神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (151) 長尾家 64

2024年07月26日 08時31分41秒 | 甲越軍記
 城門の閂を破れ諸将はこれに続いて一同に攻め寄せれば、城兵は攻め立てられてもはや防ぐ術もない
ここにおいて松本隼人、殿原豊後守、下司越前守らは相次いで討死となった
そのほかの兵は二の丸に逃げ込んだので、景虎勢も二の丸を襲う、それを防ごうと立ち止まり奮戦した大河原監物も討ち死にとなった
監物が持ちこたえていた間に城兵は二の丸の城戸をしめて大木、大石を攻め手に投げて戦ったが、勢いは今や景虎勢に在り城戸をたちまち壊して攻め詰めた

長尾晴景は二の丸、三の丸と破られ「もはやこれまで」と自害しようと思ったところに、景虎の使者、神余越前守がやって来て言うには
「景虎は晴景殿を恨み、府内を横領しよとする心など全く持っていない、それは君が心悪しき讒者の言を信じて、某を恨んだだけのことである
某に何の罪があったでしょうか、君は酒色にふけり政治は乱れ、長尾家を危うくしたのを見て屋形が某に正すよう命じた故に、よんどころなく今日とあいなったのです、某は政などする気は毛頭なく、今まで通り君にここを任せるつもりであります、御心を入れ替えて早々に佞臣らを殺して、こちらに参られるようお勧めに上がった次第です」と誠をもって話せば
晴景は景虎勢の攻め来るを見て、本丸にて手足の置き場もない程にうろたえていたところに使者の口上を聞いて、大いに喜び、以後は景虎の指図に背くことないとの誓詞を書いて城を出ようとしていた。

ところが景虎勢の長尾一族や諸将はこれを聞き、「なんということであるか、晴景は将の器にあらず、これを許して今まで通りに君主としておくとはいかがか」と議論したところ
「我らは晴景に再び仕えるなどあり得ない、景虎君がいくら諌めたとて、あの性根は治ることなどあり得ぬ、ここは我らは何も知らぬ体で一気に片を付けてしまおうではないか」と決した
そして諸将は守り無き本丸に一気に攻め寄せて火を放って焼けば、景虎は大いに驚き軍師をたててこれを制止しようとしたが、すでに火の手はまわり、晴景は「もはやこれまで」と妻子を刺し殺して、己も火の中に入って自害して果てた、時に年四十五歳、これを見て日頃から恩義うけた近士百余人が殉じた
生き延び逃げ出した者共は、片端から攻め手がこれを討ち取り、その数知らず
また落ち延びた者も多かった。

(yottin  ここでは戦の末に晴景が自害と言う悲惨な結末になったが晴景が景虎と越後守護代の座を交代したことについては、この書の他に晴景と景虎は戦になったが心配した上杉定実が調停に乗り出し、景虎が晴景の養子となり、守護代を景虎に譲るというのもある、晴景が病弱で政治が出来ず景虎に禅譲したというのもある、上杉家の公式記録「上杉家御年譜」ではこれで、晴景と景虎は互いに譲り合ってらちが明かず、ついに晴景が怒り出したので仕方なく景虎は晴景の幼い嫡子が成人するまでと期限をつけて守護代職をうけ賜わった
家臣らは景虎に婚儀を勧めたが、景虎は晴景の嫡男に後日地位を譲る為、あえてわが嫡子を作らぬために独身を貫いたという
しかし史実は晴景の嫡男が継いだという事実はなく、この後も晴景嫡男の登場は聞いたことがない)

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (150) 長尾家 63

2024年07月25日 15時53分13秒 | 甲越軍記
 山村右京が敵陣へ挑みかかると、新発田尾張守も「つづけ」とばかりに長尾武蔵勢に攻め入る、そして武蔵勢五百騎を挟み撃ちにすれば、武蔵勢は東に西に討ちかかり戦ううち三百騎が討死となった、そして長尾武蔵守もついに山村右京に討たれて討死となる。

この時、府中勢の刈羽、泉澤、唐崎、庄瀬、大崎、大河、上田、丸田、志賀などの諸軍は景虎方の直江、竹俣、杉原、永井、柿崎らの軍勢と各方面で戦っていたが、武蔵守討死と聞き、急に戦意を失い切り崩されて敗走した
中でも泉澤河内守、唐崎左馬介、庄瀬新蔵、大崎筑前守、大河駿河守はもとより晴景の暗弱を疎んでいたので、たちまち冑を脱いで景虎に降参した。
長尾晴景はついにここも支えきれず、這う這うの体で府内の城に逃げ帰った
そして総曲輪の四方の門を固めようとしたが、すでに降参、逃走した諸隊が多く兵が足りないために、総曲輪の守りはあきらめて二の丸、三の丸に退いた。

長尾景虎勢は府内の城を十重二十重に囲んで、その夜は大篝を焚いて一人も城から逃さぬ構えで威を示した
城中の者たちは皆怖れて肝を冷やしている
晴景が栃尾征伐と意気盛んに攻め下った時には二万五千の大軍であったが、今城内にはわずか二千の兵だけとなった。
翌朝と共に包囲軍は鬨をあげて城門に攻め寄せる、城兵も大石を落し、矢を射かけて守る、攻めては攻めあぐむところに本庄美作、山村若狭、北条丹後、大熊備前の諸軍が駆けつけて「いつまで時を費やしているか」と一括して城門に攻めかかり、柵を破り、逆茂木を蹴散らして攻め入る
城兵も必死になるが多勢に無勢次々と討ち取られていく、景虎の旗本、五百川、荒川吉蔵、萬貫寺、鬼小島弥太郎、甘粕次郎吉、城織部、七寸五分らの勇姿は競って一番乗りを欲す。
塀に手をかけ飛び入ろうとするが、城兵も必死なればあ槍、長刀をもって切り払い、鉄砲を打ちかければさすがの勇士もなかなかに越えること叶わず、冑を傾けて塀下にうずくまっている時、あとからやって来た山村右京が、それらの人の背と言わず頭と言わず、するすると軽業の如く乗り越えて、塀の屋根に手をかけて敵の守りに飛び込み「我は山村若狭が嫡男、山村右京なり府内城の一番乗り」と大音声で言えば、塀下にいた旗本たちも勇気をもらって一斉に右京に続いて兵を乗り越えて攻め入った

本庄、山村、北条、大熊らの各隊は三の丸を越えられず苦戦していたが、右京や旗本らが早も塀を越えたと聞き「負けられぬ」と無二無三に城戸に攻めかかり城戸を破ったが、その先の大門には鉄の閂(かんぬき)で固く門を閉じて入りうことが出来ずにいた
そこに早くも中に入った奈弥辰蔵が閂に飛び乗り「エイや」と片足をかけて力を出して踏みつければ閂は二つに折れて門は開いた。
一斉になだれ込む景虎軍に守備側の諸将は驚き浮足立って、急ぎ二の丸の中に逃げ込んだ。
それでも景虎勢は勢いに任せて二の丸城戸も風前の灯。




土用丑の日、うなぎの日

2024年07月25日 08時31分33秒 | 料理を作る・食べる
 昨日の記事です

 毎食毎食、野菜を食べ続けている
玉ねぎ、人参、大根、白菜、キャベツ、キューリ、ナス、椎茸、これらを一度に入れて軟らかく煮てコンソメスープで食べている
お陰で胃腸に負担がかからず、手術後でまだ大腸に不安を持っている私の役に立っている
野菜だけでは健康には良いが、スタミナやパワー面では不足気味だから、この頃は牛肉、豚肉のしゃぶしゃぶ用や、ヨーグルト、牛乳、蜂蜜なども食べる
病院食はさすがにもう卒業してよいだろう、それでもラーメン、トンカツ、天ぷら、パスタ、ステーキ、コンニャクなど腹にもたれるものや、キムチなど辛みのもの、生野菜は未だに食べない、アルコール類や本格コーヒー、紅茶も呑まない。

今日は丑の日でビタミン豊富なうなぎを毎年食べていたが、今年の私は脂があるうなぎを食べてよいやら悪いやら迷っていたが、さすがに年一度のイベント
しかも長男が提供するというので、お言葉に甘えて見た。
去年までは息子がスーパーで注文してくるので、それをとりに行って、ご飯は家で焚いてそれにかば焼きを乗せて食べていたが、今年はどうせならうまいのにしようと、私の40年来の友達の飲食店に頼んで、うな重にした
店主がわざわざ三個のうな重を配達してくれた
脂の心配をしていたが、スーパーと違い、しっかり蒸して脂抜きをしてあるし、垂れも三度焼きでしっかりうなぎに染みている
うなぎの美味しさを保って、しかも脂くどくないさっぱりした味わいで、私もしっかりと完食して久しぶりに満足感を味わった。

魚屋時代には私も土用になれば、一日に200匹くらい、かば焼きにして販売したものだ。
それもにょろにょろと動いている元気の良いのを調理して、白焼き、かば焼きに焼いていく
暑い夏に、かば焼きを一日中焼いているが、火の暑さで汗が蒸発して、蒸し暑さを感じないから娑婆よりも涼しいくらいだった。
当然ながら我が家でも肉厚のうな丼にして食べたものだった、あの頃は一匹800円、1000円の時代だった
今はうな重で4000円、5000円だから、一年一度きりしか食べられない
中国産は安いが、その処理がどうなのかわからないから手を出さない
ただ、あれを食べるなら、スーパーでは初めから中国で焼いて垂れが(というより毒々しい色のあんかけみたい)ついているのを洗い流して、一度蒸してから自家製の垂れで焼き直せば、それなりにうまいかば焼きに変身する。

私が当時仕入れていたのは浜名湖産であったが、最近は国産だと鹿児島だとかいろいろあるらしい。 台湾産も使ってみたが悪くない
実際は台湾で稚魚から育てて、ある大きさで日本に持ってきて生け簀で育てる
らしい、その期間で台湾産とか日本産とか決まるらしい
日本の各地の川や池にも天然うなぎが居て、それも結構食べられているらしいが、養殖に比べて脂は少ないらしいが、それはそれで違ったうまみがあるらしい(食べたことは無い)

ビジュアル的に漬物はいらない気がするが・・







大谷2安打3打点 大の里は横綱照ノ富士を破る

2024年07月24日 19時58分15秒 | 大相撲
大谷がタイムリー安打、タイムリー二塁打で3打点、チームの5連勝の演出をした
他は3三振で、いかにも大谷らしい。 ドジャースは今季最多勝ち越し20になった。
大相撲名古屋場所11日目は、10連勝で独走の横綱照ノ富士に、5勝5敗と期待外れの大の里が挑戦、がっぷりから大の里が引き落としで照ノ富士に土をつけた
これで照ノ富士には連勝、土俵に向かって数十枚の座布団が舞い飛んだ波乱となった。
2敗で追っていた大関琴櫻は、大関復帰に後がない霧島にあっけなく破れて3敗
相変わらず照ノ富士とは2差のまま。
残るはあと4日、照ノ富士は自力で3勝すれば文句なしの優勝、霧島は4連勝すれば大関に復帰できる、貴景勝は4連勝すれば大関を維持できる
大の里も4連勝で二桁になり来場所の大関とりに希望がつながる
3人の中で、4連勝で望みをつなげる力士が出るだろうか、互いのつぶし合いがあるから4連勝の可能性は一人に絞られる。

今日の相撲を見れば大の里は心配ない、絶好調10連勝の横綱に勝ったのだから
今場所はやはりけいこ不足と心構えが少し緩んでいたのだろう、優勝の祝い事が何か所かで行われていつもより稽古が出来なかったのでは?
何も考えずに、尊富士のように低い姿勢で一気に突き押しに徹すればまた勝てるだろう、来場所が楽しみになって来た
中学から今日まで、ずっと一緒に戦ってきた十両白熊も単独トップに躍り出た
白熊にも期待したい
また大の里、白熊、嘉陽と同じ海洋高校相撲部出身(中退で角界入り、祖父は元関脇黒姫山=元武隈親方)の幕下黒姫山も6戦全勝で、次の一番に優勝がかかる。

夢見る少女じゃいられない

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (149) 長尾家 62

2024年07月24日 09時15分21秒 | 甲越軍記
 勇み立つ味方の先陣の先を見ると、天衝の指物は長尾武蔵守であった
武蔵守は武功秀でたる歴戦の勇士、景虎はこれを見定めると先陣の諸将に遣いを出して「あの旗印は長尾武蔵である、勝ちに誇って無謀の合戦をするべからず、守りを固めよ」と戒めた
味方の先陣はこれを聞いて歩みを止め、守りを固めたのち山村、新発田、大熊の先鋒が長尾武蔵の陣に攻め寄せた。

武蔵守は馬印を押し立てて五百騎あまりを左右に従えて大熊勢の中に突入
左右に奮戦して切り開けば、大熊勢は勢いに押されてたちまち後退した
脇備えの山村若狭守は三百騎を従え真っ先に進み、武蔵守の横合いより攻め寄せる、武蔵守勢もこれに応じて勇気を奮えば互いに油断なき激戦となる
中でも魚住十郎左衛門と名乗り近寄る敵を十ニ、三騎薙ぎ倒す
山村勢の中からも石島隼人が大太刀を振るって魚住に斬り寄せる
石島は真っ向から魚住に向かって大太刀を振り下ろすところ、魚住はこれを見極めて大太刀をさっと一閃、石島の右腕を切り落とし、返す先で馬の腹を切れば人馬もろとも崩れ去る
魚住はますます勇み立って瞬く間に七、八騎の敵を討ち倒す
山村勢には魚住の勢いを止められず、遠巻きにして備えるばかりのところに、山村若狭守の嫡子、右京生年十八歳が大刃の槍を頭上に振りかざし「山村右京見参」と魚住に突きかかる
魚住もこの槍を大太刀で受け流し、互いに声を張り上げて誰をも寄せ付けず切り結ぶ、その時魚住の血刀は鍔元よりぽっきりと折れ、これは叶わじと逃げ出すを右京が追い、魚住の鎧の胸元から首の骨にかけて貫けば、魚住はたまらずず落馬して討ち死にする。

砂土原伝内、これは良き敵と右京に討って懸かる、右京は燕の如く軽やかに飛びかかり砂土原の肘から脇腹に槍を突きとおせば、砂土原はたまらず落馬して討ち死にする
右京の槍のすさまじきことは猛虎千里を走る如し、武蔵勢は息をのんで右京の槍を恐れて崩れ去る
右京の奮闘を見た長尾武蔵守は「武蔵の手並みを見せようぞ」と喚いて右京めがけて大太刀を振るう
これを見た武蔵勢も勇気を取り戻して攻め戻るところに、新発田尾張守、新発田掃部介が「右京を討たせるものか」と三百余騎を率いて討って出る
しかし武蔵の猛威は激しく、たちまち新発田勢は崩れた
新発田掃部介はこれを見て大いに怒り、只三騎で引き返し武蔵守に渡り合った
しかし無勢なればここに討死する
武蔵守、しばし休息せんと備えを元に戻すところへ山村若狭勢三百騎で攻め寄せる、武蔵守はたちまち陣形を円陣にしてこれに立ち向かう
武蔵の采配まことに見事なり、山村勢はたちまち崩れ去るところに山村右京が士卒を励まして取って返す。



簡単便利で複雑面倒な時代

2024年07月23日 20時19分14秒 | yottin日記
キャッシュレス時代だという
都会の駅の改札口は、出入りの人々がせわしくスマホタッチで立ち止まることなく行く、田舎ではそのような改札機械はなく、駅員が一人一人の紙の切符を確認して判を押す
そもそも人口10万人以下の市町村の駅の大部分は無人駅で、切符すら売っていない、ワンマン電車の中で整理券を取って、降りる時に運転手が現金を受け取る仕組み、逆に機械化した都会人は支払方法に面食らうだろう。
田舎は未だ現金主義なのだ
但し、コンビニチェーンやスーパーなどはキャッシュレ決済がどんどん進んでいる、少なくともクレカ以上が普及しつつある

私も春までは100%現金払いだった、4年前まではゴルフ場や紳士服の店などではクレカで払っていたが、小売店では現金だった
それが悪評のマイナンバーの2万円分ポイントに目がくらみ(仕組みを知って結局12000円分しかもらわなかったが)ついに「nanaco」カードなるものを持つことになった
だが非常に便利が良い、税金や公共料金、アマゾンの支払いなどにも使えるし、少額の買い物には尚更便利良い

今度はいろいろなキャッシュレスの申し込み場面で、Googleplayが登場して、そこに支払方法の選択画面が出てくる、スマートウォッチの初期設定もこれをしないと次に進めない、d払い申し込みにしても同じで、もうクレカなどを作る気がないから結局前に進まなかった。
あれこれ調べたら「paypay」が簡単そうなので、早速スマホでやって見たら簡単に出来た、早速チャージしてきた。
銀行口座ひも付きにしなければ、利用限度が入金量で決まるからクレカのように残高不足の請求が来ることも無いのが良い
年金暮らしには、自分で調整できるあるだけ限度払いが安心だ。
これでスマホ決済は「paypay」、カード決済は「nanaco」がOkなので一歩キャッシュレスに進んだ。

今日は病院に2週間ぶりに行って来た、抗がん剤投薬の一回目が14/14終了して、一週間の体休めに入った
それで外科の先生に頼んで、皮膚科と歯科を予約してもらって、それが今日だった
そして皮膚科からは薬の処方箋が出た、薬は当然病院内では出なくて、周辺の調剤薬局で購入する
前回は病院の前にある新しくて一番大きな薬局へ初めて行ったが、若い店員ばかりで薬をくれるよりも先に「スマホありますか?」「ちょっとお時間もらえますか」などと待合まで出てきて、会員やら何やらわけもわからないうちに申し込みする羽目になり、それも彼女と二人でやってもなかなかうまくいかず
薬をもらうまでに30分もかかった
会員登録か何か知らないが「二度と行かない」と決めて、隣の少し小さい薬局に行こうと思ったが考え直して歯科の受付嬢に「薬局は市内のどこでもいいのかね?」と聞いてみたら、案の定どこでも良いとのこと
それでかかりつけの内科医と提携している小さな薬局へ行った
50歳くらいの経営者で4~5人くらいでやっている、愛想はいいしコーヒーも自由に飲めるし、客はいつも私以外は1~2人しかいない静かな学校区の薬局
奥さん?と「うちもマイナンバーの機械いれましたから今度使ってください」などと話しているうちに、10分ほどで薬の用意が出来た
高齢者は、やっぱりこんなアナログの店が使い勝手が良い、あの薬局は支払いも機械相手で、しかも故障したり、レシート切れだったりと散々だった
この店では支払いが480円ほどだったので小銭入れから、バラ銭を出して払ったら、「まだずいぶんありますね、1円や10円で支払ってもいいですよ」と言ってくれたので10円10枚、1円10枚などで100円玉、10円玉に換えた
小銭入れがペッちゃんこになって軽くなった
もっともこの店も「paypay」加盟店になっている、次はキャッシュレス決済かな
ローカルなアナログ店はこんな融通もきく、人と人の触れ合いが嬉しい年代になった。



「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (148) 長尾家 61

2024年07月23日 08時24分17秒 | 甲越軍記
 そのころ長尾景虎は米山峠の頂、米山寺に追い上がりここで陣を張った
縁側を巡り、金津新兵衛を呼んで其の手を取り
「汝も覚えて居ろう、我七歳の時、父に憎まれ、兄晴景に陥れられ府内を追われ、汝の背におぶさり、この堂にたどり着いたとき、この恨みをいつか晴らそうと、ここを陣所にして敵を討たんと言ったが、果たして今日それが実現した」と言えば
新兵衛も涙をハラハラと流し、「誠に思い出しました、幼き時より戦略戦術を考え賜うこと只の人ではあるまいと思っておりましたが、今日こうして見事に思いを遂げられ、某も今日まで生き延びてこれを見ることが出来たのは限り無き喜びでございます」と喜んだ。
新兵衛は傍らで二人の様子を唖然として見ている宇佐美と本庄に向かい11年前の主従の誓いを話して聞かせれば、二人共舌を巻いて驚く

宇佐美は景虎の本陣から戻り諸将らに「先刻、少しも君の深い心のうちを考えもせず罵ったが新兵衛の話を聞き只今合点がいった」と伝えた
諸将らは口をそろえて「それにしても未だわからぬのは君が坂下まで追い詰めて来ながら急に兵を止めて寝てしまったことであります、あれは如何なことであろうか」と問えば、宇佐美は
「只今に至って推察すれば、峠の高見にある敵の足元から攻めあがれば、頭上から人馬、弓矢にて逆落としに攻められるのは必死、そうなれば今日の戦の裏返しであっただろう、君はこれを最初から推察して敵が峠を半ば下りるまで時を稼いでいたのだ」と言えば、諸将これを納得して景虎の冷静な判断を賞賛して、「この知恵のあることはまさに仏神の化身なり、天晴天下の名将なり、末頼もしや」と大いに喜ぶ。

景虎もここに姿を見せると、本庄美作守が進み出て
「栃尾に敵が攻め寄せた時、君は敵が夜半に去ると言われたが、あれはどうしてわかったのでありましょうや」と問えば
「なあに、敵は大軍で押し寄せて陣を張ったが、寄せ手を見るに軍兵ばかりで小荷駄兵糧の姿は少しも見えなかった、これでは腰兵糧だけの敵は一晩もここにいることはできまいと思ったまでの事である」と答えたので、みなみな景虎の目の付けどころ、戦場の細かな分析に驚きますます景虎が名将であることを認識したのであった。

いよいよ景虎の軍は府中郊外まで迫り、ここに陣を張った
その先には敵方も備えを構えて景虎勢に向かう構えを見せている
景虎勢の先陣、山村若狭守、息の右京亮、大熊備前守、新発田尾張守、同掃部介。
二陣は直江神五郎、竹俣三河守、杉原常陸介、長井善左衛門、柿崎和泉守
これらが潮の湧くがごとく敵陣に向かって攻めかかった。


30年前に準備した老後対策

2024年07月22日 19時27分29秒 | 映画/ドラマ/アニメ
 今日も朝から暑かったが結構な風が一日吹いていたので、気温も31度までだった。
おかげで夕方には散歩もできた、わりと涼やかな風が吹いていて歩いている時は汗をかかなかった。

 老後の楽しみに40代からテレビ番組をDVDに録って溜め置いた
その枚数は700枚くらいになる、三倍だと6時間だから全部見るなら4500時間くらいか、一日3時間見て1500日かかるから毎日三時間でも4年か!
78歳、メジャーリーグ、相撲、連ドラも見るから考えただけで無理なのがわかる
老後の楽しみにと録ったが、今がその時になった、要するに無職になって時間を持て余すときが私の老後だ。

録画したDVDの70%は韓ドラだ、40代、50代は韓ドラにどっぷりで、NHKの韓国語講座やテキストCDで韓国語を勉強して、新潟、富山、小松から何度も韓国に飛んだ時期もあった。
キム・ハヌル チェ・ジウ イ・ヨンエ パク・ウネ イ・ビョンホン ソン.スンフォンなどのファンになり、最後はソン・イェジンにハマった。
春先に朝鮮戦争が舞台の「ロードナンバーワン」を全編見終えた、ヒョンビン キムハヌルがが主演だった。

それ以外はドキュメンタリー、緊急ニュース映像、恐竜もの、宇宙ものなどサイエンス番組、あとは野球が多い、それも記録達成の試合とか、日本シリーズとかで、あの前々回の阪神の日本シリーズも録ってあった。
最近見ているのは三陸沖地震の速報ライブや、同時多発テロの速報ライブだ

今日は、このDVDを整理して分類しようと思う、分類せずに収納したので見たいのを探すのがたいへん、すっきりさせて暇な時間に楽しもうと思う

最近は夜10時半までに寝て、朝は5時起きが定着したので夜更かしをしない
早朝からテレビを見る気にもならないから、結局食事後の2時間くらいしか見る時間はない
それでも何かで時間を過ごせれば、それは良い時間である
当時を感じながら見るのも良いだろう。





「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (147) 長尾家 60

2024年07月22日 08時53分13秒 | 甲越軍記
 松本大隅が弾に当たって討死すると、これに代わって色部修理の八百騎が取って返し突き立てれば、これに対して景虎の旗本、鬼小島、荒川、城、甘粕、萬願寺、奈弥、槍先を揃えて無二無三に突き立てる。
色部勢からも玉置備中、水谷郷左衛門、藤三左衛門、富永式部らの勇姿、ここを守らんと火水になって戦う
されど景虎勢の勢いはとどまること知らず、血の浪を飛ばして突きかかれば、色部勢もこらえきれず、富永、藤が討死、玉置、水谷は叶わじと馬を返して逃げるところに、長井上総介が六尺あまりの槍を引っ提げて声をかけて水谷郷左衛門に突きかかる。
これに郷左衛門も答えて馬を返して、ただ一突きにしてくれると槍を合わせる
互いに雷の閃くほどに槍を打ちあえば、長井の槍が松の木に突き刺さり、抜くことならず槍を捨て「いざ組み合わん」と言えば、水谷も剛の者なれば快く承知して槍を投げすてて組み合う
互いに金剛力を出して揉みあううちに、両雄の馬は崖から足を踏み外し、深き谷底へと転がり落ちて両雄共に岩に打ち砕かれて死す

泉澤河内守の勢も、色部勢を助けんと引き返したが、景虎勢の意気はますます盛んになり、その勢い留まるところ知らず、もはや誰も叶わぬことを悟り、府中勢は総崩れとなって我先に峠を転げて逃げる
味方の上に味方の馬が乗りかかり、馬に蹴られて死ぬもの、踏みつぶされるものと峠の細道は人であふれて、しかもここは北国に聞こえたる亀破坂の険、
峠道は人馬で溢れ、意に反して枝道、獣道へと逃げ入る者も少なからず
しかし枝道はやがて険峻な岩峰が海に向かって数千丈も切り落ちるところで突然切れてしまう
そうとは知らず入り込んだ兵は戻ろうとしても、後から続々と逃げ来る味方に押し戻されて崖下へと転がり落ちる
もはや戦で死ぬも、落下して死ぬも同じであれば、ますます府中勢の死傷数知れず。

長尾越前守房景は古豪の強者、こんな状況であっても一向に慌てず、兵をまとめて静々と混乱の周囲に合わせず峠を下って来た
一度は一族ゆえ府中の晴景に味方したものの、晴景の暗愚さは思いのほか重く、自分の戦略のことごとくを取り入れず滅亡の道を歩むに腹を立てた
峠下より、府中への本道から離れ再び南の山中に入り、本貫の上田の庄を目指して帰還する。

35度越えの猛暑になったぞ

2024年07月21日 16時40分47秒 | 家庭菜園
 ここ数日は激しい雷雨から一晩中土砂降りにして夏祭りをおじゃんにしたかと思えば、今日はかんかん日照りの暑さで33度を超えた、さすがに今日は早くから除湿モードで昼間は昼寝かDVD映画の鑑賞、そして野球に相撲で一日終わりかな

昼食後、庭を見たらカランコエの花壇はカラカラに乾いている、畑を見れば巨大キューリが見える
今日の富山市は最高温度38度になるらしい、すでに35度くらい行っているのだろう、ここも33度くらいになった、とにかく暑すぎる
畑に入れば巨大キューリが3本あった、2日間の大雨でホオッテおいたら一気に大きくなった、30cmくらいある
ナスは一部ひび割れ、一個だけ収穫した、今年は全体的に低調だ、私がほぼ一か月畑をかまえなくなったことも原因だ
スイカの失敗にはがっかりしている。 入院前は枝分けもうまくやったし、今年はスカッと整理したのに入院して予定が狂った、一株増やして20ケ位は採る予定だったが一個だけとは・・・お盆はスーパーで買うことになりそうだ

虎の子の一個だけが育っている、5日前くらいにはウズラの卵大だったのが、5日後の今日はリンゴの大きさになった
このまま、どこまで大きくなるのだろうか? 去年は第一号だけ2.1㎏もあったが2個目以降は1㎏前後になった、ナンバー2より一週間早かった、小玉スイカだから1㎏くらいが普通なのだ
2.1㎏は突然変異か栄養の独り占めだったんだろう、メロンだってプリンスメロンなのに1号だけマスクメロンが出来たのだから、1号というのは不思議だ。


10分くらい畑や花壇に水をやっていたが、汗でもう着替えなければならない
蚊は猛暑に弱いというのに35度近い炎天下でも飛んでいて私の手に引っ付いた
あまり俗説は当てにならぬ、蚊だって耐性ができるんだろう。

朝8時からドジャース戦を見ていた、昨日は大谷の二塁打も絡んでフリーマンが貫禄のマンる逆転ホームランで勝った、私が好きなスリリングな展開からの勝利、スカッとしたが、今日も逆転の応酬で延長10回、11回を1点を争うまたもスリリングな展開、大谷は一発チャンスで2度連続申告敬遠されたが、今日はスミスが見事にサヨナラヒットを決めてくれて、吉田が居る強豪レッドソックスに連勝した。 ああ気分いい。

今日は二人再出場となる、ドジャースの投手、ケリーが帰って来た
ケリーと言えば大谷に自分の背番号17を譲って99に変更した投手、そのお礼に大谷がケリーの奥さんに高級車ポルシェをプレゼントしたというおまけつき
そのケリーが投げたが、一時逆転のホームランを打たれて苦い復帰戦となった

もう一人は大相撲十両の尊富士、先々場所には序の口からの最速優勝を果たした大器
優勝戦で勝ったが、その時の無理がたたって足首のケガで先場所、今場所と休場していた
今場所全休だと幕下落ちもありえるので、1勝でも2勝でもして十両に残りたいところだ
今日の相手は十両トップを走っている阿武剋(おうのかつ)、来場所新入幕間違いない若手力士、今後尊富士、大の里らのライバルになるだろう大物だ
ケガがまだ治りきらない尊富士にとって難敵だ。
今さっき勝負は終わった、尊富士が圧勝した、優勝した時の強さそのままだった、1勝2勝と思っていたが、足が今日の状態なら全部勝って勝ち越しできそうな勢いだ。
阿武剋もさすがだ、尊富士の出足を止めてがっぷり四つになった、その後は尊富士に蒔まきかえられて、なされるまま寄り切られたが
一歳違いだ、大の里と琴桜がライバルのように、この二人もこれから何年もライバル関係になりそうな気がする、どっちも大関、横綱の素質を持っていると思う。 阿武剋は久々の大型モンゴル力士になりそうな予感がする、ただモンゴル力士にしては優しい顔をしている、鶴竜のタイプ、それより優しい顔だ。