我が工場(こうば)の近況報告をしておこう。
ウチにはおもな得意先が2つあり、そちらに廃業を伝えたのが1月下旬である。手紙には3月末日を廃業としたが、それまでには関連作業がひととおり終わると考えた。
だが2月上旬に最後の注文がドドドと入り、予定が狂った。フルに作業をしても3月中の納品は無理で、一部は4月にズレこむことになった。ただ私は仕事を失いたくなかったから、作業が長引くのは大歓迎、むしろもっと発注が欲しいくらいだった。
あれは3月下旬のことである。得意先A社の担当(女性)から電話がかかってきた。いつも発注している製品を、いまから追加発注できないだろうか、という内容だった。
これはウチの主力製品で、1回注文があれば売り上げはウン十万円になる。この製品は構造が複雑で、代替の会社が簡単に造れる代物ではない。A社がウチから金型を引き取る前に、最後の注文を出したいと考えたのも無理はなかった。
しかしこの電話を受けたのが珍しくオヤジで、もう仕事に執着がないオヤジは断った。
運命のいたずら、というのはいつの時もある。もし私がいる時に電話が来たら、間違いなく私が出て、オヤジを説得して受注したはずだ。その売り上げも大きいが、まだ仕事を続けられるうれしさのほうが大きかったからだ。
そして何より、相手の希望も叶えてあげたかった。だがオヤジはドライだった。
4月中旬、最後の納品をA社にした時、女性担当者を呼んでもらった。表向きは最後の挨拶だが、先の製品の話が出てきたら、受けちゃおうと思ったのだ。
だが女性担当はこの4月から配置替えになっており、発注云々の話どころではなかった。
これですべてが終わった。ウチは工場内の整理を始め、もう納めようのない半製品等を徐々に処分し始めた。
だがその1週間後、A社の上役がウチに訪ねて来た。先日の製品の注文ができないかというのだ。
今度こそ私はオヤジを説得し、上役に受注する旨を伝えた。これでもう少し「寿命」が延びることになり、私は心から安堵した。
その翌日、半製品がまだ残っていたので、それを加工するべく、久しぶりにプレス機を動かした。工場がでっかい騒音に包まれ、心なしかオヤジと叔父は、うれしそうだった。何しろ二人とも戦後から55年以上、この仕事をやってきたのだ。スンナリ辞められるはずがない。
だが、私がゴールデンウイークの旅から帰ってきても、まだ正式な注文は来なかった。
発注が来てから材料を注文すると、時間を食ってしまう。5月8日、ウチは受注を待たずに、材料を発注した。
問題が発生したのはその翌日である。A社の別の担当から、例の製品の金型を引き取りたい、という電話があった。
だが、今この金型を持っていかれたら、製品が作れなくなる。
…ということは、この製品を造る会社が見つかったということだ。そこに任せるから、ウチの製品はもう必要ない、ということだ。
じゃああの上役との話は何だったのだ? 直々に頼みに来たから、オヤジだって首をタテに振ったんじゃないか。本来なら、上役から詫びの電話があって然るべきだろう。
実はこういう身勝手なところがA社にはある。今回の廃業にあたり、直接の要因はオヤジが病を得たことだが、間接的な要因のひとつは、この会社の自分勝手な社風だった。もう、ついていけなくなったのだ。
ウチは材料屋にキャンセルを申し出た。材料だって数万の売り上げになるから先方もいい顔はしなかったが、最終的には了承してくれた。
ともあれいきなり仕事を取り上げられて、この時は本当にショックだった。
こうなったらA社に、一刻でも早く残りの金型を引き取ってもらいたい。でないとウチが正式に廃業できないのだ。
ちなみに得意先B社は、4月中旬にすべての金型を引き取り、製品の在庫をひとつ残らず買い上げてくれた。あまりの手際のよさに、私たちはいたく感心したものである。
A社とB社の売り上げは7:3くらいだったが、土壇場の対照的な対応により、ウチの両社への評価は、天と地ほどに開いてしまった。
そんな5月の下旬、またA社の上役がひょっこり訪ねてきた。前回とは別の製品を、1,000個造ってもらいたいというのだ。
ウチにその金型は残っていたので注文の可能性も考えてはいたが、まさかの展開である。
だが今回はさすがに、私たちも眉唾で聞いた。もう、この上役の言うことは信用できないからだ。
だが今回は杞憂で、正式な注文が翌日にあった。ウチは即金を条件に材料を仕入れ、オヤジらは再びプレス機を動かした。
ちなみに私はプレス機をほとんど動かしていない。これは私がこの仕事を始めた時からそうで、息子に危険な機械仕事をさせたくない、というオヤジの強い信念からだった。
だから私は製品の梱包作業を中心にやっていたのだが、このぬるま湯的環境に私が満足してしまったことが、今回の廃業の遠因になったともいえる。
つまり自分が永久にこの仕事を続けたければ、オヤジを説得して機械仕事を覚えたはずで、それをしなかったのは、この仕事から逃げていたのだ。
結局、廃業のいちばんの原因は、私にあったのだ。
ともあれまたもや、工場内にプレスの音が響き渡った。私はビデオカメラを持ち出し、オヤジが機械を動かしているところをビデオに収めた。
パーツ品が揃うと、ここから私の仕事である。パーツをひとつに組み立てるのだ。だが1,000個という小ロットだから、その作業も2日間で終えてしまった。あとは納品日(26日)に納めればいいが、これは16日に納めるつもりだ。
そんな15日、誰かが表で話していた。ひとりはウチの叔父のようだ。…この前は久しぶりに機械が動いていたけど…とか聞こえる。「…もう仕事は止めたのかい?」
「そうだね。もう体が容易じゃない」
「オレも古い人間だから。このあたりは工場の音が聞こえてないとさびしいやね」
「昔はこの辺に工場もいっぱいあったけどね。いまはウチだけになっちゃった。だけどウチももう、ダメだ」
「この前は機械の音を聞いて、まだ仕事やってんだなと思ったけど、そうかい。音が聞こえねぇと、逆に静かでいけねえ」
いまは保育園の園児の声が騒音になる時代である。古くからの住人とはいえ、ウチのプレス音を佳く思っていた人がいたとはありがたい。そして、私がもっとマジメに働いて、この工場を少しでも長生きさせてあげればよかったと悔やんだが、もう遅かった。
今月末には動力の契約を打ち切る予定である。泣いても笑っても、16日が正真正銘、最後の納品となりそうだ。
ウチにはおもな得意先が2つあり、そちらに廃業を伝えたのが1月下旬である。手紙には3月末日を廃業としたが、それまでには関連作業がひととおり終わると考えた。
だが2月上旬に最後の注文がドドドと入り、予定が狂った。フルに作業をしても3月中の納品は無理で、一部は4月にズレこむことになった。ただ私は仕事を失いたくなかったから、作業が長引くのは大歓迎、むしろもっと発注が欲しいくらいだった。
あれは3月下旬のことである。得意先A社の担当(女性)から電話がかかってきた。いつも発注している製品を、いまから追加発注できないだろうか、という内容だった。
これはウチの主力製品で、1回注文があれば売り上げはウン十万円になる。この製品は構造が複雑で、代替の会社が簡単に造れる代物ではない。A社がウチから金型を引き取る前に、最後の注文を出したいと考えたのも無理はなかった。
しかしこの電話を受けたのが珍しくオヤジで、もう仕事に執着がないオヤジは断った。
運命のいたずら、というのはいつの時もある。もし私がいる時に電話が来たら、間違いなく私が出て、オヤジを説得して受注したはずだ。その売り上げも大きいが、まだ仕事を続けられるうれしさのほうが大きかったからだ。
そして何より、相手の希望も叶えてあげたかった。だがオヤジはドライだった。
4月中旬、最後の納品をA社にした時、女性担当者を呼んでもらった。表向きは最後の挨拶だが、先の製品の話が出てきたら、受けちゃおうと思ったのだ。
だが女性担当はこの4月から配置替えになっており、発注云々の話どころではなかった。
これですべてが終わった。ウチは工場内の整理を始め、もう納めようのない半製品等を徐々に処分し始めた。
だがその1週間後、A社の上役がウチに訪ねて来た。先日の製品の注文ができないかというのだ。
今度こそ私はオヤジを説得し、上役に受注する旨を伝えた。これでもう少し「寿命」が延びることになり、私は心から安堵した。
その翌日、半製品がまだ残っていたので、それを加工するべく、久しぶりにプレス機を動かした。工場がでっかい騒音に包まれ、心なしかオヤジと叔父は、うれしそうだった。何しろ二人とも戦後から55年以上、この仕事をやってきたのだ。スンナリ辞められるはずがない。
だが、私がゴールデンウイークの旅から帰ってきても、まだ正式な注文は来なかった。
発注が来てから材料を注文すると、時間を食ってしまう。5月8日、ウチは受注を待たずに、材料を発注した。
問題が発生したのはその翌日である。A社の別の担当から、例の製品の金型を引き取りたい、という電話があった。
だが、今この金型を持っていかれたら、製品が作れなくなる。
…ということは、この製品を造る会社が見つかったということだ。そこに任せるから、ウチの製品はもう必要ない、ということだ。
じゃああの上役との話は何だったのだ? 直々に頼みに来たから、オヤジだって首をタテに振ったんじゃないか。本来なら、上役から詫びの電話があって然るべきだろう。
実はこういう身勝手なところがA社にはある。今回の廃業にあたり、直接の要因はオヤジが病を得たことだが、間接的な要因のひとつは、この会社の自分勝手な社風だった。もう、ついていけなくなったのだ。
ウチは材料屋にキャンセルを申し出た。材料だって数万の売り上げになるから先方もいい顔はしなかったが、最終的には了承してくれた。
ともあれいきなり仕事を取り上げられて、この時は本当にショックだった。
こうなったらA社に、一刻でも早く残りの金型を引き取ってもらいたい。でないとウチが正式に廃業できないのだ。
ちなみに得意先B社は、4月中旬にすべての金型を引き取り、製品の在庫をひとつ残らず買い上げてくれた。あまりの手際のよさに、私たちはいたく感心したものである。
A社とB社の売り上げは7:3くらいだったが、土壇場の対照的な対応により、ウチの両社への評価は、天と地ほどに開いてしまった。
そんな5月の下旬、またA社の上役がひょっこり訪ねてきた。前回とは別の製品を、1,000個造ってもらいたいというのだ。
ウチにその金型は残っていたので注文の可能性も考えてはいたが、まさかの展開である。
だが今回はさすがに、私たちも眉唾で聞いた。もう、この上役の言うことは信用できないからだ。
だが今回は杞憂で、正式な注文が翌日にあった。ウチは即金を条件に材料を仕入れ、オヤジらは再びプレス機を動かした。
ちなみに私はプレス機をほとんど動かしていない。これは私がこの仕事を始めた時からそうで、息子に危険な機械仕事をさせたくない、というオヤジの強い信念からだった。
だから私は製品の梱包作業を中心にやっていたのだが、このぬるま湯的環境に私が満足してしまったことが、今回の廃業の遠因になったともいえる。
つまり自分が永久にこの仕事を続けたければ、オヤジを説得して機械仕事を覚えたはずで、それをしなかったのは、この仕事から逃げていたのだ。
結局、廃業のいちばんの原因は、私にあったのだ。
ともあれまたもや、工場内にプレスの音が響き渡った。私はビデオカメラを持ち出し、オヤジが機械を動かしているところをビデオに収めた。
パーツ品が揃うと、ここから私の仕事である。パーツをひとつに組み立てるのだ。だが1,000個という小ロットだから、その作業も2日間で終えてしまった。あとは納品日(26日)に納めればいいが、これは16日に納めるつもりだ。
そんな15日、誰かが表で話していた。ひとりはウチの叔父のようだ。…この前は久しぶりに機械が動いていたけど…とか聞こえる。「…もう仕事は止めたのかい?」
「そうだね。もう体が容易じゃない」
「オレも古い人間だから。このあたりは工場の音が聞こえてないとさびしいやね」
「昔はこの辺に工場もいっぱいあったけどね。いまはウチだけになっちゃった。だけどウチももう、ダメだ」
「この前は機械の音を聞いて、まだ仕事やってんだなと思ったけど、そうかい。音が聞こえねぇと、逆に静かでいけねえ」
いまは保育園の園児の声が騒音になる時代である。古くからの住人とはいえ、ウチのプレス音を佳く思っていた人がいたとはありがたい。そして、私がもっとマジメに働いて、この工場を少しでも長生きさせてあげればよかったと悔やんだが、もう遅かった。
今月末には動力の契約を打ち切る予定である。泣いても笑っても、16日が正真正銘、最後の納品となりそうだ。