hiyamizu's blog

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飯田進『鎮魂への道』を読む

2012年05月16日 | 読書2

飯田進著『鎮魂(たましずめ)への道 無意味な死から問う戦争責任』1997年4月不二出版発行、を読んだ。この本は、「魂鎮への道―BC級戦犯が問い続ける戦争」として岩波現代文庫で再販されている(あとがき、解説以外はほぼ同じ)。

太平洋戦争中、ニューギニアへ送られた日本軍将兵が考えられないほど劣悪な環境、条件で戦うことを強いられ、現地の人々に残酷なことをして、そして大多数の将兵が死んでいった。奇跡的に生き残った著者自身も、命令とはいえ現地人を斬り、女子供を死に追いやったことを告白し、BC級戦犯として20年の刑に服し、そして今も苦しんでいる。

太平洋戦争全般に言えることではあるが、ニューギニアでの戦いも、どう見ても勝ち目のない戦いを面子のため無理に進め、しかも戦力を小出しにして悲惨な戦場を作り出した。
兵士たちは素手同然で飢えてなお突撃を繰り返した。そして多くの兵が飢えと疲労と疾病のため死んでいった。

飯田進(いいだ・すすむ)
1923(大正12)年京都府生まれ。昭和18年2月に海軍民政府・資源調査隊員としてニューギニア島へ。戦況が厳しくなってからは陸軍作戦部隊に情報要員として配属され戦闘にも参加。 敗戦後、BC級戦犯として重労働20年の刑を受ける。1950年(昭和25年)スガモ・プリズンに送還される。
現在(2011年)は、長男のサリドマイドによる薬害被害をきっかけに立ち上げた社会福祉法人「新生会」と同「青い鳥」の理事長。著書に『地獄の日本兵 ニューギニア戦線の真相』新潮新書など。



私の評価としては、★★★★★(五つ星:是非読みたい)(最大は五つ星)

ニューギニアでの日本兵の悲惨な戦いぶり、著者自身の関わった現地人殺人が描かれ、けして心地よい本ではない。しかし、戦争の記憶は彼方となり、語る人も少なく、伝えられる手段も限られている。
太平洋戦争を語る本はいくつかある。自分自身の罪も含め、真摯にあの戦いに向き合い正直に語っているこの本はお勧めだ。





戦死者への感謝
慰霊祭の祭文では、以下のフレーズが多いが、違和感を覚える。
勇戦敢闘して戦死したあなたがたの尊い犠牲のおかげで、今日の経済的繁栄と日本の国際的地位の向上がもたらされている


「勇戦敢闘して戦場のたおれた」:実際は百対一かそれ以上の軍事力の差があり、なすすべもなく殺されたというのが事実。また、大部分の兵士は飢え、疲労と疾病で気力体力が尽き果て惨めに死んでいった。勇戦果敢とはおよそ縁遠い死だった。

「あなたがたの尊い犠牲のおかげで、今日の経済的繁栄がある」:戦後の東西対立のなかで日本はアメリカのアジアの橋頭堡と位置づけられ、朝鮮戦争、ベトナム戦争で復興、成長した。

「日本の国際的地位の向上」:アジアに対する加害者意識は希薄。

私も戦死した方へ敬意は払うし、悼むことはもっと行われてよいと思う。しかし、彼等の死は結果的には無駄死に終わったとも思う。だからこそ悔しいのだ。南方で日本兵はけして降伏することなく砲弾の嵐の中を時代物の鉄砲を持って敵陣に突っ込んで行った。また、特攻隊で敵艦に突っ込んでいき、沖縄戦で徹底的に抵抗した。その結果、米兵を恐怖させ、本土上陸すると多大な犠牲が出ると思わせた。そんななかで、原爆が落とされたとも言える。腹立たしく、悔しいことだが、我々の悼むべき戦死にはそんな一面もあることを我々は正視すべきだと思う。


無謀な戦いの直接的責任者は誰か?
なぜこんな無謀な戦いを進めたのか?誰の責任なのか?著者は大本営参謀本部の責任だと主張する。

日本兵は、敵によるだけでなく、日本軍の参謀によって殺された、といって差し支えありません。

参謀本部はスタッフで、形式的には責任を問われず、位では上の現地軍を実質的に指導したのだ。なかでも服部卓四郎と辻政信は常に強硬論で多くの兵士を死なせたが、戦後も生き残り活躍していた。

地面にしゃがみこんだまま、草むらのトカゲを叩いて食べようとしていた兵隊の姿。丸い石かと見紛うばかりに、ごろごろと水辺に転がっていたしゃれこうべ。
小さなボロ船の輸送船にすし詰めにされ、辛うじて任地にたどり着くや否や、猛烈な砲爆撃を連日にわたって受け、たちまち食料が底をつき、そして彼等はそのような最後を遂げたのです。
どうしてそれらの死を美化することができましょうか。

私は、この参謀本部は今の官僚組織に当たると思う。責任をとらず、現場を知らず、しかも実質的実権を持っている。そんな組織は規模も権限も小さくすべきだ。

東京裁判
戦犯裁判は戦争当事国を除いた第三国の識者で裁判官を構成すべきで、東京裁判は正当ではないと著者は主張する。とくに、BC級戦犯裁判は日本軍の占領地域での勝者による裁判であり、復讐と憎悪が支配した。いたるところで、看守による虐待と拷問が行われた。


コメント (1)
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