「サヨナラ」
「さよなら」の語源は、「左様であるならば、(これでお別れいたしましょう)」だろう。
女性飛行家の草分けであったアン・モロー・リンドバーグの日本への別れの挨拶。
「サヨナラ」を文字どおりに訳すと、「そうならなければならないなら」という意味だという。これまで耳にした別れの言葉のうちで、このようにうつくしい言葉をわたしは知らない。…… 言葉にしないGood-byであり、心をこめて手を握る暖かさなのだ――「サヨナラ」は。
(与那原恵『赤星鉄馬 消えた富豪』p305、2019年11月中央公論新社発行より、原著は『翼よ、北に』)
「いただきます」
多くの家庭と同じように、子供の頃私の両親は「お百姓さんが苦労して作ってくれたお米を一粒でも残してはだめだ。感謝して食べなさい」と言っていた。今でも食後の私の茶碗には一粒の米粒も残っていない。
永六輔はこう言っていた。
食べるものは、魚でも野菜でも、ほぼすべてが「いのち」だ。私たちは、その「いのち」を食べて、あなたの「いのち」を私の「いのち」にさせていただくのだ。あなたの命を私の命として、いただきますという気持ちで「いただきます」と言うのだ。
(永六輔『あなたの「いのち」をいただきます』ヴィレッジブックス2007年11月発行より)
自然、生命への謙虚な畏敬の念こそ日本人の失って欲しくない心だと思う。