今年も「将棋ペンクラブ大賞」選考の季節がやってきた。
私は数年前から二次選考委員を仰せつかっており、今年はその採点を13日までに終え、幹事氏宛てに投函した。
それにしてもだらしなかったのが我が採点の遅さで、今年は仕事もないから採点する時間は十分にあったのに、ついダラダラと後回しにしてしまい、結局最後は駆け足になってしまった。
ここで将棋ペンクラブ大賞の概要と選考過程を今一度説明しておこう。
同賞は前年度に発表された観戦記、エッセイ、棋書、文芸書などすべての読み物から、ペンクラブ会員が優秀作品を選び、表彰するというものである。発足当初は一部門だったが、数年前から「観戦記大賞」「文芸大賞」「技術大賞」の3部門に分かれ、現在に至っている。
「観戦記大賞」は、5月中旬に一次選考会があり、将棋ペンクラブの幹事らが、新聞や専門誌に発表された観戦記をすべて読み込む。原則的に一人1~2棋戦を担当し、その中からベストの作品を選ぶ。
棋戦は男性棋戦と女流棋戦を合わせ20近くに上るから、同じ数の大賞候補作がここで絞られるわけだ。これらが二次選考に回される。
なお地方紙に掲載されたアマ棋戦は、会員から推薦の観戦記があればそれを読み、二次選考に回せると判断されれば、加えられる。
これらの観戦記(コピー)は二次選考委員の家に個別に配送され、委員は「優」「良」「可」の3段階で採点し、寸評をつける。二次選考委員は10人。前述の通り私はその一人で、数年前、著名なアマ棋客委員が亡くなったとき、その後任として打診された。大役だが快諾したわけである。
なお二次選考委員は誰でもいいというわけではなく、私は機関誌「将棋ペン倶楽部」へ多少の投稿があったのと、将棋ブログを長年続けてきたことで、白羽の矢が立ったと思われる。
ちなみにほかの選考委員で、私が存じ上げているのは2人だけ。あとは誰だかまったく知らない。
話を戻すが、二次選考委員はこの時「文芸部門」の採点も同時に行う。これは書籍化されたものが主で、数点上ってくる。二次選考委員はこれらを個別に入手しなければならない。該当書籍を同梱するほど、将棋ペンクラブはおカネがないのである。
私は図書館で借りるのが主だが、ない場合は書店やネットで購入する。書店で立ち読み、という手もあるが、店員の眼があるので性格的にできない。
これらの採点を約1か月かけて行う。文章のプロが書いた文章をアマが採点するのだからあべこべだが、読者の大半は私のようなアマ棋客だから、その観点で読んでいる。
採点に関しては、「優」「良」「可」の配分はない。いわゆる相対評価ではなく絶対評価で、つまりすべておもしろいと思えば、すべて「優」をつけても構わない。
ただしそれでは芸がないので、どこかで差を付けることになる。
私の場合は減点方式で、あまり気が進まないのだが、重箱の隅をつつくやり方をする。
例えば第4譜で「ここで○○八段の指した手が好手だった」で終わったとする。それなのに翌第5譜でその手に触れていなかったら、それは減点せざるを得ない。
指し手の解説、変化が満載の観戦記もある。それも大いに結構だが、そればかりに精を出して、対局者の表情などにまったく触れていなかったら、やはり減点せざるを得ない。
状況説明なども、一度読んでよく理解できなかったら、それは減点する。
整理すると、私にとっての「優」は、最初から最後までつっかえずにスラスラ読める文章、頭に入ってくる文章、ということになる。よって文章がたどたどしくても、一本筋が通っていれば、減点はしない。
ただし人間の採点だから、やはり感情が入る。私にも贔屓にしている観戦記者がいるのだが、そこはドライに徹し採点する。今回もふだん推している観戦記者が何人かノミネートされたが、涙を呑んで「良」としたケースもあった。
難しいのは、私がファンである女流棋士の執筆である。今回は、観戦記部門で室谷由紀女流二段の自戦記、文芸部門で中倉彰子女流二段・福山知沙フリーアナウンサーの絵本がノミネートされた。
これらはノータイムで「優」としたいのだが、そうもいかぬ。もし彼女らがほかの女流棋士だったら…と仮定して、慎重に採点した。
この結果、今年は観戦記部門が「優」8、「良」12、文芸部門が「優」2、「良」3となった(「可」は、よほど退屈な作品でない限り、つけない)。
観戦記部門の「優」8はちょっと多い気もするが、なかなか「良」に落とせないのだ。
ただ「優」の中にも個人的には「◎優」と「並の優」があり、前者は読んだ瞬間に「優」と付けられる。前者と後者が同じ点数というのが、二次選考委員としては複雑な気持ちなのだが、とにかく選考委員はそのくらい悶絶して採点しているのである。
ちなみに観戦記大賞受賞作品は、手前ミソだが、私が「◎優」としたものが多い。大賞を受賞するほどの観戦記は、誰が読んでも高評価なのだ。
この採点の締切りが6月中旬、すなわち今である。これらを幹事が集計し、観戦記部門は上位4~5作、文芸部門は上位2~3作が最終選考へと回される。
これは7月中旬に、木村晋介将棋ペンクラブ会長ら3名で審査され、正式に発表される。その作品は、私たち将棋ペンクラブ会員が自信を持って推すものである。
ある年は、米長邦雄永世棋聖と谷川浩司九段に大賞を差し上げたことがあった。おカネがない民間団体が、時の将棋連盟会長と永世名人に賞を出すというのだからすごい。
ただ、米長永世棋聖は、たいへんよろこんでくれたと聞いた。ほかの歴代受賞者も例外なくそうで、私たちが誠意をもって選考しているから、素直によろこんでくれるのだ。
…と、これが大賞決定までの過程だが、ここまでの流れでキーポイントは、一次選考に残ることだろう。これは選者によって選ぶ観戦記も変わってくるから、はっきりいって「運」というしかない。
ちなみに拙宅では読売新聞を購読しているが、今回は竜王戦から2局がノミネートされた。これらは私も印象に残っていた観戦記で、「なるほど」とニヤリとしたものだ。
ともあれハッキリいえることは、
「一次選考を抜けた観戦記は、例外なくおもしろい」。
それに実力がある観戦記者は、仮にその年に漏れたとしても、翌年には上がってくるものだ。結局大賞は、獲るべく人が獲るのである。
今年の観戦記は、「これが大賞だ!」とうなる作品はなかった。どれも平均しておもしろく、私には大賞の予想がまったくつかなかった(いや1作だけ、大賞候補と思えるものがあった)。
最終選考会での激論は必至である。
私は数年前から二次選考委員を仰せつかっており、今年はその採点を13日までに終え、幹事氏宛てに投函した。
それにしてもだらしなかったのが我が採点の遅さで、今年は仕事もないから採点する時間は十分にあったのに、ついダラダラと後回しにしてしまい、結局最後は駆け足になってしまった。
ここで将棋ペンクラブ大賞の概要と選考過程を今一度説明しておこう。
同賞は前年度に発表された観戦記、エッセイ、棋書、文芸書などすべての読み物から、ペンクラブ会員が優秀作品を選び、表彰するというものである。発足当初は一部門だったが、数年前から「観戦記大賞」「文芸大賞」「技術大賞」の3部門に分かれ、現在に至っている。
「観戦記大賞」は、5月中旬に一次選考会があり、将棋ペンクラブの幹事らが、新聞や専門誌に発表された観戦記をすべて読み込む。原則的に一人1~2棋戦を担当し、その中からベストの作品を選ぶ。
棋戦は男性棋戦と女流棋戦を合わせ20近くに上るから、同じ数の大賞候補作がここで絞られるわけだ。これらが二次選考に回される。
なお地方紙に掲載されたアマ棋戦は、会員から推薦の観戦記があればそれを読み、二次選考に回せると判断されれば、加えられる。
これらの観戦記(コピー)は二次選考委員の家に個別に配送され、委員は「優」「良」「可」の3段階で採点し、寸評をつける。二次選考委員は10人。前述の通り私はその一人で、数年前、著名なアマ棋客委員が亡くなったとき、その後任として打診された。大役だが快諾したわけである。
なお二次選考委員は誰でもいいというわけではなく、私は機関誌「将棋ペン倶楽部」へ多少の投稿があったのと、将棋ブログを長年続けてきたことで、白羽の矢が立ったと思われる。
ちなみにほかの選考委員で、私が存じ上げているのは2人だけ。あとは誰だかまったく知らない。
話を戻すが、二次選考委員はこの時「文芸部門」の採点も同時に行う。これは書籍化されたものが主で、数点上ってくる。二次選考委員はこれらを個別に入手しなければならない。該当書籍を同梱するほど、将棋ペンクラブはおカネがないのである。
私は図書館で借りるのが主だが、ない場合は書店やネットで購入する。書店で立ち読み、という手もあるが、店員の眼があるので性格的にできない。
これらの採点を約1か月かけて行う。文章のプロが書いた文章をアマが採点するのだからあべこべだが、読者の大半は私のようなアマ棋客だから、その観点で読んでいる。
採点に関しては、「優」「良」「可」の配分はない。いわゆる相対評価ではなく絶対評価で、つまりすべておもしろいと思えば、すべて「優」をつけても構わない。
ただしそれでは芸がないので、どこかで差を付けることになる。
私の場合は減点方式で、あまり気が進まないのだが、重箱の隅をつつくやり方をする。
例えば第4譜で「ここで○○八段の指した手が好手だった」で終わったとする。それなのに翌第5譜でその手に触れていなかったら、それは減点せざるを得ない。
指し手の解説、変化が満載の観戦記もある。それも大いに結構だが、そればかりに精を出して、対局者の表情などにまったく触れていなかったら、やはり減点せざるを得ない。
状況説明なども、一度読んでよく理解できなかったら、それは減点する。
整理すると、私にとっての「優」は、最初から最後までつっかえずにスラスラ読める文章、頭に入ってくる文章、ということになる。よって文章がたどたどしくても、一本筋が通っていれば、減点はしない。
ただし人間の採点だから、やはり感情が入る。私にも贔屓にしている観戦記者がいるのだが、そこはドライに徹し採点する。今回もふだん推している観戦記者が何人かノミネートされたが、涙を呑んで「良」としたケースもあった。
難しいのは、私がファンである女流棋士の執筆である。今回は、観戦記部門で室谷由紀女流二段の自戦記、文芸部門で中倉彰子女流二段・福山知沙フリーアナウンサーの絵本がノミネートされた。
これらはノータイムで「優」としたいのだが、そうもいかぬ。もし彼女らがほかの女流棋士だったら…と仮定して、慎重に採点した。
この結果、今年は観戦記部門が「優」8、「良」12、文芸部門が「優」2、「良」3となった(「可」は、よほど退屈な作品でない限り、つけない)。
観戦記部門の「優」8はちょっと多い気もするが、なかなか「良」に落とせないのだ。
ただ「優」の中にも個人的には「◎優」と「並の優」があり、前者は読んだ瞬間に「優」と付けられる。前者と後者が同じ点数というのが、二次選考委員としては複雑な気持ちなのだが、とにかく選考委員はそのくらい悶絶して採点しているのである。
ちなみに観戦記大賞受賞作品は、手前ミソだが、私が「◎優」としたものが多い。大賞を受賞するほどの観戦記は、誰が読んでも高評価なのだ。
この採点の締切りが6月中旬、すなわち今である。これらを幹事が集計し、観戦記部門は上位4~5作、文芸部門は上位2~3作が最終選考へと回される。
これは7月中旬に、木村晋介将棋ペンクラブ会長ら3名で審査され、正式に発表される。その作品は、私たち将棋ペンクラブ会員が自信を持って推すものである。
ある年は、米長邦雄永世棋聖と谷川浩司九段に大賞を差し上げたことがあった。おカネがない民間団体が、時の将棋連盟会長と永世名人に賞を出すというのだからすごい。
ただ、米長永世棋聖は、たいへんよろこんでくれたと聞いた。ほかの歴代受賞者も例外なくそうで、私たちが誠意をもって選考しているから、素直によろこんでくれるのだ。
…と、これが大賞決定までの過程だが、ここまでの流れでキーポイントは、一次選考に残ることだろう。これは選者によって選ぶ観戦記も変わってくるから、はっきりいって「運」というしかない。
ちなみに拙宅では読売新聞を購読しているが、今回は竜王戦から2局がノミネートされた。これらは私も印象に残っていた観戦記で、「なるほど」とニヤリとしたものだ。
ともあれハッキリいえることは、
「一次選考を抜けた観戦記は、例外なくおもしろい」。
それに実力がある観戦記者は、仮にその年に漏れたとしても、翌年には上がってくるものだ。結局大賞は、獲るべく人が獲るのである。
今年の観戦記は、「これが大賞だ!」とうなる作品はなかった。どれも平均しておもしろく、私には大賞の予想がまったくつかなかった(いや1作だけ、大賞候補と思えるものがあった)。
最終選考会での激論は必至である。