参議院議員の山東昭子さんがスピーチを始めた。山東昭子さんは昔からの将棋ファンで、確か1978年のNHK将棋講座で、西村一義七段(当時)の聞き手を務めたはずだ。
だから私たちは注目しなければならないのだが、みんな雑談に夢中で、耳を傾けていない。
鹿野圭生女流二段の姿が見える。鹿野女流二段もきものだが、髪をアップにした姿が妙に色っぽく、極妻とか、クラブのママに見える。
藤田麻衣子さんの姿もあった。藤田さんはLPSAの元所属だが、数年前に退会した。今日は静かにお祝い、というところか。
W氏が桐谷広人七段と話してきたという。今はメジャーになってしまった桐谷七段だが、ジョナ研メンバーは早くから、その特異キャラに注目していた。現在は「月曜から夜ふかし」でその活躍を見られるが、桐谷七段の本当のおもしろさは、別のところにある。
私も桐谷七段のもとに向かう。
「桐谷先生はじめまして。私将棋ブロガーでして、先生には一度、コメントをいただいたことがあります。私LPSAの教室によく通っていまして、そこで先生を拝見したこともあります」
桐谷七段は、うん、うん、と聞いている。
「あなたのようにLPSAを応援しているのは素晴らしい」
「ありがとうございます。先生のお部屋、引っ越し後もだんだん汚くなって、素晴らしいです! 私もモノを捨てられないんで、ああいうモノを左から右に移動するだけという、先生の気持ちがよく分かるんです!」
桐谷七段のお株を奪い、私がしゃべり続ける。「先生の『歩の玉手箱』、あれは名著です。トッププロから女流の将棋まで、精力的に取材されているのが素晴らしいです!」
「ありがとう。最近もね、初心者向けに将棋の本を書かないか、って話が来たんですよ。なんなら名前だけ貸してくれればいいからって…」
どうもそれは断ったようだ。「……。……あれ? 私今、何を言おうとしてたんだっけな…。忘れちゃった」
どうも桐谷七段、少しお疲れのようだ。ただ、名刺交換をしてくれた。私は失職中なのでいささか気が引けるが、桐谷七段と細い糸が繋がったのはありがたかった。
料理はまだ残っているが、私の食欲は回復せず、またウーロン茶を飲んだ。今日は暑いので、水分を補給するのがベストだ。
上川香織女流二段が見えた。右手にワイングラスを持ち、目がトロンとしている。
「あ、松尾先生」
「松尾じゃない」
「あ、上川先生でした」
「…それならいいか」
「いやいや上川先生、このたびは10周年おめでとうございます。でも上川先生はいつも若々しくて何よりです」
「ほんとにィー? そう思ってるー?」
「ホントですよ。38…くらいに見えますよ」
「それ、若く見えるっていうのー?」
「いや若いですよ。38って、いい数字でしょう? だってその目尻の小ジワで20代に見えるって言ったら、そっちの方がウソくさいですよ」
「…そうかなー」
「そうですよ。その小ジワがマニアには堪らないんですよー」
「ちょっと小ジワ小ジワって、ウルサイわよー」
「いやいやでも、上川先生がもう少し勝ってくれればねー。私、けやきカップにも行ったんですけど、上川先生、けやきカップに出てました?」
以前島井女流二段にも言った、ブラックテイストのジョークである。
「出てたけど、すぐ負けちゃったから」
「ああ、でも上川先生はすぐに負けるのがいいんですよね。上川先生が会心の切れ味で勝っちゃったらおかしいですもん」
「何よそれー」
「いやホントに、女流王座戦でもいい負けっぷりでしたし」
「それ、ホメられてるのー?」
「ホメてますよー」
Kun氏が、夫婦漫才を見てるみたいだ、と苦笑した。
「社団戦に出てよー。(第2日目の)7月30日は私の誕生日なんだから」
上川女流二段まで、自分の誕生日かこつけて、私(たち)に社団戦出場を促す。当局から極秘指令でも出ているのであろうか。
谷川治惠女流五段がいた。女流棋士会の重鎮まで参加とは珍しい。そして谷川女流五段は、当ブログの読者である。
「谷川先生、お世話になっております。先生に似ている芸能人がなかなか見つかりません。自己申告していただけないでしょうか」
谷川女流五段はそれには答えず、
「大沢さんのブログは局面が載るようになって、見やすくなりました」
と言った。
櫛田陽一七段が通ったので挨拶する。櫛田七段は、LPSA金曜サロンで手合い係を務めたことがあるのだ。これはカルトクイズ級の豆知識である。
時刻は午後8時近くになり、これで中締めとなった。1時間半はあっという間だった。
改めて今回、LPSAが10周年記念パーティーを開けたのはめでたかった。船出の時から前途多難のケはあり、事実退会者も何人か出たが、LPSAはそのたびに、よく踏ん張った。
LPSAは窮地に追い込まれた時こそ、底力を発揮した。私は敬服するのみである。
次の10年を考えると私は還暦を過ぎてしまうし、確実にハゲが進行しているだろう。もちろん結婚はしていないだろうし、まともな仕事に就いているかも微妙だ。マジで明るい材料がないのだが、LPSAが今以上に発展してくれれば、これに勝るよろこびはない。とにかく今回は、本当におめでとうございました。
会場を出ると、クロークに森内俊之九段がいた。なぜフリークラスに転出してしまったのか。それを聞きたいところであるが、当人は本心を語ってくれまい。
あたりを見回しても知己がいない。この時間なら、まっすぐ帰れば「小さな巨人」をリアルタイムで観られる。私はひとり、帰路に着いた。
だから私たちは注目しなければならないのだが、みんな雑談に夢中で、耳を傾けていない。
鹿野圭生女流二段の姿が見える。鹿野女流二段もきものだが、髪をアップにした姿が妙に色っぽく、極妻とか、クラブのママに見える。
藤田麻衣子さんの姿もあった。藤田さんはLPSAの元所属だが、数年前に退会した。今日は静かにお祝い、というところか。
W氏が桐谷広人七段と話してきたという。今はメジャーになってしまった桐谷七段だが、ジョナ研メンバーは早くから、その特異キャラに注目していた。現在は「月曜から夜ふかし」でその活躍を見られるが、桐谷七段の本当のおもしろさは、別のところにある。
私も桐谷七段のもとに向かう。
「桐谷先生はじめまして。私将棋ブロガーでして、先生には一度、コメントをいただいたことがあります。私LPSAの教室によく通っていまして、そこで先生を拝見したこともあります」
桐谷七段は、うん、うん、と聞いている。
「あなたのようにLPSAを応援しているのは素晴らしい」
「ありがとうございます。先生のお部屋、引っ越し後もだんだん汚くなって、素晴らしいです! 私もモノを捨てられないんで、ああいうモノを左から右に移動するだけという、先生の気持ちがよく分かるんです!」
桐谷七段のお株を奪い、私がしゃべり続ける。「先生の『歩の玉手箱』、あれは名著です。トッププロから女流の将棋まで、精力的に取材されているのが素晴らしいです!」
「ありがとう。最近もね、初心者向けに将棋の本を書かないか、って話が来たんですよ。なんなら名前だけ貸してくれればいいからって…」
どうもそれは断ったようだ。「……。……あれ? 私今、何を言おうとしてたんだっけな…。忘れちゃった」
どうも桐谷七段、少しお疲れのようだ。ただ、名刺交換をしてくれた。私は失職中なのでいささか気が引けるが、桐谷七段と細い糸が繋がったのはありがたかった。
料理はまだ残っているが、私の食欲は回復せず、またウーロン茶を飲んだ。今日は暑いので、水分を補給するのがベストだ。
上川香織女流二段が見えた。右手にワイングラスを持ち、目がトロンとしている。
「あ、松尾先生」
「松尾じゃない」
「あ、上川先生でした」
「…それならいいか」
「いやいや上川先生、このたびは10周年おめでとうございます。でも上川先生はいつも若々しくて何よりです」
「ほんとにィー? そう思ってるー?」
「ホントですよ。38…くらいに見えますよ」
「それ、若く見えるっていうのー?」
「いや若いですよ。38って、いい数字でしょう? だってその目尻の小ジワで20代に見えるって言ったら、そっちの方がウソくさいですよ」
「…そうかなー」
「そうですよ。その小ジワがマニアには堪らないんですよー」
「ちょっと小ジワ小ジワって、ウルサイわよー」
「いやいやでも、上川先生がもう少し勝ってくれればねー。私、けやきカップにも行ったんですけど、上川先生、けやきカップに出てました?」
以前島井女流二段にも言った、ブラックテイストのジョークである。
「出てたけど、すぐ負けちゃったから」
「ああ、でも上川先生はすぐに負けるのがいいんですよね。上川先生が会心の切れ味で勝っちゃったらおかしいですもん」
「何よそれー」
「いやホントに、女流王座戦でもいい負けっぷりでしたし」
「それ、ホメられてるのー?」
「ホメてますよー」
Kun氏が、夫婦漫才を見てるみたいだ、と苦笑した。
「社団戦に出てよー。(第2日目の)7月30日は私の誕生日なんだから」
上川女流二段まで、自分の誕生日かこつけて、私(たち)に社団戦出場を促す。当局から極秘指令でも出ているのであろうか。
谷川治惠女流五段がいた。女流棋士会の重鎮まで参加とは珍しい。そして谷川女流五段は、当ブログの読者である。
「谷川先生、お世話になっております。先生に似ている芸能人がなかなか見つかりません。自己申告していただけないでしょうか」
谷川女流五段はそれには答えず、
「大沢さんのブログは局面が載るようになって、見やすくなりました」
と言った。
櫛田陽一七段が通ったので挨拶する。櫛田七段は、LPSA金曜サロンで手合い係を務めたことがあるのだ。これはカルトクイズ級の豆知識である。
時刻は午後8時近くになり、これで中締めとなった。1時間半はあっという間だった。
改めて今回、LPSAが10周年記念パーティーを開けたのはめでたかった。船出の時から前途多難のケはあり、事実退会者も何人か出たが、LPSAはそのたびに、よく踏ん張った。
LPSAは窮地に追い込まれた時こそ、底力を発揮した。私は敬服するのみである。
次の10年を考えると私は還暦を過ぎてしまうし、確実にハゲが進行しているだろう。もちろん結婚はしていないだろうし、まともな仕事に就いているかも微妙だ。マジで明るい材料がないのだが、LPSAが今以上に発展してくれれば、これに勝るよろこびはない。とにかく今回は、本当におめでとうございました。
会場を出ると、クロークに森内俊之九段がいた。なぜフリークラスに転出してしまったのか。それを聞きたいところであるが、当人は本心を語ってくれまい。
あたりを見回しても知己がいない。この時間なら、まっすぐ帰れば「小さな巨人」をリアルタイムで観られる。私はひとり、帰路に着いた。