうです。
浄土真宗では阿弥陀如来以外の仏像を祀ることが出来ないのですが、本堂には祀らず、向源寺飛地境内観音堂(渡岸寺観音堂)に祀ったことで本山から許可されたそうです。
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向源寺というお寺は実在するのですが、参拝に来られるのはこちらの通称:渡岸寺になります。
仁王門の金剛力士像を見ながら境内に入ると、外から見るより広い境内が広がっています。
竹林の前には井上靖の文学碑が置かれてありました。
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本堂にも参拝しましたが、やはりこのお寺は慈雲閣という収蔵庫に収められた十一面観音と大日如来坐像ということになります。
自動ドアから中に入るとライティングに照らし出された2体の仏像が安置されています。
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この十一面観音は194cmの一木掘成で平安時代後期の作ではないかといわれています。
“密教像特有の印度的な感じ”と専門家の説がありますが、横に並んでいるのは大日如来ですから、密教系の寺院のような趣があります。
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(ポストカード)
この十一面観音は、浅井・織田の戦火の時に住職や近隣の住民によって土中に埋蔵して難を逃れたとの逸話があります。
ではなぜ湖北の観音信仰がこれほどまでに盛んになってのでしょうか?
一つの説として、長浜市木之本にある己高山(標高923m)はかつて近江国の鬼門にあたることから、いにしえより修行場であった。
また己高山は、奈良仏教と白山信仰の山岳信仰の影響があり、平安時代には天台宗の影響を受けて、己高山を中心とした湖北の寺々は独自の仏教文化が作られていった』という説があります。
しかし、室町時代から戦国時代にかけて天台寺院は衰退して廃寺となる寺が多くなってしまいます。
それにより、村人たちによって仏像を「村の守り・村の御本尊」として守り続けられてきたとされています。根本には土地に縛られた農(農民)の文化の一面もあるのかもしれません。
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(ポストカード)
お寺の駐車場の横には「高月観音の里 歴史民俗資料館」があり、仏像の展示や考古資料・民俗文化財などが展示されているのですが、ここでどうしても見たかった仏像を見ることが出来ました。
飢餓と修行でやせ衰えた釈迦の像です。
「釈迦苦行僧」は山林にこもって約6年間にわたり断食と座禅の日々を送ったというお釈迦様の姿とされています。
「自分のやりたいことだけを楽しんで一生を過ごそうと思うことは、おろかなことだ。しかし自分を苦しめるような修行に夢中になることも同じではないか。」(「禅のこみち」より)
考えに考えた結果、「山も、川も、草も、木も、この世界にあるすべてのものは、みな大切な役割を与えられている。私の命にも何らかの役割が与えられているのではないか。」という心境に至ったとされています。
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(ポストカード)
お寺の周囲の集落は、水量があり綺麗な水が流れる小川があります。
その横には樹齢300年といわれる巨木の欅があり、村人たちに守られているようでした。
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観光バスなどで訪れる方の多いお寺ですが、地元の方の信仰によって守られてきたお寺の一つといえるかもしれません。
湖北には無住(むじゅう)のお寺もあるかと思いますが、地域の手で守り続けているのは凄いことだと思います。