一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

冬の九州旅行2014・2「一風変わった旧志布志線の旅」

2015-06-23 00:17:11 | 旅行記・九州編
22日はテレビ朝日の「Qさま!!超頭脳対決」を観たが、なんで堀江貴文中心の構成になっているのか、よく分からなかった。出演者はいっぱいいるんだから、もっと均等に扱ってもらわないと。プロデューサーは、堀江貴文に弱みでも握られてるの?
あと、ビリギャルの先生の解説は要りません。

(きのうのつづき)
旅先で地元の人に案内していただくのは、1988年9月2日の秋田県角館以来。あの時は目もくらむほどの美人と武家屋敷を回り、私のその後の人生が変わったのだ。
今回オニイサンは、クルマで案内してくれるという。駅前を歩くが、かつて鉄路が通っていたところは、公園になっていた。
さっきの幼稚園児が遊んでいる。大人は仕事をするのが仕事だが、子供は遊ぶのが仕事である。大いに遊んでもらいたい。
「志布志は、志布志市志布志町志布志、志布志市役所志布志支所があります」
「ハハハ」
オニイサン鉄板の早口言葉なのだろう。
オニイサン所有の軽自動車に乗る。名刺代わり、という感じで、ペットボトルのお茶をくれる。そしてこれから、市内を詳しく案内してくれそうな雰囲気である。恐縮だが、何でこんなによくしてくれるのだろう。東京モンは無償の親切をいぶかしく思う癖があるのだ。
少し走ると、志布志鉄道記念公園があった。ここで一旦降りる。
「あの噴水、あれが昔の転車台です」
なるほど、見れば列車1台分の直径である。鉄道遺構は静態保存が望ましいが、ああいった再活用もベターであろう。
キハ58と蒸気機関車C58が連結して留め置かれていた。どちらも現役時代は志布志周辺を走っていたのだろう。
私はどこを案内してもらってもいいが、郵便局は絶対に寄りたい。それを言うと、近くにある志布志郵便局に連れていってくれた。私は1,212円を貯金して、今日の目的は完了である。
ここから本格的に志布志観光となる。何となく、お互いの名前を述べる。オニイサンは塚本、といった。
塚本氏、志布志は見どころがいっぱいあるのに、地元の人がまったく動かないという。
「それで役所に掛け合って、志布志市内のパンフレットを作りました」
そう言って、私に一部くれた。これがそうらしい。
志布志市役所志布志支所に行く。
「ここが志布志市志布志町志布志、志布志市役所志布志支所です」
市役所の前にはご丁寧に、「こちらは、志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所です。」の大看板が掲げてあった。
クルマは味わい深い通りを走る。志布志はよい意味で観光地化されていないので、名所旧跡が手つかずのまま残っている感じだ。
くすんだ寺の前で降りる。この寺がまた味わい深いが、それだけに観光客が集まらない感じだ。
その後も、商家や町家、数々の屋敷跡を回った。それで思ったのだが、やはりクルマは便利だ。時間に縛られず小回りが利くので、短時間であっちこっちを観光できる。私がパンフレットと首っ引きで志布志市内を回ったら、ここまでですでに2時間はかかっていそうだ。
とはいえ、知らない町をクルマで行くのは、将棋を指しながら棋譜を付けるようなもので、気が散って観光にならない。やはり私は、公共交通機関を利用するのが性に合っているようである。
塚本氏が、地元で人気のラーメン屋に案内してくれた。「マルチョンラーメン」とあり、ここも何かのコンクールで2位になったことがあるらしい。
いままでの御礼に、ここは私が食事代を出すつもりだったが、塚本氏はガンとして受け付けず、券売機の前に立つと、スペシャル大盛りラーメンのボタンを2回押した。何と、1杯1,300円だった。
出てきたラーメンは、具が全部乗っているものだった。これは期待できるが、まず、スープが美味かった。これは野菜の甘さであろう。九州ラーメンにありがちなこってり感がなく、さらっとしている。麺はツルツルしていて、喉越しがよい。後味がよく、これは毎日でも食べられるラーメンだ。コンクール2位はダテじゃなかった。ごちそうさまでした。
次は、旧志布志線を走破する。これがメインであるが、西都城まで乗せていってくれるということだろうか。さすがに申し訳ない気がする。
聞くと、塚本氏は志布志線(の一部)で通学していたことがあるそうで、そこをバスで回ってみたいという私に共感を覚えたらしい。
志布志線廃止の影響を聞くと、意外にもなかったという。別のバス路線のほうが、使い勝手がよかったらしい。
どうも、都城―志布志を乗り通す利用客自体がいなかったようである。これでは志布志線、廃止になるべくしてなったという感じだ。
「志布志線の車内アナウンスをしてみましょうか」
「おお。お願いします」
「本日は志布志線にご乗車いただき、ありがとうございます。停車する駅は中安楽、安楽、伊崎田、大隅松川、岩川、岩北、末吉、今町、西都城、都城です。都城着は8時43分…」
私はただただ感激するばかりである。途中、私が大隅線と志布志線を混同していたため話が噛み合わないことがあったが、バスと鉄道好きの2人なので、話が弾む。
塚本氏は当然とはいえ、あそこが廃線跡、ここが廃線跡と詳しい。私から見ればただの舗装道路だから、これでは廃線跡など分からないわけだ。
塚本氏の口癖は「です、です」のようで、これが出れば、私の言葉が的を射ていると推測できた。
塚本氏オススメの旧駅舎に向かう。これが鉄道ファンには涙が出そうな施設で、逆に恐くなった。
数年前、肥薩線の嘉例川駅で、ホーロー製の「かれいがわ」の第3種駅名板が盗まれたことがあった。鉄道マニアは善人ばかりではない。この駅舎内の宝の山に、私はあの事件の再発を恐れる。
よって、この駅の詳細は記さない。
末吉鉄道記念館に着いた。閉館で中へは入れなかったが、構内を散策できただけで十分である。
この辺りから、サイクリングロードが目立ってきた。しばらく走ると、明らかに見覚えのある景色になった。西都城から少なくともこの辺りまでは、廃線跡がサイクリングロードに転用されており、前も記したが、私はこの数キロを歩いたことがあるのだ。その記憶が蘇ってきた。
冬の陽は短いが、ここは九州なので、まだ踏ん張っている。ちょうどいい黄昏時だ。
西都城には午後5時半ごろに着いた。塚本氏は「バスフォーラム鹿児島」とかいうサイトの常連らしく、毎日何かを書いていると別れ際に言った。私もブログを書いている旨を伝えたが、将棋の話題が主だから、詳しくは伝えなかった。
軽自動車は出発した。私はいつまでもお辞儀をする。本当に塚本氏にはお世話になった。この場で厚く御礼を申し上げたい。かくして志布志を降りる時は予想もしていなかった、感謝だらけの旧志布志線の旅であった。
(25日につづく)
コメント
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