宗教のあれこれ、煩悩、地獄極楽、神仏、死後の世界などには人並み以上の興味があるのに、世間の常識であるお墓参りや仏壇参り、供養が全くわからない
盆の13日頃になるとお墓参りをするというくらいしかしらなかった
父は戦後、今の地に一人で住み着いたのでお墓はなく、盆には地元生まれの母方の墓参りをした
子供の私は提灯をぶら下げて歩いて行くのが楽しかった、外祖母が亡くなり、伯父さんが亡くなり、従弟が地元に帰ってきてから行かなくなった
何度か書いたけれど、父は25歳で結婚して小さな家を建てたけれど神棚も仏壇ももたなかった、空襲で両親もろとも家が焼けて髪の毛一本残さず消えた
心が空虚になったからだ
ミカンの木箱にお札を貼って神棚に、タンスの上に位牌を乗せて仏壇代わりだったという
私が物心ついたときには仏壇はあった、それは近所の大工の棟梁がかたくなな父に理責めで説いたからだという
そのたいせつな仏壇を疳の虫が強い幼い私が破壊した、子供の時から罰当たりな子だったのだ
彼岸とは、悟りを開いた仏が住む彼の国なのだという
此岸は、われら煩悩にまみれた人間が住む世界を言うそうだ
彼岸から此岸に帰ってくる日をお彼岸と言うそうで7日間続き
その中心が彼岸のお中日なのだ、お墓参り仏壇でのお参り、そしてそれらのお掃除、春は牡丹餅(ぼたもち)、秋はお萩(おはぎ)を供える
煩悩まみれの私だったが、このごろ少しだけ悟りを開きつつある
たしかに神が集う彼岸はあるのだ
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