1日は、「近代将棋」元編集長・中野隆義さんのお通夜に行った。
夕方、「仕事中」にもかかわらず、「ミスDJリクエストパレード」をRadikoで聴いていたら、得意先の上役が突然いらして、聴取が中途半端になってしまった。
5時になり、私は外出の用意である。私は黒のスーツを持っていないので、それに近い色で誤魔化す。香典袋を袱紗に包み、お数珠を用意し、念のため名刺入れも内ポケットに入れた。
イヤホンをスマホに付けて、家を出る。Radikoのタイムフリーは一度再生すると、聴取を中断しても、その番組は3時間で聴けなくなってしまうので、できるだけ長く聴きたいのだ。
しかし電車内は意外と騒音がひどく、千倉真理のDJがうまく聴き取れない。こりゃダメだと諦め、イヤホンをポケットに仕舞った。
重要なのはお通夜だ。私はお通夜に列席したことがあまりないので、予習をしておく。スマホで該当するサイトを開き、「香炉の抹香は3回つまむ」「振る舞い膳は断らずにいただく」等々を頭に入れた。
赤羽駅で下車する。目指すは南口だが、繁華街のほうに下りたら東口で、若干時間をロスした。
会場の「千代田赤羽駅南口ホール」は、埼京線の高架下にあった。受付には観戦記者のS氏、将棋ペンクラブのA氏がいた。
香典を渡すと、まず待合室に通された。いきなりお焼香ではないらしい。
指示された席に座り待っていると、将棋ペンクラブの三上氏らが見えた。一呼吸して左を見ると、大野八一雄七段がいた。このお通夜は将棋関係者が多く列席するはずだ。
三上氏がきて挨拶される。私は頭を垂れるのみである。
お焼香が開始された。1テーブルごとに呼ばれ、やがて私たちのグループも呼ばれる。
3人一組でお焼香のようだ。隣の祭壇室の手前に来ると、右手にご遺族とご親族、左手に佐藤康光会長、渡辺明竜王がいた。
私は3人組のいちばん右。皆さん荷物はどうするのかと見ていると、左手の空いている椅子の上に置いていた。私もセカンドバッグを抱えている。
私の番がきた。しかし荷物置き場?は左手で、ここからは遠い。スタッフの女性は、「右手に置いてください」というが、右手はご遺族の席で、空いている席が見つからない。
私が動揺すると、スタッフさんが「ああ、私が持ちます」と預かってくれた。
その間、左のふたりは祭壇の前に進んでいた。その手には数珠がある。あ! 数珠!
私はご遺族とご遺影に一礼したあと、ポケットをまさぐる。あった…と出したら、何とイヤホンだった。これじゃドリフのコントじゃねえか!
私はイヤホンを戻し、またポケットをまさぐる。さっと出したらさっきのイヤホンだった。バカが、イヤホンを数珠代わりにしてどうするんだ!
数珠は!? セカンドバッグの中か!? しかしそれはスタッフさんが持っている!
完全に我を忘れた私は、そのまま合掌して回れ右をすると、スタッフさんからバッグをもらい、顔から火が出る思いで、向かいの談話室に入った。
案内された円卓の席に座ると、右手に見覚えのある美女がいた。私が思い出せずにいると、「Aです」。
そうだそうだ、「A氏の奥さん」だった。
以前私と八枚落ちで将棋を指し、私が勝勢になったら「大沢さん、ずるいー!!」と駄々をこねた、あのA氏の奥さんである。
「ああAさん、久しぶり。いやさっき数珠の代わりにイヤホン出しちゃってさ…」
「キャハハハ」
中野さんとご遺族に何と詫びればいいのか。バッグの中をあらためると、しっかり数珠が入っており、私は天を仰いだ。ああ、そもそもバッグを預ける必要はなかった。ふつうに腋に挟んで、お焼香をすればよかったのだ。
周りを見ると、私の2つ左に森下卓九段、その右に佐藤義則八段がいた。場所が場所なら森下九段には「花みず木女流オープン戦の解説を毎年楽しみにしています」、佐藤八段には「第18期と19期十段戦の予選決勝は惜しかったですね」と一声掛けるところだが、ここではうかつな発言ができない。
振る舞い膳のお寿司をつまみ、若干落ち着きを取り戻す。
Fuj氏も来室し、同じ円卓についた。A氏の奥さんに、「彼は将棋バカです」と紹介すると、「大沢さんがそう言うくらいなら、かなりの…」と笑った。
しんみりした席がちょっと和んだ。
ほかのテーブルを見ると、森内俊之九段、郷田真隆九段、植山悦行七段、中井広恵女流六段、湯川博士氏、美馬和夫氏らの顔が見えた。
私の左の席は空いているが、そこに中田功七段が座った。中田七段は近代将棋のアマプロ戦に出場したことがあり、奨励会二段の時に、アマ強豪に屈したことがある(はずだ)。
私は「今月号の将棋世界の、三間飛車講座はおもしろかったです」と言いたかったが、やはり口をつぐむ。
円卓の席が埋まったところで、あらためて献杯となった。
Hak氏がきた。「大沢さんのブログは、本人が(実生活で)失敗すればするほど、おもしろいですね」
私は苦笑いするのみである。
お坊さんの読経が終わったようで、私たちは再び祭壇室に呼ばれた。ご遺族のあいさつがあるようだ。
私たち全員は中に入れないので、大半が廊下で聞く。私の右には中田七段、左には森下九段がいた。
佐藤会長の弔辞が始まったが、マイクの関係でよく聞き取れなかった。
渡辺竜王は、自身が「近代将棋」に連載を持っていたことから、「中野さんにはよくしていただいた」という旨の弔辞だった。
続いて中野さんの奥さんのあいさつである。
「主人は、将棋を愛し、家族を愛し、友を愛し、酒を愛し…酒を、愛しすぎました。素晴らしいひとでした」
何とも泣かせるあいさつではないか。中野さんの苦笑いしている姿が浮かんだ。
続いてご遺体との対面になる。行きがかり上、弔問客のすべてが拝顔することになった。中田七段に私の前を譲る。順繰りに拝顔し、私も中野さんを拝顔した。中野さんは交流会の時と同じ顔だった。
(中野さん、いい具合に酔っぱらって、温泉に入ったんですか?)
中野さんは答えない。ちょっと笑ったようにも見える。
私の前の中田七段が、「中野さんには私が15の時から近代将棋にお世話になりました…」と言う。「大きくなって」とご遺族が返した。
私も何か言うべきなのだろうか。私は口を開く。
「先日のペンクラブの交流会では、中野さんと将棋を指させていただきました。いい思い出になりました。ありがとうございました」
しまった、お通夜の席で「ありがとう」はないだろう。しかも語尾はごにょごにょと濁さなければならないのに、ハッキリと発音してしまった。私は再び自己嫌悪に陥る。
表へ出ると、湯川恵子さんに挨拶された。
「大沢さんのブログ、よかったですよ」
「最新のですか?」
将棋ペンクラブ交流会の記事は、中野さんが亡くなる前に書き終えていたものだ。「あれはあえて記事を訂正することなく、そのまま載せました」
「……」
恵子さんはあまり反応がない。ああ、交流会ではなく、中野さん逝去の記事のことを云っていたのかもしれない。
とにかく今回のお通夜は、私は最初から最後まで、失敗の連続だった。
中野さんのご冥福をあらためてお祈りいたします。
夕方、「仕事中」にもかかわらず、「ミスDJリクエストパレード」をRadikoで聴いていたら、得意先の上役が突然いらして、聴取が中途半端になってしまった。
5時になり、私は外出の用意である。私は黒のスーツを持っていないので、それに近い色で誤魔化す。香典袋を袱紗に包み、お数珠を用意し、念のため名刺入れも内ポケットに入れた。
イヤホンをスマホに付けて、家を出る。Radikoのタイムフリーは一度再生すると、聴取を中断しても、その番組は3時間で聴けなくなってしまうので、できるだけ長く聴きたいのだ。
しかし電車内は意外と騒音がひどく、千倉真理のDJがうまく聴き取れない。こりゃダメだと諦め、イヤホンをポケットに仕舞った。
重要なのはお通夜だ。私はお通夜に列席したことがあまりないので、予習をしておく。スマホで該当するサイトを開き、「香炉の抹香は3回つまむ」「振る舞い膳は断らずにいただく」等々を頭に入れた。
赤羽駅で下車する。目指すは南口だが、繁華街のほうに下りたら東口で、若干時間をロスした。
会場の「千代田赤羽駅南口ホール」は、埼京線の高架下にあった。受付には観戦記者のS氏、将棋ペンクラブのA氏がいた。
香典を渡すと、まず待合室に通された。いきなりお焼香ではないらしい。
指示された席に座り待っていると、将棋ペンクラブの三上氏らが見えた。一呼吸して左を見ると、大野八一雄七段がいた。このお通夜は将棋関係者が多く列席するはずだ。
三上氏がきて挨拶される。私は頭を垂れるのみである。
お焼香が開始された。1テーブルごとに呼ばれ、やがて私たちのグループも呼ばれる。
3人一組でお焼香のようだ。隣の祭壇室の手前に来ると、右手にご遺族とご親族、左手に佐藤康光会長、渡辺明竜王がいた。
私は3人組のいちばん右。皆さん荷物はどうするのかと見ていると、左手の空いている椅子の上に置いていた。私もセカンドバッグを抱えている。
私の番がきた。しかし荷物置き場?は左手で、ここからは遠い。スタッフの女性は、「右手に置いてください」というが、右手はご遺族の席で、空いている席が見つからない。
私が動揺すると、スタッフさんが「ああ、私が持ちます」と預かってくれた。
その間、左のふたりは祭壇の前に進んでいた。その手には数珠がある。あ! 数珠!
私はご遺族とご遺影に一礼したあと、ポケットをまさぐる。あった…と出したら、何とイヤホンだった。これじゃドリフのコントじゃねえか!
私はイヤホンを戻し、またポケットをまさぐる。さっと出したらさっきのイヤホンだった。バカが、イヤホンを数珠代わりにしてどうするんだ!
数珠は!? セカンドバッグの中か!? しかしそれはスタッフさんが持っている!
完全に我を忘れた私は、そのまま合掌して回れ右をすると、スタッフさんからバッグをもらい、顔から火が出る思いで、向かいの談話室に入った。
案内された円卓の席に座ると、右手に見覚えのある美女がいた。私が思い出せずにいると、「Aです」。
そうだそうだ、「A氏の奥さん」だった。
以前私と八枚落ちで将棋を指し、私が勝勢になったら「大沢さん、ずるいー!!」と駄々をこねた、あのA氏の奥さんである。
「ああAさん、久しぶり。いやさっき数珠の代わりにイヤホン出しちゃってさ…」
「キャハハハ」
中野さんとご遺族に何と詫びればいいのか。バッグの中をあらためると、しっかり数珠が入っており、私は天を仰いだ。ああ、そもそもバッグを預ける必要はなかった。ふつうに腋に挟んで、お焼香をすればよかったのだ。
周りを見ると、私の2つ左に森下卓九段、その右に佐藤義則八段がいた。場所が場所なら森下九段には「花みず木女流オープン戦の解説を毎年楽しみにしています」、佐藤八段には「第18期と19期十段戦の予選決勝は惜しかったですね」と一声掛けるところだが、ここではうかつな発言ができない。
振る舞い膳のお寿司をつまみ、若干落ち着きを取り戻す。
Fuj氏も来室し、同じ円卓についた。A氏の奥さんに、「彼は将棋バカです」と紹介すると、「大沢さんがそう言うくらいなら、かなりの…」と笑った。
しんみりした席がちょっと和んだ。
ほかのテーブルを見ると、森内俊之九段、郷田真隆九段、植山悦行七段、中井広恵女流六段、湯川博士氏、美馬和夫氏らの顔が見えた。
私の左の席は空いているが、そこに中田功七段が座った。中田七段は近代将棋のアマプロ戦に出場したことがあり、奨励会二段の時に、アマ強豪に屈したことがある(はずだ)。
私は「今月号の将棋世界の、三間飛車講座はおもしろかったです」と言いたかったが、やはり口をつぐむ。
円卓の席が埋まったところで、あらためて献杯となった。
Hak氏がきた。「大沢さんのブログは、本人が(実生活で)失敗すればするほど、おもしろいですね」
私は苦笑いするのみである。
お坊さんの読経が終わったようで、私たちは再び祭壇室に呼ばれた。ご遺族のあいさつがあるようだ。
私たち全員は中に入れないので、大半が廊下で聞く。私の右には中田七段、左には森下九段がいた。
佐藤会長の弔辞が始まったが、マイクの関係でよく聞き取れなかった。
渡辺竜王は、自身が「近代将棋」に連載を持っていたことから、「中野さんにはよくしていただいた」という旨の弔辞だった。
続いて中野さんの奥さんのあいさつである。
「主人は、将棋を愛し、家族を愛し、友を愛し、酒を愛し…酒を、愛しすぎました。素晴らしいひとでした」
何とも泣かせるあいさつではないか。中野さんの苦笑いしている姿が浮かんだ。
続いてご遺体との対面になる。行きがかり上、弔問客のすべてが拝顔することになった。中田七段に私の前を譲る。順繰りに拝顔し、私も中野さんを拝顔した。中野さんは交流会の時と同じ顔だった。
(中野さん、いい具合に酔っぱらって、温泉に入ったんですか?)
中野さんは答えない。ちょっと笑ったようにも見える。
私の前の中田七段が、「中野さんには私が15の時から近代将棋にお世話になりました…」と言う。「大きくなって」とご遺族が返した。
私も何か言うべきなのだろうか。私は口を開く。
「先日のペンクラブの交流会では、中野さんと将棋を指させていただきました。いい思い出になりました。ありがとうございました」
しまった、お通夜の席で「ありがとう」はないだろう。しかも語尾はごにょごにょと濁さなければならないのに、ハッキリと発音してしまった。私は再び自己嫌悪に陥る。
表へ出ると、湯川恵子さんに挨拶された。
「大沢さんのブログ、よかったですよ」
「最新のですか?」
将棋ペンクラブ交流会の記事は、中野さんが亡くなる前に書き終えていたものだ。「あれはあえて記事を訂正することなく、そのまま載せました」
「……」
恵子さんはあまり反応がない。ああ、交流会ではなく、中野さん逝去の記事のことを云っていたのかもしれない。
とにかく今回のお通夜は、私は最初から最後まで、失敗の連続だった。
中野さんのご冥福をあらためてお祈りいたします。