野本虎次(のもと・とらつぐ)八段が7日に亡くなった。享年76歳。
野本八段は1969年四段昇段。その風貌は、よく言えば藤竜也、悪くいえばオール巨人で、要するにナイスガイだった。将棋は居飛車の本格派で、対振り飛車には左美濃を好んで指した。
1972年度、1975年度に順位戦で昇級し、六段。
しかしよかったのはここまでで、直後に13連敗を喫した。
また1999年10月28日の第41期王位戦予選から2002年7月29日の第10回銀河戦予選まで31連敗を記録した。いわゆる負の記録ゆえに将棋連盟も公式に発表していないが、さすがの藤井聡太三冠も達成できない大記録である。
そんな野本八段の印象に残る一局は、1985年6月7日に指された第44期B級2組順位戦1回戦・脇謙二六段戦である。
後手脇六段の陽動三間飛車で始まった本局は熱戦になった。終盤は1手争いになり、▲7四銀まで脇六段が投了した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/33/2fae686e0d897b1a6b9703fe35336d92.png)
だがこれが大悪手だった。投了せず△7四同玉と取り、▲6六桂△8四玉▲8五歩△同玉▲7四銀△7六玉▲6七金△8七玉▲9八金に△9六玉とすれば、詰みはなかった。脇六段は残り1分で疲労困憊、つい投げてしまったようだ。
脇六段は2回戦以降8勝1敗で計8勝2敗としたが、この敗戦が祟り、無念の頭ハネとなった。
また野本六段は以降1勝8敗で、計2勝8敗。2度目の降級点で、C級1組に降級してしまった。つまり初戦の勝利は実を結ばなかった。
記録より記憶に残る棋士なのに、大記録も持っている名棋士が、静かに逝った。合掌。
野本八段は1969年四段昇段。その風貌は、よく言えば藤竜也、悪くいえばオール巨人で、要するにナイスガイだった。将棋は居飛車の本格派で、対振り飛車には左美濃を好んで指した。
1972年度、1975年度に順位戦で昇級し、六段。
しかしよかったのはここまでで、直後に13連敗を喫した。
また1999年10月28日の第41期王位戦予選から2002年7月29日の第10回銀河戦予選まで31連敗を記録した。いわゆる負の記録ゆえに将棋連盟も公式に発表していないが、さすがの藤井聡太三冠も達成できない大記録である。
そんな野本八段の印象に残る一局は、1985年6月7日に指された第44期B級2組順位戦1回戦・脇謙二六段戦である。
後手脇六段の陽動三間飛車で始まった本局は熱戦になった。終盤は1手争いになり、▲7四銀まで脇六段が投了した。
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だがこれが大悪手だった。投了せず△7四同玉と取り、▲6六桂△8四玉▲8五歩△同玉▲7四銀△7六玉▲6七金△8七玉▲9八金に△9六玉とすれば、詰みはなかった。脇六段は残り1分で疲労困憊、つい投げてしまったようだ。
脇六段は2回戦以降8勝1敗で計8勝2敗としたが、この敗戦が祟り、無念の頭ハネとなった。
また野本六段は以降1勝8敗で、計2勝8敗。2度目の降級点で、C級1組に降級してしまった。つまり初戦の勝利は実を結ばなかった。
記録より記憶に残る棋士なのに、大記録も持っている名棋士が、静かに逝った。合掌。