バスは海沿いを通り、くじらの眠る丘・ふるさとくじら館に着いた。
ここは大浦という集落で、2002年1月、この海岸に14頭のくじらが打ち上げられた。うち1頭は海に帰ったが、残り13頭は死亡。町はこの悲劇を悼み、2012年、当時のくじらの標本や新聞記事などを展示する施設を建てた。くじらといえば長崎県というイメージがあったので、鹿児島県でのエピソードは意外だ。大浦は捕鯨の町で有名らしい。
施設手前にはくじらのモニュメントも併設されており、日中はこのくじらが30分ごとに潮を吹くらしい。その周りの十三の石柱は、くじらの墓標だ。
次の潮吹きは午後3時で、これを鑑賞するのだが、まだ時間がある。私たちは隣接の売店に寄る。表の自販機では500mlのペットボトルが150円で売られていた。喉が渇いているが、これでは買う気がしない。
ところが店の中では、同じ商品が108円で売られていた。こういう奇跡があるから、ジュースの購入は慎重にならざるを得ないのだ。私はアクエリアスを買った。
3時になり、潮吹きが始まったが、空の色と同化してしまい、分からない。なおこの潮は、くじら本体から出るものではない。施設の屋上から水が噴き出て、それがある方向から見ると、モニュメントから潮が吹いて見えるという仕掛けだった。
バスに戻る。福元さんは鹿児島の郷土史に詳しく、小倉智昭のテレビ番組の取材を受けたことがあるらしい。
「小倉さんの母方が南さつま市玉利の出身だったからしいです」
旧万世陸軍航空基地営門の前を通る。福元さんの話は続く。
「このあたりは先の戦争で焼夷弾が落ち、昭和20年6月17日、2,300人が亡くなりました。だけど新聞はそんな話載せませんね。いいことしか書かんのです。
終戦後の8月18日には、爆弾の信管を抜く作業で誤って爆発が起き、8人の市民が死亡しました。戦争は終わったのに、その後処理で亡くなるなんて、何てことですか。だけどこれも報道されませんでした。私はそれが悲しい」
「鯨は一頭獲れば、半年うるおうのです。肉もうまいし、いい脂も取れた。だけど昨今は反捕鯨派がうるさいですね。いつかも外国人が日本のどこかに住みついて、反捕鯨をインターネットですか、あれで全世界に発信した。だけど物事には何でも、よい面とわるい面は半々あります。そう何でもかんでもダメダメって、それはどうかという思いはありますね、私は」
その朴訥ちした語り口に、私たちはついつい引き込まれてしまう。
福元さんは6月5日に東京・府中市へ講演に行くらしい。私も聴きに行こうかと思った。
このあたりの道路からだと、背後の2つの山が重なって綺麗に見えるらしい。周りは歓声を上げるが、私はバスの到着時間が気になってしょうがない。もっとスピードを上げてくれよと思うが、思うだけだ。
くじらバスが見覚えのある地域に入った。もうすぐ砂の祭典会場だ。意外に早く帰ってきた感じである。
発着所には15時28分に着いた。
福元さん「これで南さつまの旅は終了です。3時30分に鹿児島中央に行くバスがあります。それをご利用する人は、気をつけてお帰りください」
おおー!! くじらバスは、ちゃんと後のバスダイヤを考えてくれていたのだ!!
これで無料とはありがたい限り。私は砂の祭典鑑賞歴が10年以上になるから、たまには恩恵を受けてもいいと思うが、それにしたって手厚いガイドだった。南さつま市のますますの発展を祈るものである。
私は福元さんに御礼を言う間もなく、直行バスに乗ったのだった。
思いがけず15時30分のバスに乗れたので、後は余裕である。直行バスは行きと同じコースを引き返す。
行きでは軽視していたが、谷山近辺の指宿枕崎線が、高架になっていた!! 「3月26日から高架を使用します」の案内看板があった。
次に同路線に乗るのが楽しみである。
直行バスは定刻を5分遅れの16時45分、鹿児島中央駅前に着いた。一時は加世田廻りを覚悟したことを思えば、この時間に着いたのが夢のようだ。バス代は1,030円で、いわさきバスカードの残りは1,240円となった。
私は朝にバスで通ったコースを逆に歩く。約20分でサイバックに入り、無事、外付けストロボを返してもらった。おのが不注意でだいぶ時間をロスしたが、それはそれでおもしろかった。
さてこの後である。ふつうの旅人なら近くの食事処で軽食を摂り、余裕を持って空港に向かうだろう。しかし私の思考は違う。
空港リムジンバスは、鹿児島市内から鹿児島空港まで、たしか1,250円だった。これでは現在のカードでは10円足りない。だが空港行きは特別サービスがあって、いわさきカード利用は100円引き、すなわち1,150円となるのだ。チャージ時に1割のプレミアが付いていたので、都合200円の割引になる。
だがこれは消費税が5%のころの話で、現在その割引システムが残っているかどうか分からない。
私が乗るバスはノンストップ便で、天文館→鹿児島中央ターミナル→空港のルートだ。天文館で乗っても鹿児島中央で乗っても同じ料金だとは思うが、もし割引システムが廃止されていたら、現金で10円を足さなければならない。
そのリスクを少しでも軽減するため、私は鹿児島中央ターミナルから乗ることにした。つまりそこまで歩いていく。
途中、ドン・キホーテがあったので、飲み物を調達する。節約するつもりが、結局ムダ遣いをしてしまう。
ターミナルに着いた。空港行きの客はいっぱいいた。明日が平日だから、今日で旅行を切り上げる手合いも多いだろう。
私は18時ちょうどの便に乗り、カードリーダーにタッチすると、「1150」の表示が出た。
100円引きは継続中だったようである。天文館から乗っても同じ料金だった。
満席のリムジンバスは18時40分、鹿児島空港に着いた。
我が便は19時30分発の630便だが、掲示板を見ると、15分の出発遅延となっていた。
フフッ…。私が余裕で空港に着くと、こういうケチがつくのだ。
かえりみて、今回は異例づくしの旅だった。まず、ゴールデン・ウィークが丸3日で終わってしまったことが一つ。
2泊ともネットカフェだったのもたぶん初めて。
また食事は、東京でも食べられそうなものばかりを摂った。強いて言えば、マルちゃんのごぼ天うどんが唯一の「地のモノ」だったといえようか。
さらに今回は、沖縄を除く旅先で、初めて列車を利用しなかった。これは異例中の異例である。今回は高速バスか路線バスしか利用しなかった。
今年は何かが違う。そう思った。
ここは大浦という集落で、2002年1月、この海岸に14頭のくじらが打ち上げられた。うち1頭は海に帰ったが、残り13頭は死亡。町はこの悲劇を悼み、2012年、当時のくじらの標本や新聞記事などを展示する施設を建てた。くじらといえば長崎県というイメージがあったので、鹿児島県でのエピソードは意外だ。大浦は捕鯨の町で有名らしい。
施設手前にはくじらのモニュメントも併設されており、日中はこのくじらが30分ごとに潮を吹くらしい。その周りの十三の石柱は、くじらの墓標だ。
次の潮吹きは午後3時で、これを鑑賞するのだが、まだ時間がある。私たちは隣接の売店に寄る。表の自販機では500mlのペットボトルが150円で売られていた。喉が渇いているが、これでは買う気がしない。
ところが店の中では、同じ商品が108円で売られていた。こういう奇跡があるから、ジュースの購入は慎重にならざるを得ないのだ。私はアクエリアスを買った。
3時になり、潮吹きが始まったが、空の色と同化してしまい、分からない。なおこの潮は、くじら本体から出るものではない。施設の屋上から水が噴き出て、それがある方向から見ると、モニュメントから潮が吹いて見えるという仕掛けだった。
バスに戻る。福元さんは鹿児島の郷土史に詳しく、小倉智昭のテレビ番組の取材を受けたことがあるらしい。
「小倉さんの母方が南さつま市玉利の出身だったからしいです」
旧万世陸軍航空基地営門の前を通る。福元さんの話は続く。
「このあたりは先の戦争で焼夷弾が落ち、昭和20年6月17日、2,300人が亡くなりました。だけど新聞はそんな話載せませんね。いいことしか書かんのです。
終戦後の8月18日には、爆弾の信管を抜く作業で誤って爆発が起き、8人の市民が死亡しました。戦争は終わったのに、その後処理で亡くなるなんて、何てことですか。だけどこれも報道されませんでした。私はそれが悲しい」
「鯨は一頭獲れば、半年うるおうのです。肉もうまいし、いい脂も取れた。だけど昨今は反捕鯨派がうるさいですね。いつかも外国人が日本のどこかに住みついて、反捕鯨をインターネットですか、あれで全世界に発信した。だけど物事には何でも、よい面とわるい面は半々あります。そう何でもかんでもダメダメって、それはどうかという思いはありますね、私は」
その朴訥ちした語り口に、私たちはついつい引き込まれてしまう。
福元さんは6月5日に東京・府中市へ講演に行くらしい。私も聴きに行こうかと思った。
このあたりの道路からだと、背後の2つの山が重なって綺麗に見えるらしい。周りは歓声を上げるが、私はバスの到着時間が気になってしょうがない。もっとスピードを上げてくれよと思うが、思うだけだ。
くじらバスが見覚えのある地域に入った。もうすぐ砂の祭典会場だ。意外に早く帰ってきた感じである。
発着所には15時28分に着いた。
福元さん「これで南さつまの旅は終了です。3時30分に鹿児島中央に行くバスがあります。それをご利用する人は、気をつけてお帰りください」
おおー!! くじらバスは、ちゃんと後のバスダイヤを考えてくれていたのだ!!
これで無料とはありがたい限り。私は砂の祭典鑑賞歴が10年以上になるから、たまには恩恵を受けてもいいと思うが、それにしたって手厚いガイドだった。南さつま市のますますの発展を祈るものである。
私は福元さんに御礼を言う間もなく、直行バスに乗ったのだった。
思いがけず15時30分のバスに乗れたので、後は余裕である。直行バスは行きと同じコースを引き返す。
行きでは軽視していたが、谷山近辺の指宿枕崎線が、高架になっていた!! 「3月26日から高架を使用します」の案内看板があった。
次に同路線に乗るのが楽しみである。
直行バスは定刻を5分遅れの16時45分、鹿児島中央駅前に着いた。一時は加世田廻りを覚悟したことを思えば、この時間に着いたのが夢のようだ。バス代は1,030円で、いわさきバスカードの残りは1,240円となった。
私は朝にバスで通ったコースを逆に歩く。約20分でサイバックに入り、無事、外付けストロボを返してもらった。おのが不注意でだいぶ時間をロスしたが、それはそれでおもしろかった。
さてこの後である。ふつうの旅人なら近くの食事処で軽食を摂り、余裕を持って空港に向かうだろう。しかし私の思考は違う。
空港リムジンバスは、鹿児島市内から鹿児島空港まで、たしか1,250円だった。これでは現在のカードでは10円足りない。だが空港行きは特別サービスがあって、いわさきカード利用は100円引き、すなわち1,150円となるのだ。チャージ時に1割のプレミアが付いていたので、都合200円の割引になる。
だがこれは消費税が5%のころの話で、現在その割引システムが残っているかどうか分からない。
私が乗るバスはノンストップ便で、天文館→鹿児島中央ターミナル→空港のルートだ。天文館で乗っても鹿児島中央で乗っても同じ料金だとは思うが、もし割引システムが廃止されていたら、現金で10円を足さなければならない。
そのリスクを少しでも軽減するため、私は鹿児島中央ターミナルから乗ることにした。つまりそこまで歩いていく。
途中、ドン・キホーテがあったので、飲み物を調達する。節約するつもりが、結局ムダ遣いをしてしまう。
ターミナルに着いた。空港行きの客はいっぱいいた。明日が平日だから、今日で旅行を切り上げる手合いも多いだろう。
私は18時ちょうどの便に乗り、カードリーダーにタッチすると、「1150」の表示が出た。
100円引きは継続中だったようである。天文館から乗っても同じ料金だった。
満席のリムジンバスは18時40分、鹿児島空港に着いた。
我が便は19時30分発の630便だが、掲示板を見ると、15分の出発遅延となっていた。
フフッ…。私が余裕で空港に着くと、こういうケチがつくのだ。
かえりみて、今回は異例づくしの旅だった。まず、ゴールデン・ウィークが丸3日で終わってしまったことが一つ。
2泊ともネットカフェだったのもたぶん初めて。
また食事は、東京でも食べられそうなものばかりを摂った。強いて言えば、マルちゃんのごぼ天うどんが唯一の「地のモノ」だったといえようか。
さらに今回は、沖縄を除く旅先で、初めて列車を利用しなかった。これは異例中の異例である。今回は高速バスか路線バスしか利用しなかった。
今年は何かが違う。そう思った。