今年の吹上浜砂の祭典のテーマは「海」。招待作家や地元住民の作品などが、砂丘の杜きんぽう内でバランスよく展示されていた。
今年ももちろん力作揃いだ。砂像は雪像に比べて華やかさがないが、細かい彫刻はこちらが上だ。まさに匠の技を味わえる。
私は写真を撮るが、これは形式的なもの。肉眼で見たほうがはるかによい。
また旅行中は自分の写真は撮らないのだが、今回はスタッフに頼んで、1枚撮ってもらった。でも、老化している自分がイヤだから、確認することはないだろう。
バス時刻を確認すると、会場の中継点である加世田バスターミナルから、鹿児島空港へ行く便があった。
今までこのルートは眼中になかったが、よく考えたら鹿児島市内へ戻る必要もないのだ。加世田には「一公」という名の中華料理屋があり、そこで最後の食事を摂るのもわるくない。加世田→空港のルートはアリだと思った。
歩いていると、ちょっと異変を感じた。現在私はカメラを首から提げ、「ごぼ天うどん」が入ったJTエコバッグを右手に提げているのだが、それらを差し引いても、背中のリュックがわずかに軽いのだ。
イヤな予感がして、リュックの中の荷物検査をする。…あれ? 外付けストロボがない!?
いやそれはないだろう。どこかに紛れてるんだろう…。
私は会場の隅でリュックの荷物をぶちまける。しかしストロボはなかった。
いったいどこで…。昨夜は博多どんたくで親善大使を撮影するとき、使った。そのあと、エコバッグの中にストロボを放り込んだ気もする。では高速バス内に落としてきたか?
私はスマホから西鉄バスに連絡をする。しかしそれらしい落し物はない、とのことだった。
私は考える。昨夜ネットカフェのブースで、リュックの中の荷物をぶちまけた。あの時ストロボを戻し忘れたか!? 何しろ黒皮の上に、黒いカバーを置いたのだ。色が同化して見えなかった可能性がある。
私はサイバックに電話をして、かくかくしかじか。…ビンゴだった。しかしわざわざ取りに戻るわけにもいかないので、私は着払いの配送をお願いする。しかし先方は返答に詰まった。
そういうめんどうなことはゴメンだ、という意思表示であろう。私はすかさず、今日中に取りに行く旨を伝え、スマホを切った。
とはいえ厄介なことになった。今から鹿児島市内に戻るなら、鹿児島中央行きの直行バスに乗ればいいし、加世田を中継する路線バスに乗ってもいい。
だが私には、13時30分からくじらバスでの観光がある。これの会場到着時間が15時35分。鹿児島中央行きの直行バスは15時30分が最終である。つまり、タッチの差で間に合わないのだ。
よって会場からは、15時40分の加世田行きバスに乗ることになる。加世田着15時42分。そこから鹿児島中央行きのバスが16時10分に出ており、17時37分に現地に着く。
が、私は19時30分の飛行機に乗らねばならないので、遅くても18時00分には、天文館で空港行きのバスに乗らねばならない。
つまり、17時37分から18時00分までの23分間が、私にとっての大勝負となる。
時刻は午後1時をすぎた。メインステージでは子供たちが軽快なステップを踏んでいるが、私の目には入っていない。さっきまでは、今日の行程はゆったりモードだったのに、いきなり1分を争う予定になってしまった。どうして私の旅はこういう破綻が多いのだろう。私は薄笑いを浮かべるしかなかった。
売店コーナーに行って、常潤高校が販売する温州みかん缶ジュースを1本買った。毎年の縁起物だ。ジュースは懐かしい味で、美味かった。
くじらバスに乗る。これは文字通り、バス全体がくじらの形をしている。子供がいればさぞよろこんだろうが、私は哀しいチョンガーだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/12/91c05727873cb6eeff6af961c43b4917.jpg)
中は25人乗りなのだろう、ほぼ満席だった。初老のガイドさんがついていて、本格的だ。
バスの発車とともに、ガイドさんの説明が入る。その弁舌はベテランの味で、とても聞きやすい。
「…というわけなんですね、はい左をご覧ください」
てな具合で、ハナシと景色の説明がピッタリ合っている。この人は素人ではないと思った。
しばらく走って、下車。田舎によくある山村で、河原には鯉のぼりが連なって泳いでいた。今日は5月5日である。
しばらく歩くと、家々が石垣の塀に囲まれた区域に侵入した。この石はサンゴではないが、遠き八重山の地を思い出す。
そのまま坂道を登っていったが、どの家も石垣に囲まれている。どうも、急斜面に立つこの石垣群が、そのまま観光地らしい。
ガイドの福元さんがいろいろ説明してくれる。「石の積み方にもいろいろあるんですが、これがノヅラヅミ(野面積み)といいます。種類はテッペイ(鉄平)石です…」
私たちはフンフンうなずく。昔は敷地がなかったので、こういう急斜面にもギュウギュウ詰めで家を建てたらしい。石積なのは、台風よけだろうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/67/22d658fb4d51bf83220dca7786b89e78.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/86/36d4b4604a475c881a3dbb82e6910f19.jpg)
ここらは白川郷の合掌造りのように、ふつうの生活空間である。そこを私たちが勝手にお邪魔させていただいているわけで、恐縮してしまう。
小路のすぐ右にお隣さんの2階があったりする。急坂なのでお年寄りにはつらく、ここが安住の地とは思えない。事実、いくつか更地になったところもあった。しかし彼方には湾が見え、景色は素晴らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/a8/4fad3e938dbf2be978bed20fce6b627f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/1d/1e6927e7db61feb6d1b38c832f615a41.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/a4/e1e3d8ca7db7dcfb08565516d6ff232b.jpg)
「火事になったら、消防車が入って来られません。だから防火の問題で、これから家を新しく建てることはできません」
福元さんは散文的にいう。
つまり、これらの家が朽ちたらオワリということだ。
ふもとに降りてくると、大当というバス停があった。野間池行きのバスが通る。これの上りが加世田行きだが、さすがにフェードアウトするわけにはいかない。
「石垣群の里 順路案内図」の古看板があった。さらに進むと、「100万個の自然石積 石垣群の里・大当」の石碑があった。大当は「おおとう」と読むが、近辺で宝くじでも買えば当たりそうな地名である。
時刻は2時半にならんとしている。この後もう1ヶ所寄るところがある。
私は時間が気になって気が気でなかった。
(つづく)
今年ももちろん力作揃いだ。砂像は雪像に比べて華やかさがないが、細かい彫刻はこちらが上だ。まさに匠の技を味わえる。
私は写真を撮るが、これは形式的なもの。肉眼で見たほうがはるかによい。
また旅行中は自分の写真は撮らないのだが、今回はスタッフに頼んで、1枚撮ってもらった。でも、老化している自分がイヤだから、確認することはないだろう。
バス時刻を確認すると、会場の中継点である加世田バスターミナルから、鹿児島空港へ行く便があった。
今までこのルートは眼中になかったが、よく考えたら鹿児島市内へ戻る必要もないのだ。加世田には「一公」という名の中華料理屋があり、そこで最後の食事を摂るのもわるくない。加世田→空港のルートはアリだと思った。
歩いていると、ちょっと異変を感じた。現在私はカメラを首から提げ、「ごぼ天うどん」が入ったJTエコバッグを右手に提げているのだが、それらを差し引いても、背中のリュックがわずかに軽いのだ。
イヤな予感がして、リュックの中の荷物検査をする。…あれ? 外付けストロボがない!?
いやそれはないだろう。どこかに紛れてるんだろう…。
私は会場の隅でリュックの荷物をぶちまける。しかしストロボはなかった。
いったいどこで…。昨夜は博多どんたくで親善大使を撮影するとき、使った。そのあと、エコバッグの中にストロボを放り込んだ気もする。では高速バス内に落としてきたか?
私はスマホから西鉄バスに連絡をする。しかしそれらしい落し物はない、とのことだった。
私は考える。昨夜ネットカフェのブースで、リュックの中の荷物をぶちまけた。あの時ストロボを戻し忘れたか!? 何しろ黒皮の上に、黒いカバーを置いたのだ。色が同化して見えなかった可能性がある。
私はサイバックに電話をして、かくかくしかじか。…ビンゴだった。しかしわざわざ取りに戻るわけにもいかないので、私は着払いの配送をお願いする。しかし先方は返答に詰まった。
そういうめんどうなことはゴメンだ、という意思表示であろう。私はすかさず、今日中に取りに行く旨を伝え、スマホを切った。
とはいえ厄介なことになった。今から鹿児島市内に戻るなら、鹿児島中央行きの直行バスに乗ればいいし、加世田を中継する路線バスに乗ってもいい。
だが私には、13時30分からくじらバスでの観光がある。これの会場到着時間が15時35分。鹿児島中央行きの直行バスは15時30分が最終である。つまり、タッチの差で間に合わないのだ。
よって会場からは、15時40分の加世田行きバスに乗ることになる。加世田着15時42分。そこから鹿児島中央行きのバスが16時10分に出ており、17時37分に現地に着く。
が、私は19時30分の飛行機に乗らねばならないので、遅くても18時00分には、天文館で空港行きのバスに乗らねばならない。
つまり、17時37分から18時00分までの23分間が、私にとっての大勝負となる。
時刻は午後1時をすぎた。メインステージでは子供たちが軽快なステップを踏んでいるが、私の目には入っていない。さっきまでは、今日の行程はゆったりモードだったのに、いきなり1分を争う予定になってしまった。どうして私の旅はこういう破綻が多いのだろう。私は薄笑いを浮かべるしかなかった。
売店コーナーに行って、常潤高校が販売する温州みかん缶ジュースを1本買った。毎年の縁起物だ。ジュースは懐かしい味で、美味かった。
くじらバスに乗る。これは文字通り、バス全体がくじらの形をしている。子供がいればさぞよろこんだろうが、私は哀しいチョンガーだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/12/91c05727873cb6eeff6af961c43b4917.jpg)
中は25人乗りなのだろう、ほぼ満席だった。初老のガイドさんがついていて、本格的だ。
バスの発車とともに、ガイドさんの説明が入る。その弁舌はベテランの味で、とても聞きやすい。
「…というわけなんですね、はい左をご覧ください」
てな具合で、ハナシと景色の説明がピッタリ合っている。この人は素人ではないと思った。
しばらく走って、下車。田舎によくある山村で、河原には鯉のぼりが連なって泳いでいた。今日は5月5日である。
しばらく歩くと、家々が石垣の塀に囲まれた区域に侵入した。この石はサンゴではないが、遠き八重山の地を思い出す。
そのまま坂道を登っていったが、どの家も石垣に囲まれている。どうも、急斜面に立つこの石垣群が、そのまま観光地らしい。
ガイドの福元さんがいろいろ説明してくれる。「石の積み方にもいろいろあるんですが、これがノヅラヅミ(野面積み)といいます。種類はテッペイ(鉄平)石です…」
私たちはフンフンうなずく。昔は敷地がなかったので、こういう急斜面にもギュウギュウ詰めで家を建てたらしい。石積なのは、台風よけだろうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/67/22d658fb4d51bf83220dca7786b89e78.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/86/36d4b4604a475c881a3dbb82e6910f19.jpg)
ここらは白川郷の合掌造りのように、ふつうの生活空間である。そこを私たちが勝手にお邪魔させていただいているわけで、恐縮してしまう。
小路のすぐ右にお隣さんの2階があったりする。急坂なのでお年寄りにはつらく、ここが安住の地とは思えない。事実、いくつか更地になったところもあった。しかし彼方には湾が見え、景色は素晴らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/a8/4fad3e938dbf2be978bed20fce6b627f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/1d/1e6927e7db61feb6d1b38c832f615a41.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/a4/e1e3d8ca7db7dcfb08565516d6ff232b.jpg)
「火事になったら、消防車が入って来られません。だから防火の問題で、これから家を新しく建てることはできません」
福元さんは散文的にいう。
つまり、これらの家が朽ちたらオワリということだ。
ふもとに降りてくると、大当というバス停があった。野間池行きのバスが通る。これの上りが加世田行きだが、さすがにフェードアウトするわけにはいかない。
「石垣群の里 順路案内図」の古看板があった。さらに進むと、「100万個の自然石積 石垣群の里・大当」の石碑があった。大当は「おおとう」と読むが、近辺で宝くじでも買えば当たりそうな地名である。
時刻は2時半にならんとしている。この後もう1ヶ所寄るところがある。
私は時間が気になって気が気でなかった。
(つづく)